未曾有の二重大災害に見る無責任の一端と原発の行く末

「想定外」は止めよう

 未曾有の東北関東大震災、そして福島第一原発の大事故に、その事態把握と情報公開の遅れ、説明の曖昧な状況が続き、国民の政府、関係機関に対する不信が続いている。
中でも、説明や意識の中に「想定外」が未だに顔を出し、放射能汚染に対して「直ちに危害ない」との表現が続く。
 「M9だったから想定外の津波」というが、無事であった福島第2原発、軽症の女川原発と関係して詳細な説明はない。

専門家、政府筋が、「想定外」と言っても、免罪されるわけはない。世界一の津波防潮堤だから大丈夫と説かれ「想定外はない」を信じていた多くの人々が、無念に犠牲になった。その魂を蔑ろにするような言動は慎むべきである。

「自然は、科学で永遠に知り尽くせない。工学技術で征服できるはずがない。」ことを肝に銘ずるべきである。少なくとも人命に関わる原発などについては、そのような謙虚さ、自然を畏敬する念が、人一倍に必要であった。この二重の巨大災害に対して、専門家と政府には、結果責任が及びはずである。 

「直ちに危害ない」では説明にならない

放射性物質の被害には「直ちに危害ない」しか言わない。説明不足を顧みないで、「過剰反応するな。風評に惑わされるな」と言うのみである。国民はレントゲンのような外部被曝量との比較・安心でなく、内部被曝による将来発病を心配している。

 どれだけ食すれば危険なのか、嬰児、幼児の場合、どうなのか、説明がない。今朝になって初めて、幼児の許容量は大人の3分の1との報道に触れた。妊婦、嬰児には未だ。報道に琴線に触れる気配りがない。
 
放射性物質汚染の事態は、じわりと悪化している。 野菜汚染の広がり、22日朝になって海洋汚染が発表されたが、もっと以前に誰もが予想でき、報道できたはずである。 

原発の行く末——–化石燃料とともに去ろう

22日中に、冷却循環システムの電源が復旧した。冷却機能が完全に復旧して5年ぐらい安定運転を祈るばかりである。その後に廃炉作業、これがまた、時間と危険を伴う。

日本の原発には毎年定期検査の義務があるので耐用年数の法規制はないとのことである。危険物なのに奇妙なことである。

 しかし、40年稼動が、世界の通念にも符号して妥当だと思う。定期検査を繰り返しても、構造物は劣化していく。無理やり引き延ばすと、その分、事故リスクも増える。30年後には国内55基の殆どすべての原発は老朽化のレベルになり、廃炉にせざるを得まい。
 2040年代は、ちょうど、石油が殆ど使えなくなるであろう時代である。

原発には、発電停止しても冷却循環用の非常用電力供給施設が必要である。大災害時には他からの送電停止もあるので、原発に隣接設置し、即時使用が求められる。発電燃料は石油系しか考えられない。毎年の定期検査は、化石燃料(石油・ガス・石炭)がないと出来ない。廃炉とは最終的にはコンクリートで封鎖することである。
 化石燃料がないと廃炉作業も出来ない。
原発の消費期限とその後の社会のエネルギー

要するに、原子力発電は、建設、発電、廃炉の全体に亘って、石油、天然ガス、石炭がないと駄目な「化石燃料依存型エネルギー」である。
日本は大災害の多い国土、立地環境も災害を受け易いところが殆どである。さらに必要不可欠な化石燃料を外国依存している。原子力発電で、日本社会の安心、安全、安定が、今後数十年に亘って維持できるものではないと考えた方が良い。

子供、孫が一人前になった頃、原発も石油も、すなわち電力もガソリンも乏しい時代である。
太陽光発電の設備生産に、相当な化石燃料と電力が必要であり、太陽光の電力、自然エネルギーで代替はできるものではない。

省エネルギーでは済まない、生活と経済のスタイルを変えて、徹底した低エネルギー化が求められると考える。そのような社会へ、国民の絆と英知でどう軟着陸するか。

この未曾有の二重大災害の機会にスタートすべきだと考える。

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