「天災はまた繰り返される」のでしょうか
|寺田寅彦(1878~1935) 東京大学物理学科卒、教授、地球物理学者。多くの自然科学的な随筆を残し、漱石の「我輩は猫である」の水島寒月君としても知られる
寺田寅彦のことばとされる、「天災は忘れた頃にやってくる」、名言ですね。
地震は執拗に、保守的にその習慣を忘れずにやってくる。それを人間はすぐ忘れる。そして文明が高度化すると、益々災害に脆弱になる。地球上、地震、台風が繰り返しやってくる災害大国の日本だが、江戸時代まではその危険を忘れなかった。古い宿場はいつも残った、神社も決して災害の歴史、経験を忘れず、安全なところに作られていた。
3・11の結果、それを改めて自然科学者は思い知らされている。
だが明治以来の技術過信近代人間は、地震の少ない欧米文明をただ信奉し、鉄道なども災害も考えず、ただ引いた。そして作られた停車場、その周辺の集落、町だった。関東大震災後、寺田は横浜から鎌倉まで踏査し、そのような停車場とその周辺を自然が選んだように破壊しているのを見て、自然軽視、技術過信の文明を警告する。人間は益々災害に弱い社会を作る、脆弱性は「文明の進歩」とともに拡大、加速すると述べている。
正にそうだ、と思うしかない。東京、首都圏への機能集中化、高層化、国家中枢の過密集約化、恐ろしいほどである。関東大震災はいずれ必ずくる、自然の習慣は執拗にくり返される、文明進歩と共にその被害規模を拡大して。
地方分散は、その意味でも不可欠、危険は分散するしかない、自然は人間の被害などかまってくれない。技術過信人間にはそれがわからい、おそらくこれからも。
3・11は今までの歴史になかったことが起こっている。原発の大災害だ。それも「自ら招いた」のである。一箇所集中の原発群、安全神話を国民に押し付けながら、いつの間にか自らも信じ込んで。愚かにも、地元は落とされる膨大なお金に目がくらんだ。
この私の警告も、寺田がかって嘆いたように、多分無視されるでしょう。それが人間というもの、だが悲しいですね。