重ねて訴えます。車を使う側の視点から、 車社会の次代を担うとされる「自動運転車」は不要です

東京工業大学名誉教授  久保田 宏
日本技術士会中部本部 本部長 平田 賢太郎

 (要約);

⓵ 車社会の次代を担うと期待されている「自動運転車」の開発が進化を続けているとされていますが、果たしてそんな時代が来るのでしょうか? いや、それ以前に未来の車社会にとって「自動運転車」は必要なのでしょうか?

⓶ 「自動運転車」の開発を進めている自動車産業界にとって、「自動運転車」の実用化の前に、電気自動車の導入・利用の拡大がネックになっています

⓷ 「自動運転車」を、車を利用する側から考えると、少なくとも日本では、運転者の役割をAI(人口知能)に頼る「自動運転車」は不要です。運転機能を補う「安全設備」を設置した車の使用を、「自動運転車」を必要とする車の所有者に義務付ければ、「自動運転車」は不要になります

⓸ 最後に、未来社会における人工知能(AI)の役割と限界について考えます。AIは人間がつくったものです。このAIは、あくまでも、人間の理性と、良識ある判断に従って、厳しく制御された条件下で、その利用が許されなければならないことを付記します

 

(解説本文);

⓵ 車社会の次代を担うと期待されている「自動運転車」の開発が進化を続けているとされていますが、果たしてそんな時代が来るのでしょうか? いや、それ以前に未来の車社会にとって「自動運転車」は必要なのでしょうか?

私どもは、いまから3 年前、自動運転車の実用化の課題について、その実用化に大きな疑問を呈し、本シフトムコラムに、下記の論考を発表しました。

・久保田 宏、平田 賢太郎;誰のため、何のための自動運転車。車社会の未来のために運転者の役割を全面的に人工知能(AI)に代えるべきでない、 シフトムコラム、2016,11,25

その理由は、この自動運転車の実用化は、自動車(車)をつくる側、すなわち、自動車産業界からの要請と考えられますが、これを車を利用する側から見た場合には、少なくとも日本では、その必要が無いと考えたからです。すなわち、在来の運転者を必要とする車に、衝突防止の安全設備など、運転支援機能をもった設備の設置を義務付けることで、老人や障害者などの自動運転車を必要とされる正常な運転機能をもたない人の運転を許すとことで、万が一の事故の際の運転者の責任が明確にされればよいからです。

それから3年近く経ったいま、朝日新聞(2019/10/14)が、世界の自動運転車の実用化の現状を、主に、自動車産業界からの独自の取材結果に基づいて、オピニオン欄の「記者解説」として、「進化し続ける自動運転」の記事(以下、「朝日の解説記事」と略記)を発表しています。

この「朝日の解説記事」は、そのサブタイトルの “ I T企業参入 激化する開発競争” にあるように、日本のトヨタ、日産、ホンダを含む世界の大手の自動車製造企業のフォード、フォルクスワーゲン、GMなどが、IT企業のグーグル、アップル、アマゾン、ソフトバンクと、未来の車社会を支えると期待される「自動運転車」の開発のために、“業界超えた合従連衡”を行っている現状を詳細に伝えています。

 

⓶ 「自動運転車」の開発を進めている自動車産業界にとって、「自動運転車」の実用化の前に、電気自動車の導入・利用の拡大がネックになっています

上記(⓵)の「朝日の解説記事」のなかでも、”慌てる従来型の大手“ として記述されているように、この未来の「自動運転車」の制御機能は、電力に支えられていますから。「自動運転車」の実用化のためには、自動車自体が、従来の内燃機関の変速機を持つガソリン車やジーゼル車に代わって、動力源を電力とした電気自動車に変換されることが「自動運転車」実用化の前提にならなければならないとされています。

この内燃機自動車(エンジン車)から電気自動車(EV)へのシフトが、特に、EUを先駆けにして世界で急速に進められるようになったのです。それは、エンジン車用のエネルギー源としての石油の枯渇が迫っているなかでの自動車は、再生可能エネルギーとしての電力を駆動力としたEVでなければならないと考えられているからです。

実は、このエンジン車からEVへのシフトは、地球温暖化対策としてのいますぐのCO2の排出削減のためとして世界中で進められており、すでに、英国とフランスは、2040年までに、エンジン車を廃止することを決めたようです。日本のメデイアも、この “世界の自動車のEVシフト” に乗り遅れてはいけないと騒ぎ立てています。

果たして、このようなエンジン車のEVシフトが、市場経済原理のなかで、より少ないコストで車を走らせる方法を選択してきた自動車文明社会のなかで、スムースに進行するのでしょうか?

この問題について、私どもは、下記のシフトムコラム

・久保田 宏、平田 賢太郎;化石燃料の枯渇がもたらす電気自動車(EV)の未来、消費者の負担のないEVシフト(内燃機自動車(エンジン車) からEV車への変換)が自動車文明社会の継続を可能にします、 シフトムコラム 2018/9/6

のなかで、かなりの不確定要因があることを明らかにしました。

それは、エンジン車とEVの走行コスト(単位走行距離当たりの駆動エネルギーの価格、m/km)の値を比較すると、エンジン車に電動車の省エネ効果の利点を加味したトヨタが開発したハイブリッド車(HV)が利用できれば、石油の国際市場価格がよほど高くならない限り、後続距離(一回の給油、または充電当たりの走行距離)が小さい欠点を持つEVの利用が、エンジン車に較べて経済的には有利にならないからです。

さらに、もう一つ、EVの実用化の問題点として、EVの実用化を可能にしたリチウムイオン電池のリチウムの資源量の大きな制約があります。現在使われているリチウムイオン電池用のリチウムの70 % 程度が。南米ボリビアの塩湖で生産されており、その生産可能量には大きな制約があります。このリチウムを未来のEVシフト後の世界の車用電池に使うとして、その必要量を試算すると、現在の世界のエンジン車の全てをEV車に変換するに必要なリチウムの量は、現在のリチウム需要量の100倍以上になると推定されます。希少元素としてのリチウムは、地球上に広く分布しますから、海水中の賦存量も大量です。しかし、その濃度が希薄で、このなかのリチウムを濃縮するコストは非常に高いものになります。したがって、リチウムイオン電池を用いた電気自動車時代の到来には、大きな不確定要因があると言わざるを得ません。

 

⓷ 「自動運転車」を、車を利用する側から考えると、少なくとも日本では、運転者の役割をAI(人口知能)に頼る「自動運転車」は不要です。運転機能を補う「安全設備」を設置した車の使用を、「自動運転車」を必要とする車の所有者に義務付ければ、「自動運転車」は不要になります

文明社会の寵児である自動車(車)を利用する側から、本当に、「自動運転車」が必要なのかどうかを、改めて、考えてみました。

車を利用する側から、車は商用車(旅客や貨物を運搬する業務用の車)と自家用車の二種に分類することができます。先ず、商用車の場合、「自動運転車」の実用化では、これを運転する人の雇用の喪失が問題になります。すなわち、経済成長が継続して、労働力が大幅に不足する場合には、運転者を必要としない「自動運転車」が必要になるかも知れません。しかし、現状で、貨物用の車では、通常、貨物の積み降ろしを運転者がやっていますから、「自動運転車」を使っても、労働力(人件費)の節減にはなりません。旅客用の場合でも、旅客を確実に目的地に届けるためには、やはり、運転者が必要です。行く先が決まったバスなどでは、「自動運転車」の利用も考えられますが、個々の旅客への心のこもったサービスを考えたら、やはり、運転者が必要ではないでしょうか?

車の種類では、もう一つ自家用車があります。現在、この自家用車は、自由に車を運転できるスキルのある人が、運転免許証を取得した上で利用しています。この運転免許を取得できない方が、介護者(あるいは補助者)なしに車を運転するために、「自動運転車」を必要とすると考えられているようですが、通常の車に較べて、自動運転設備を設けるために、それだけ価格が高くなる「自動運転車」を購入できるお金がある人なら、運転者付きのタクシーを使うか、あるいは送迎用の介護専用車などを使えば、それで済むはずです。すなわち、商用車であれ、自家用車であれ、目的地まで安全に、確実に人や物を運ぶのには、ナビゲータと安全設備を備えた運転者付きの車があればそれでよいはずです。

また、「自動運転車」の実用化では、万が一の事故の際の法的な責任が、車の所有者にあるのか、車のメーカーにあるのかが問題にされているようですが、「自動運転車」でなければ、その責任は、在来通り、運転者が負うことになります。

もし、海外で、「自動運転車」が主流になったとして、車を輸出産業の主役としてきた日本の場合、それでは、日本の自動車産業界が持たなくなるとの懸念があるかもしれません。しかし、世界の全ての車が、「自動運転車」になるための前提となるエンジン車からのEVシフトには、上記(⓶)したように、大きな不確定な要因があります。また、事故の責任の所在を明確にするための法的な整備には、どこの国も時間がかかると思います。さらには、現在、一人当たりの車の保有台数を急速に増やしている途上国(非OECD諸国)では、この新しい車が、「自動運転車」になることは、経済的な理由からも、難しいと考えるべきでしょう。こう考えると、日本での自動車産業が主導する「自動運転車」の輸出市場の未来は、決して明るいとは言えません。

慌てることはないと思います。世界の情勢を眺めながら、ゆっくりと、「自動運転車」への対応を考えて行けばよいと私どもは考えます。

 

⓸ 最後に、未来社会における人工知能(AI)の役割と限界について考えます。AIは人間がつくったものです。このAIは、あくまでも、人間の理性と、良識ある判断に従って、厳しく制御された条件下で、その利用が許されなければならないことを付記します

以上、見てきたように、車をつくる側から見ても、車を使う側から見ても、必要とは考えられないのが「自動運転車」です。この「自動運転車」の製造を未来の成長産業と期待し、人工知能(AI)を新しい武器として、自動車産業界に侵入してきたのが、新しい成長の種を探しているIT産業だと言ってよいでしょう。

確かに、AIは、使い方によっては、人間を上回る能力を発揮するすばらしい機能を持っています。しかし、このAIは、人間がつくったもです。したがって、人間の理性と良識ある判断に従って、厳しく制御された条件下で、初めて、その使用が許されるべきです。例えば、無人飛行機や戦車などの自動運転に、この(AI)の機能が使用されることは、人類の生存を脅かすことになります。目的は違いますが、良識ある人間にとって、必要が無いと判断される「自動運転車」は、つくる必要もないし、使われる必要もないと私どもは考えます。

 

ABOUT THE AUTHER

久保田 宏;東京工業大学名誉教授、1928 年、北海道生まれ、北海道大学工学部応用化学科卒、東京工業大学資源科学研究所教授、資源循環研究施設長を経て、1988年退職、名誉教授。専門は化学工学、化学環境工学。日本水環境学会会長を経て名誉会員。JICA専門家などとして海外技術協力事業に従事、上海同洒大学、哈爾濱工業大学顧問教授他、日中科学技術交流による中国友誼奨章授与。著書(一般技術書)に、「ルブランの末裔」、「選択のエネルギー」、「幻想のバイオ燃料」、「幻想のバイオマスエネルギー」、「脱化石燃料社会」、「原発に依存しないエネルギー政策を創る」、「林業の創生と震災からの復興」他

平田 賢太郎;日本技術士会 中部本部 副本部長、1949年生まれ、群馬県出身。1973年、東京工業大学大学院理工学研究科化学工学専攻修士課程修了。三菱油化(現在、三菱化学)株式会社入社、化学反応装置・蒸留塔はじめ単位操作の解析、省資源・省エネルギー解析、プロセス災害防止対応に従事し2011年退職。2003年 技術士(化学部門-化学装置及び設備)登録。

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