有限感

米国のシェールガス革命
米国ではシェールガス革命と呼ばれる原油生産ブームが起こり、ついに原油の生産量が輸入量を上回ろうとしている。シェールガスのエネルギー収支比(=「得られるエネルギー」/「採取に必要なエネルギー」、Energy Profit Ratio(EPR))は低く、コスト高であることは明らかだが、原油コストがバレルあたり100ドルとなっており、ペイできる状況にあり、生産が加速されている。
 

EPRが低いということは、シェールガスの「採取に必要なエネルギー」が増え、残る「余剰エネルギー」は少ないということである。生産量として記録される「得られるエネルギー」は増えているのに、社会に回るエネルギーは増えないことも予想される。

 
しかし米国の場合、シェールガス開発は経済を浮揚させる効果がある。なぜなら、生産現場は米国内だからである。つまり採取という仕事は米国内で行われているので、「得られるエネルギー」全体が米国の産業となっているということになる。EPRが低く、採取にエネルギーを費やしても、採取そのものが米国の経済活動になっているのである。高い石油の売上金は、米国の生産者側に勤める人間が受け取ることになる。
 
これに比べ日本は、石油の生産現場がほとんどないため、石油の採取という仕事はほとんど無い。EPRが下がれば、採取に必要なエネルギー分のコストが上昇し、その分のお金を支払う。そのお金は海外の石油生産者の懐に入り、日本の産業とはならない。
 
 
有限感
産業を大きく、「資源・エネルギー生産」、「農業生産」、資源・エネルギーを原料として付加価値を高める「加工・流通・サービス」の3つに大別する。レトルト食品づくり、住宅建設、自動車製造は「加工・流通・サービス」に入る。資源・エネルギーは有限であり、生産ピークがある。農業生産も、土地は有限であり、太陽光も一定で増えないので、再生可能であるが指数関数的な成長はしない。一方、加工・流通・サービスはアイデアや技術を柱にしているので、「無限」成長の可能性がある。つまり、資源・エネルギー生産者は有限感を持っているが、加工・流通・サービスの従事者は有限感が相対的に希薄である傾向がある。
 
 
米国は産油国であり、エネルギー生産現場を持っている。農業は自給率100%を超えており、輸出国である。またIT産業、医薬品産業、半導体産業といったサイエンス型の加工産業も存在する。つまり米国においては「資源・エネルギー生産」、「農業生産」、「加工・流通・サービス」の産業が存在する。米国内では有限感を有した人々と、有限感が希薄な人々が混在していると思われる。
 
日本は主に加工産業によって外貨を稼ぎ、石油を買っている。当然有限感を持ちづらい環境にある。「石油は買ってくれば良い」と思い、そのためには「無限の可能性のある加工産業でがんばれば良い」という議論になる。この現れが、技術信奉であり、加工産業のてこ入れ政策である。しかし資源・エネルギーが生産ピークとなれば、加工産業も減衰する。加工産業だけに頼っている国は、仕事場を失い、崩壊する。
 
石油ピーク後の世界では、自国内でエネルギーや農業生産をすることが、国の崩壊を防ぐために必須ということが分かる。国内で生産するものであれば、EPRは多少低くても、仕事場を提供することになる。
 
日本における課題は、「いかに有限感が持てるか」ということになる。有限感があれば産業構造も変わるであろうし、国の政策も変わるであろう。
 
地球は有限である。まず地球を知ることから始めたらどうであろう。

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