スイスから学ぶ日本の道 ―徴税は地方―
|スイスの政治体制と社会体制
スイスは、26のカントンと呼ばれる州からなる。カントンは19世紀半ばまで、独自の軍、通貨を持った主権国家であった。一つ一つが徐々にスイス連邦に加盟していき、現在の連邦制度になったのは1848年である。現在のカントンは数万から十数万人規模の小都市とその周辺の農業地域からなっている。ジュネーブ州の場合、人口は約44万人、ジュネーブ市が人口18万人の州都であり、カントンの中心となる小都市となっている。スイス連邦に加盟したのは1815年である。
スイスは穀物栽培の適地が少なく、輸入せざるを得なかった。昔、外貨を稼ぐ産業が無かった時代、他国のために戦う傭兵が産業となった。自分の血で食料を確保したのである。この歴史がスイス人の自立心を育んだ。
スイスでは農民と工業労働者が混合した形態をとったため、小規模工場が多数発生し、大量生産ではなく高度な技術による手作りの工業が発展した。地域で生産したエネルギーは、地域の生産活動に使っている。
このような歴史を背景に、政治体制は独特なものになった。連邦政府は、代表権、外交、国防、税関、郵便、鉄道、電話などの大規模な国営事業を担当する。一方、カントンは司法、教育、税務、保険などを担当している。法人税、所得税などの直接税の徴収はカントンに任されており、所得税の7割は連邦政府予算になるが、残り3割はカントンの手元に残る。カントンの予算は、地元の人々の所得税、住民税の他、法人税、相続・贈与税、不動産税などで、豊かである。歳出の規模は、連邦政府からカントンへの補助金を含めれば、カントン全体が連邦政府の3倍にも達する。
国のガバナンスは、「半」直接民主主義である。「半」とは、半分は連邦政府とカントンそれぞれがもつ議会、半分は国民という意味である。つまり政策決定は、連邦政府とカントンの議会と、連邦政府における国民投票、カントンにおける住民投票、町村における住民投票によって行われている。
その結果、スイスのカントンはそれぞれ人間集団の基本生活を営むための要素を有すバイオリージョンとなった。時計などの精密機械、観光、水力などのエネルギー生産、金融、チーズやワインなどの食品加工など、その地域独特の産業が栄えた。それぞれのカントンは自給できないものだけを、お互いに交易によって補っていった。その意味でスイスは真の連邦国である。
日本の今
現在の日本は、海外からエネルギーや原材料、食料などを輸入し、大都市周辺に運び、さらに地方からエネルギー、食料、人材を集中させて工業生産をおこなっている。安い石油が豊富にあり、エネルギーを大量に投入することが可能だからこそできる生産方式である。
江戸時代の日本の藩は、藩札があり、経済もそれぞれの藩で独立していた。つまり藩がバイオリージョンであった。しかし、江戸時代は徳川幕府による強固な封建制下に有り、藩の存亡のため強制的に作り上げられた社会である。農民、商工自営業の下層一般人社会では、他藩との生産物の交易や労働力の移動もほとんどなかった。江戸時代の封建制度に暗いイメージがあるとすれば、この閉鎖性であろう。
明治になると、廃藩置県となり、藩で政治を行っていた人々は中央に集められ、中央集権国家となった。地方から中央へ物、人、エネルギーが流れ、江戸時代のバイオリージョンは崩壊した。それ以来、官僚支配が進み、強固な中央集権国家となった。
その結果が、大量生産、大量輸送、大量消費の体制である。地方はその体制に寄与するため、画一化された。
日本を守るために、どうすれば良いか?
大量生産、大量輸送、大量消費の時代は、石油ピークとともに終焉する。日本の社会体制を至急変えなければならない。それはバイオリージョンの再構築である。
日本はどうすれば良いのか?
その答えは、スイスの政治体制にある。つまり、明治維新のように、政治体制が変われば、生産体制も変わるはずである。次が、著者が提案する政治体制である。
・直接税は地方がすべて集め、中央政府に必要額を渡す
・司法、教育、税務、保険は地方に、代表権、外交、国防、税関、大規模な国営事業は中央に分業