(第7章) ポスト石油の文明社会論             (要約)現代石油文明の次はどんな文明か

(要約)現代石油文明の次はどんな文明か      
  (第7章) ポスト石油の文明社会論

1.石油ピーク後、どれがまともな社会像か

石油ピークに至り、さまざまな代替エネルギー論に基づく社会論が提起されています。

まっとうな社会論かを見極める判断基準として、次のどちらかの選択になります。①石油代替エネルギーによって、現代社会のかたちを維持しようとする社会像か、②石油に替わるエネルギーの質に合わせて、文明のかたちが決まるとする社会像なのかです。

≪太陽エネルギー社会論≫

太陽光エネルギーで、自動車、業務・家庭、電力等で使われている石油量(石油使用量の67%)300万バーレル/日を代替しようとすると、7億kWの発電設備、5,000km2のパネル面積が試算されます。そして、太陽光発電設備の大工業的な製造、リサイクルには効率的な石油燃料が欠かせない。太陽光電力は維持管理が適切だと再生可能性が高いですが、いぜん石油依存的であり、エネルギー密度が小さすぎるので石油文明継続の代替エネルギーになりません。むしろ、太陽エネルギーは、地産地消型自然エネルギーのひとつです。

≪水素社会論≫

水素社会論は、二次エネルギーの水素ガスを、化石燃料代替エネルギーにしようとするものです。水素は最も軽く小さい分子であって、容積が大きく、リークし易く、金属を脆くし易く、酸素と結合して爆発し易いので、日常生活で非常に取り扱いの難しいガスです。

水素ガスは水の電気分解によって得られます。しかし、水の電気分解で水素kg製造するには、9kgの水、50kWhの電力が必要です。日本の天然ガスの年消費量8000万トンを水素に転換するだけでも、7.2億トンの水が必要です。電力量は4兆kWhで日本の年間電力量の4倍に相当します。その膨大な電力は、何から作るのでしょうか。水素の容量は日本の全面積に25m程度の厚みになります。水素を文明の支配的エネルギーとする水素社会論には、現実性が全くありません。

≪低炭素社会論≫

低炭素社会論は、「地球温暖化人為論=CO2排出削減論」に基づいて、石油文明のかたちを、主として原子力発電の推進で継続させようとする社会論、化石燃料から原子力発電へ切り替える社会論です。しかし、原子力発電には化石燃料が必要不可欠ですから、矛盾した社会論です。

≪循環型社会論≫

循環型社会の考えは、大量生産・大量消費・大量廃棄の浪費社会から脱却し、資源循環を効率的に行ってR社会に転換しようするものです。3Rは、リデュース、リユース、リサイクルの順番に重要ですが、実際には、経済成長に貢献しうるとしてリサイクル産業が重視されています。リサイクルとは、エントロピーの高い廃物や廃棄物等を有用物に加工するにあたって良質エネルギーを多量に使います。金属等の資源の浪費を、或る期間、抑制することになっても、多くの場合、石油等の化石燃料は節減されません。リサイクルは化石燃料の使用制約とコスト高騰、資源の散逸から、循環回数は限られます。 

≪持続可能社会論≫

持続可能な社会とは、石油等の化石燃料やウランに頼らない社会、自然の循環と共生していく社会、将来世代に脅威や負担を残さない社会です。石油に依存する二次エネルギーの利用や産業・交通に依存できません。非在来型のオイルサンド、シェールガスはEPRが低く高価であり、文明を支える基盤エネルギーになりえません。自然が循環してくれるエネルギーが基盤エネルギーとなる、それしかなくなります。したがって、文明の表現としては、現代社会が‘高エネルギー浪費’であるのに対して、もったいない精神による「低エネルギー文明」になります。利欲のために自然を支配する論理ではなく、自然の性質を学び、自然と共生する論理・心の持ち方に、戻ることが決定的に重要です。

 

2.原子力発電、今でなければいつ止められるのか

311福島第一原発の過酷事故の原因が調査の結果、大津波でなく地震が原因となりました。日本列島には10万年も安定したところはなく、防御対策が困難です。フィンランドのオンカロのような高レベル核廃棄物最終処分場の適地もありません。

天野治氏によると100kWの原発建設に要するエネルギーは、石油換算で約100,000

トンです。原発建設の資材の製造、毎年の定期検査、廃炉、最終処分場建設・管理にも石油、石炭、電力が必要です。ウラン採掘と輸送の動力は石油です。このように原発は、石油、石炭、天然ガス、電力のエネルギーが揃って初めて成立する巨大システムです。

現在は石油ピークの真っただ中です。今、廃炉を始めても終了するときには、化石燃料は大きく減耗しているでしょう。今、原子力発電を止めないで、いつ止めるのですか。稼働停止が遅れると、廃炉のエネルギーがなくなり野ざらしになる事を怖れます。

 

3.癒着と神話から自立と科学へ

これまでの多くの文明社会では、支配者が被支配層を搾取・収奪して、経済的富を占有してきました。江戸文明は、世界史の中で、おそらく唯一、権力と金権が制度的に分離した構造の社会ではないかと思います。徳川家康は天下泰平の社会建設の基礎として士農工商の身分制を採用しました。武士と商人を完全に隔離し、武士の直下に食糧を生む農民を置く制度です。士農工商の各階層は自立的に生業に励みました。 

しかし、現代の日本社会では「産学官の利益共同体」、すなわち権力(政・官)と金力(財界)、そして大学が癒着して、相互の利益を守り合う構造になっています。3・11福島第一原発の大惨事によって、産学官の「原子力ムラ」の権力構造が露わになりました。

金権癒着支配の精神的な支配構造が「安全神話」です。原発安全神話は、科学的事実や技術的限界よりも、原子力ムラ構成者の経済的利益を優先するためのイデオロギーです。

 

4.畏怖のエネルギーと文明 

人智による文明を創る活動は、天災から文明を守る活動を伴います。寺田寅彦は、著書『天災と国防』の中で「文明が進めば進むほど天然の暴威による災害がその激烈の度を増すという事実」を指摘しています。日本は地震・火山、さらに台風も襲来するモンスーン気候です。「自然の恵みに感謝」ですが、「自然の暴威に忍従」しつつ、災害に対する処し方を工夫してきました。代表的な考え方は「人智を活かして自然でもって自然を制する工夫」と、「備えあれば憂いなし」の心がけです。

 しかし、石油文明の時代は、「石油の力」で自然を支配したつもりが、却って大災害を起こしたり、新たなタイプの災害を生み出しています。自然に対する傲慢な態度が、自然の畏怖のエネルギーに対して、いかにひ弱であるか、痛感します。

低エネルギー社会では、バイオリージョンにおいて、地域経済を発展させます。同時に自然災害を最小限に抑えるのは、地域の風土を知り尽くしている住民の「社会力」です。

 

.文明の崩壊か、軟着陸か

 J.Diamondの著書『文明崩壊』中で、文明が平和的に移行しないで、社会崩壊する4つのカテゴリーが明快に表現されています。石油文明に適用しますと、
 ①石油ピークを予見できない    ②到来している石油ピークを認識できない
 ③石油ピークを認識できても解決法がわからない  ④解決を試みても失敗する。
 北朝鮮とキューバは、ソ連崩壊によって、石油ショートを初めて突然に経験しました。

北朝鮮は、専制的な執政の下で、従来の農法を踏襲しました。キューバは石油ショートを認識したとき、有機農法への移行という解決法を持ち合わせていました。政府の政策、科学者と農民の共働で有機農法と地産地消に努め、餓死を出すことなく平和的に文明の転換に成功しました。

 

6.文明のかたちを変えなければ国民の幸福はない
 石油文明を駆動するエネルギー全体のEPRは低下します。経済はマネーの回転で膨張しているにすぎません。石油文明の経済が、国民を物質的に豊かにする能力を失ってきています。そして、自然の収奪、市場の失敗、社会の劣化が拡大しています。

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