(第4章) 化石燃料で特異成長の人類文明       (要約)現代石油文明の次はどんな文明か

(要約)現代石油文明の次はどんな文明か     
   (第4章) 化石燃料で特異成長の人類文明

1.森林資源と化石燃料

化石燃料の石炭、石油、天然ガスと森林には重要な共通性があります。どれもが、炭素が主で、適当な割合で水素や酸素を含有する有機資源であって、太陽光由来のエネルギーです。重要な差異は、森林は正しく管理すれば生態循環によって再生可能な資源ですが、化石燃料は絶対的に減耗していく資源です。しかし、森林資源も適正な再生管理をしなければ、減耗・枯渇して、地上に物死の世界、砂漠を残します。

 

2.化石燃料による文明の革新

近代以降、化石燃料を採掘する技術の進歩によって、莫大な余剰エネルギーが獲得され、それを機械動力と輸送動力に利用する文明が拓かれました。19世紀には石炭が全盛で、20世紀の四半期以降、石油が主役になり、文明は世界的規模へ発展しました。化石燃料は工業に最も能力発揮できるエネルギーです。資源の獲得から製造、販売まで効率よく剰余価値の拡大再生産ができる資本主義経済が成立したのは自然なことです。「エネルギーが文明のかたちを決める」わけです。その文明を支える哲学がデカルトの近代合理主義です。

文明の物質的側面は、科学技術によって開拓されます。19世紀になって熱力学の法則、電磁気の法則等の発見から、工業利用の目的で技術開発が進められました。資本家は技術によって剰余価値増大を図ります。1854年にクラウジウスが熱力学第二法則を確立しました。しかし、その本質のエントロピー増大の原理は無視されています。‘閉じた空間で物質・エネルギーの変化は、拡散・死滅に向かう’が、‘忌み嫌いたい真実‘と映るのでしょう。

資本主義経済は交換主義を発展させます。近代経済学の父アダムスミスは自由な交換が諸国民の富を生み出すと論じました。交換の対象が、製品、労働、土地(天然資源を含む)だけでなく、貨幣も交換商品になっていきました。

資本主義が展開するにつれて、資本と労働の矛盾が深刻になっていきます。K.マルクスは、「資本論」で資本の運動論理を示し、資本と労働の関係を逆転させる共産主義を提起しました。それは「科学技術によって生産力が限りなく成長し、共産主義によって豊かになれる」との考え方に基づいています。すなわち資本主義同様に、地球資源の有限性、エントロピー法則を無視しています。これでは共産主義と資本主義は同じ地球観です。

 

3.エネルギー革新:石炭から石油へ

石炭の余剰エネルギー革新はイギリスで発祥しました。ジェームス・ワットが1764年に発明した蒸気機関を使って、余剰石炭が飛躍的に増大しました。コークスによる製鉄が発展、織物等がマニュファクチャーを経て、工場制機械工業へと転換しました。この間に資本と労働の分立、作業の分業により生産が促進され、資本主義経済へと移行します。さらに蒸気機関車、蒸気船が出現し、輸送革命が起こり、‘近代文明のかたち’が決まりました。

石炭に次ぐ革新は石油の余剰エネルギー革新です。ドレーク1859に、米国のペンシルベニア州で機械掘によって、少量のエネルギーで大量の石油の自噴生産に成功しました。1863ジョン・D・ロックフェラーが石油精製業の開業、1876N.オットーがガソリン内燃機関を発明して、石油が産業革命の主役に踊り出ました。石油文明の黎明です。

 

4.石油文明の成長・成熟

内燃機関の発明によって、石油が輸送動力、定置動力の雄となりました。石炭は外燃機関にしか使えません。石油は火力発電などの外燃機関の燃料にもなります。石油化学は石炭化学も圧倒します。石油由来製品は、燃焼、輸送燃料、定置動力、電力、原材料、医薬品、農薬など、あらゆる分野に広がり、石油漬けの「石油文明」が成長していきます。

20世紀になって、ガソリンエンジンによる飛行機が発明され、1912年には船舶の内燃機関化も本格化しました。これで石油は文明の輸送手段を陸・海から空へ成長させました。並行して1880年代よりトーマス・エジソンが一連の電気器具を発明しました。電力産業が勃興し、石油文明はより高度に成長します。

近代文明は資本主義が経済のベースですから「恐慌」がつきものです。1929年に世界大恐慌が襲いました。当時は東テキサス、中東などの陸上でEPR100に至る超巨大油田が発見されたころで、世界大恐慌を早期に克服することができたのだと考えます。

≪文明繁栄期≫

第二次世界大戦は、石油エネルギーと石油由来製品を最大限に駆使した大戦で、究極の兵器である核爆弾の製造・投下で終結しました。大戦は欧州の没落と米国のひとり勝ちでした。米国は連合国の中で圧倒的な石油産業国でした。

戦後復興は米国とソ連の冷戦の構図の中でなされました。自由主義陣営では、無傷の米国が驚異の経済発展を進め、その影響下で西欧と日本の復興がなされました。その駆動力は、米国が主導するブレトン・ウッズ通貨体制と、中東で国際石油資本によって発見された超巨大油田からの石油余剰エネルギーにあると考えます。

米国では石油が無限にあるかのように、大量生産・大量消費・大量廃棄という特異なタイプで石油文明が発展しました。60年代末頃まで西側陣営の石油文明は全盛を極めました。

しかし、1970年代になって米国の石油文明が変調してきました。1971年に、アメリカ国内の石油生産がピークに達し、石油輸入量が急増しました。並行してOPEC諸国が、石油価格決定権を次々に支配し、油田国有化を進めました。米国の国際石油支配力の低落です。

米国は、ベトナム戦争などで財政赤字と貿易赤字に陥りました。そして1970年にニクソン大統領が金・ドル兌換禁止、変動相場制を宣言し、ブレトン・ウッズ通貨体制が終結しました。世界石油文明の王者の米国の地位が弱まり出したことを物語っています。

≪文明の変調期≫

1971年の米国の石油ピーク後、第一次、第二次石油危機が発生し、1986年まで石油価格は現在価格換算で4590ドル/バーレルの高値で推移します。この間、米国の経済は停滞し、救済のため1985年「プラザ合意」がなされました。ドル安の協調介入です。石油価格はバーレル当たり20ドル前後に低落して1999年まで推移し、その後上昇に転じて、2005年の石油ピーク到来以降は、価格の高騰が続きます。

1970年代に米国の石油支配力が低落し経済が低迷するのに符合して、石油文明の変貌が経済のかたちの変化に現れます。1980年代には工業社会から脱工業社会へ転換、1990年代からは情報社会へ転換、そして金融資本主義とグロバリゼーションが謳われていきます。

1987年に発見量が年消費量を下回りました。以降、その差が広がる一方です。石油文明の全盛期は石油の埋蔵量を食い潰していく最終局面に入り、約20年後の2006年に石油埋蔵量減耗の時代から石油生産量減耗の入口、すなわち石油ピークの時代に入りました。

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