尖閣諸島周辺海域の石油埋蔵量について:科学・技術の国らしく正しく知ろう

10月7日に中国が、尖閣海域日本領海で中国漁船衝突事件を起こし、さらに尖閣諸島領有権を主張したことに関連して、尖閣諸島周辺海域の石油埋蔵量に強い関心が広がっている。

その内容は、「尖閣列島周辺海域には、世界第二位のイラク並みの1000億バレルを超す石油埋蔵量がある」との報道が殆どであり、これを正しいと思う国民が増えているようである。

しかし、この埋蔵量推定は1970年ころのものであり、その後の調査技術の進歩と詳細な調査の結果、1994年時点での日本政府の公表では、日中中間線より日本側海域での究極可採埋蔵量は32.6億バーレル(5.18億キロリットル)で、1970年時の30分の1である。

なぜ、こんなに違うのか、歴史的に追ってみよう。

1970年簡易調査法による埋蔵量評価

1968年、国連・アジア極東経済委員会(ECAFE)が東シナ海で海底調査を行い、1969年に出されたその報告「東シナ海海底の地質構造と海水に見られるある種の特徴に就いて」の中で、ECAFEは「台湾と日本との間の浅海底は、世界的な産油地域となるであろうと期待される」として、石油有望地域と評価した。

これを受けて、日本、中国のそれぞれが、尖閣諸島周辺海域で調査した。日本は1969年、70年に、スパーカ震源による地震探査法で調査し、推定埋蔵量1,095億バレルとはじいた。中国側調査(1980年代初め)で 700億~1,600億バレルと埋蔵量評価した。爾来、この海域に巨大な石油・天然ガス田の存在が有望視された。

ここで重要なことは、この推定埋蔵量の信用性が、調査技術の水準に直接的に影響されるということである。

日本が1969-70年に実施した「スパーカ震源による地震探査法」とは、海中放電(スパーク)による衝撃を震源とする簡易調査法であって、調査能力として、海底下100-200m程度までの地下構造の概略しか分からない。石油埋蔵量評価に資するためには、海底下6km程度までの地下構造が解析できる近代的地震探査法による調査が必要であり、日本では1980年代になってできるようになった。他の技術と同様、調査技術は進歩し、推定埋蔵量も変わることを理解してもらいたい。

1994年近代的地震探査による政府公表の埋蔵量

その後、詳細な近代的地震探査の結果を踏まえ、1994年(平成6年)に経済産業省の石油審議会開発部会がまとめたところによると、日中中間線(日本側主張のライン)の日本側で、究極可採埋蔵量が 5.18億キロリットルだとして公表され、2006年4月の第164回国会行政監視委員会で、政府参考人細野哲弘氏が、約5億キロリットルと答弁している。

なお、2004年より日中中間線の日本側で、3次元地震探査という最新技術で調査をはじめ、すでに終わっている。複雑な地質構造がより高い分解能で解明され、埋蔵量評価が更新されているはずであるが、公表されていない。理由は分からない。殆どの場合にいえることだが、高精度調査をすれば石油埋蔵の場所や広がりが、さらに限られてくる。
 
国民の知る権利・知らせる側の心掛け

尖閣諸島海域の石油埋蔵量は1000億バーレルという旧い数字が、一人歩きしている。現時点での政府公表の新しい32.6億バーレルという数字に、誰も明確に訂正させようとしない。日本は、科学・技術で立国している国であり、これからも変わるまい。ならば、事実、真実を大切にする国であり続けたい。国民には、より正しい知識、情報を、幅広く、更新して知る権利がある。情報を提供する側は、この立国の精神に立って、科学と技術の進歩を理解した上で、最新の情報を提供することに心がけて欲しいと思う。

(もったいない学会の石油開発出身の会員を代表して)

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