世界はすでに石油供給減耗時代?(1)どのように行動するべきか
|原油価格は高止まり、石油製品の国内での価格もさらに高騰を続けています。石油確保を目指す大国の姿勢は傍若無人とも言えるもので、一層不安をかきたてます。
このような状況を見るともはや石油ピークが来たというような段階ではなく、すでに石油供給が徐々に減っていくような供給減耗時代に突入したのではないかという感慨すら覚えます。
このまま進めば世界中で石油確保のための紛争が頻発し人類の破滅にもつながりかねません。しかし現在の社会にはそのための対策を話し合うなどという雰囲気はまったくなく、相変わらず経済成長がなければ未来が無いなどという論調のみが出回っています。
今後の日本の取るべき社会の姿はもったいない学会の石井会長の提唱するプランBが基本となるのでしょうが、その具体的な形と言うものはまだ見えるようなものにはなっていません。
あと何年でそれを具体的な形にして、さらに成し遂げるまでを何年先までに実現しなければならないか。そのような具体的行動ブランが必要なのは言うまでもありません。
しかしそれは石油の供給の正確な見通し、天然ガスや石炭の使用法と埋蔵量、その他の代替エネルギーの状況により大きく変わってくるので、プランを具体化する上での不確定要因が多く、策定には大きな困難を含んでいますが、しかしそれを横目に事態はすでに大きく危険地帯に入り込みつつあるのではないでしょうか。
少々大胆すぎるかもしれませんが、石油供給に期待しない社会というものを例えば30年先までに構築しなければならないと仮定しましょう。これは正確ではないにしてもそれほど見当違いな設定でもないものと思います。そして誰かが何時かは決めなければならないことです。
ただし、それほど短期間であればまだ多くの石油が残っている可能性が強いと言う反論は当然強いでしょう。
しかし、「なぜ石油を使わないまま残してはいけないのでしょうか」
残しておけばもしかしたらあと数百年先に現代よりはるかに良い使い方を開発できるかもしれません。無くなってしまえばそのような可能性もすべて失われます。現在の世代だけですべてを使い果たさなければならない理由など何もありません。
そして、「石油供給に期待しない社会」というものはおそらく数百年以上にわたって安定した社会であるはずだからです。できるだけ早くそこに移行するということはプラスばかりで、マイナス要素はありません。
「石油に期待しない社会」というものを作るための当面の目標は「石油供給に依存することなく、また他の化石エネルギーもできるだけ使わない社会」を構築することと言えるでしょう。これがこの先の「無石油社会」のイメージであるかと思います。そこでは石油がまったく無いわけではないものの価格は高騰しており事実上使用不可能となります。また、天然ガスはすでにほとんど無くなっているでしょうが、石炭はまだかなり残っている状態かと思います。
その他のエネルギー源では水力・地熱は若干の量が確保できるでしょうが、太陽光発電や水素等々の中にはご承知のとおり使い物になるものはないでしょう。
すると現在のほとんどの産業は現状のままでは存続不可能でしょう。エネルギー無しに操業できる現代産業は有得ません。工業や運輸だけでなく、農林水産業もすべて含まれます。
それを直視できない人達は代替エネルギーの開発と言うものに期待をつないでいますが、どれだけ研究費を注ぎ込んでも現在のエネルギー依存の産業を支えるようなものはできるはずもありません。それだからこそほとんどの人が石油減耗というものを正確に認識することも避けるような心理状態に陥ってしまうのでしょう。
ただ一つの救いはそういった事態に進むのは少なくとも”今すぐ”ではないということです。石油ピークがやってきたとはいえ、まだ良質石油だけでもこれまでに使ってきた量と同程度はあるそうです。それを大切に使いながら徐々にあらゆる産業を変化させていけばできるだけ混乱を少なくしながらプランB社会への移行を可能にできるかもしれません。
しかし、それもあくまでも目標に向かって進むことが条件です。産業構造もエネルギー依存体制から脱するという道を忘れてはいけません。中には存続を早めにあきらめるという産業も多いのではないかと思います。これもできるだけ早く決断しなければなりません。早ければ早いほど先での激動を避けることができるでしょう。
産業存続をあきらめるということは、企業の業務を変更するだけで済めばよいのですが、実際は廃業が伴うでしょう。それほど大きな変革をしなければ社会変革はできないということです。
産業が存続できないということは、製品も供給できないと言う分野が多いものと考えられます。そのような製品自体が存続不可能になると言うことです。自動車や電気製品、プラスチック製品など現代文明を象徴するような多くのものが含まれるでしょう。
そのような製品が無くなった社会に耐えられるかどうか、不可能と思う人は多いと思いますが不可避であると思います。
そこに向けた社会変革の開始はできるだけ早くないと摩擦が大きくなるばかりとなりますが、それは現時点でもすでに遅いかも知れません。しかし、とにかく今後できるだけ早い取り組みができるかどうかが、日本という国、そして世界が平和に、無事に「脱石油文明」に移行できるかどうかの分かれ道かもしれません。