原発をとめねばならない
|シフトムの読者ならば、もったいない学会の面々が福島県双葉郡川内村の「獏原人村」を訪れたことを覚えているにちがいない。「獏原人村」で実践されている低エネルギー生活が見学され、次のような報告が記されている。
石井吉徳 「幸せはお金で買えない、縮小の世紀に思う」 2010年12月15日https://shiftm.jp/shiftm/show_blog_item/64
田村八洲夫 「縄文人と立体農業に見る「ポスト石油・永続的社会」の思想的な原点」 2011年02月20日 https://shiftm.jp/shiftm/show_blog_item/84
石油減耗時代に即したライフスタイルを実践していた「獏原人村」がある福島県双葉郡川内村は、ちょうど東京電力(株)福島第一原子力発電所がある福島県双葉郡大熊町に接するロケーションである。多言を要さないだろう。旧約『ヨブ記』さながら、義人に降りかかった苦難を看取せざるを得ない。
さて、福島第一原発は6機の原子炉を擁し、運命の平成23年3月11日には1~3号機が運転中、4~6号機は定期検査で停止中であった。大地震発生後直ちに、運転中だった原子炉は緊急停止し、また、格納容器を有する構造上、チェルノブイリのような運転中の爆発事故は免れた。だが、地震後にやってきた大津波によって、冷却系が機能不全に陥ってしまった。核分裂の連鎖反応を止めることはできたが、原子炉自体は過熱し続けることになったのだ。このため、金属の腐食が進んで水素ガスが発生、1号機と3号機は水素爆発を起こし、建屋はひどく損壊してしまった。
米シンクタンクISISの衛星画像 http://goo.gl/t6R7T
だが、なおも与謝野馨経済財政相は3月22日の閣議後記者会見で「石油が希少資源になってきていることや環境問題などを考えると、将来とも原子力は日本社会や経済を支える最も重要なエネルギー源であることは間違いない」と語ったと伝えられる。はたして石油減耗時代に原子力の維持管理は可能なのか?私にはそれが疑問である。
目下、自衛隊、東京消防庁、三重県の土建業者の方々が福島の事故現場に駆けつけて、ポンプで汲み上げた海水を使って冷却しながら被害の拡大防止に懸命に努めてくれている。このような応急処置が可能なのは、現在はまだ化石燃料が十分に入手できるからである。だが、原子力発電所は僻地にあり、従業員のマイカー通勤や重い部材の輸送は石油文明を前提とした営みである。すでに石油減耗時代は幕を開けており、今後はEPRの低下と共に急激に石油の入手可能性が小さくなることが予想される。加えて、わが国の対中東貿易は大赤字続きだが、基軸通貨ドルの不安定化が叫ばれ、とても心許ない状況だ。そのようなことをあれこれ勘案すると、どうも与謝野大臣の見解に反して、石油減耗と共に原子力発電所の維持管理はますます難しくなるように思われる。
この度の大惨事は、大津波によって冷却装置が使えなくなったことで、制御可能だと考えられていたことが制御不可能になって招かれたものだが、「想定外」の大津波でなくとも、石油減耗の深化と共に制御不可能な事態に直面することが懸念される。この度の大惨事から学ぶべきことは、たとえ原子炉の稼働を正常に停止した後でも、冷却のためのコストを払い続けることができなくなれば、放射性物質が飛散する大惨事を招き得るということである。今すぐ日本全国津々浦々にある原子力発電所を段階的に全廃する方向に舵を取らないと、十分な石油が手に入らなくなるや、ヒトが住めない国土になってしまうだろう。