人類文明の足跡に日本文明の価値を観る(1)

1.文明はエネルギー・森林・人智で創られてきた
文明とはどういう意味でしょうか。文化とはどう違うのでしょうか。「広辞苑」「大辞泉」、その他ネット記事を参考にして、次のように整理してみます。文明とは、人智が進んで物質的、精神的に生活が質的に豊かになった人間社会の状態のことです。衣食住に使う基礎代謝的エネルギーを除いた余剰エネルギーが豊富であって、それを人智で利用することによって技術、道具・機械、交易の発達や社会制度の整備などの物質的所産と合わせて精神的な所産が豊かな状態が文明です。そして文化とは、文明の中で産み出された道徳・宗教・学問・芸術、風習・伝統・思考方法・価値観などの精神的所産であって、物質的な所産の形成に寄与しうる人智になります。  
さて、文明の成立と維持には、余剰食糧をはじめとする余剰エネルギーの獲得と人智の進歩が前提です。したがって余剰エネルギーが不足してくると、また余剰エネルギーを使う人智の働きが不適切だと、歴史が教えているように文明は収縮し、衰退していきます。また人智に巧みさが不十分だと、他の文明と衝突したり、征服されたりします。
どの時代でも森林は人々の衣食住を満たすために必要です。そして森林が文明の余剰エネルギー資源として持続的に存在していることが文明存続の要件です。しかし歴史上のほとんどの文明は、四大古代文明も、イースター島文明も、人智の浅はかさによって森林を枯渇させて文明崩壊に至りました。森林の枯渇の痕に残るのは砂漠です。4000年前頃に黄河文明は終焉しましたが、最初の王朝とされる「夏」は国土の50%の森林の保護に努めました。その後、森林乱伐とともに文明は衰退して春秋戦国時代になり、大地は砂漠になっていきました(下写真:きこりのホームページ:
www.kikori.org)。  砂漠は生態的に、気象的に死んだ「何もない

ところ」(アラビア語:ルブアルハリ)」、地上でエントロピーが最も高い土地のひとつです。
人智の働きを動機づけるのがヒトの欲求です。欲求にはいくつかのレベル、本能的・利己的なものから理性的・利他的なものまであります.本能的・利己的な欲求によって人智が支配され易いですが、理性的・利他的な人智が働いて文明が継続した社会もあります。
石油文明の今日も人智の過ちの反省なく、地上で残された森林、熱帯雨林帯の森林が多様な生態とともにその消滅が進行し、文明を継続する環境を自ら狭めています。理性的・利他的な欲求に基づく人智が発揚されるべき、人類にとって最も重大な時機だと考えます。
一方、「文明の精神的な所産」である文化は、物質的な文明が消滅しても、文化が民族や国民のDNAとして、時代を経て子孫に継承される特質があります。逆にいうと、他民族によって征服されて文化支配を受けると、固有の文化のDNAが絶やされかねません。日本民族の文化の遺伝子(DNA)は、縄文文明のなかで醸成され、刷り込まれました。弥生時代に入ってから、他民族から何度かの文明的攻勢を受けて今日に至っています。しかし固有のDNAの重要な部分である‘日本列島の風土との共生と自然畏敬「多神祀」表現’の文化が、かえって進化して日本人の民俗として脈々として生きています。

2.人智が余剰エネルギーを使って文明を作った
バクテリアから霊長類まで、そして植物を含むすべての生命体にいえることですが、地球上の生命体は、環境にあるエネルギー(光、熱、大気成分、水、養分など)をそれぞれに必要なかたちで摂取します。先ず自己の再生産のエネルギーとして消費し、残ったエネルギー、すなわち剰余エネルギーを用いて、成長、増殖、そして生存競争等を行っています。
  当然、人類も同じで、環境に対して「行為」を通じてエネルギーを摂取します。そのうち自分自身の再生産に消費し、残りの剰余エネルギーを、自己と家族、集団グループの成長、そして人智を働かせて環境の恐怖(災害、外敵)からの防護、創造的な活動に使用しています。
  余剰エネルギーを集団社会でみると、社会の維持管理に要するエネルギーと社会の進歩に使える自由裁量エネルギーとに分けられます。自由裁量エネルギーが社会の文明を発展させていきます。もし、社会として人々の身体再生産エネルギーまで不足してくると飢餓が生じ、そして人口の激減、社会の消滅に至ります。

3.グレートジャーニーが人類文明を拓く  
最新の人類学によりますと、700万年前に東アフリカで、人類の祖先は直立二足歩行の「猿人」として誕生しました。森から歩行に向いたサバンナ草原へ生活の場を移し、自由になった手で木枝の棒切れや石片を「道具」として使いました。人々が手をつなぐことによって思いがつながり、助け合いの心が育ちました。そして360年前のアファール猿人の足跡化石の学術検討から、猿人が家族を構成し、少なくとも家族愛という心の働きが備わっていたと推定されました。猿人の脳容積は400cc~500ccとのことです。
150万年前に東アフリカで、猿人が「原人」に進化し、脳容積600cc~900ccまで発達しました。原人は道具を作り、火を使用しました。そして、東アジアにまで拡散(ジャワ原人、北京原人)しました。 50万年前に東アフリカで、原人が「旧人」に進化し、その代表格であるネアンデルタール人の脳容積は1000cc~1400ccになりました。旧人は道具を作りました。音声言語、すなわちコミュニケーション能力を獲得していたと推測されています。そして死者の埋葬やネックレス等の遺跡から、心の働きが我々と同様の水準であったと推定されています。旧人はユーラシアに広く拡散しましたが海を渡れなかったとのことです。
約20万年前に東アフリカで、旧人の一種から「新人」、我々の直接の先祖であるホモサピエンスが進化しました。その脳容積は1,200cc~1,500ccで、我々と同程度でした。ホモサピエンスには、それまでの人類進化で獲得した遺伝子、‘火を使う、道具を目的に合わせて作る、家族愛や心を使う’を引き継ぎ、その上に「創造性ある精神構造」(馬場悠男:国立科学博物館名誉研究員)が備わっていました。まさにサピエンス(知恵)ある人類です。
ホモサピエンスは6万年前から、東アフリカから世界全体へ拡散していきました。増加する人口圧に押されて狩猟採集の獲物を求めて拡散の旅をつないでいったと考えます。日本列島へは4万年前に到来しました。大型動物を追ってシベリアへ、さらにベーリング海峡を超えて南アメリカ南端へ11,000年前に拡散しました。
 この拡散の旅は大方がウルム氷期の最中で、獲物の少ない時代です。ホモサピエンスは、狩猟有効な道具(槍、弓矢)を創作し、防寒防暑のために衣服と住居を創意工夫して環境に適応しました。各地にある洞窟壁画は狩猟の工夫や感謝の表現なのでしょうか。精神的活動が芸術の水準に達していたことになります。
 ホモサピエンスはグローバルな拡散において、衣食住にわたって合目的的に技術革新が進み、心の働きが発揚しました。そして人類社会が未開から文明に移行する時代、余剰食糧を作り、余剰エネルギーを創造的に活用する新石器時代を切り拓かれました。

4.人類の文明は土器発明に始まる
 
地球が後氷期になって温暖化が進むにつれて、変貌する地勢や生態に適合して、人々の生活が高まっていきました。そして約10,000年前頃、人類の多くは新石器時代に入りました。
  大陸との陸続きだった日本列島が沖に浮かぶ花綵列島になったのも同じ頃で、縄文時代の草創期にあたります。新石器時代の重大な特徴は、狩猟・採集型の遊動生活から牧畜・栽培型の定住生活への転換です。道具としては磨製石器・穿孔具への進歩、および土器を発明です。縄文の穿孔技術は現代のレーザー技術に劣らないほど正確(志村史夫「古代日本の超技術」)とのことです。日本の土器が最古という説がありますが、当時の誰か秀才が、粘土の化学変化を発見し、土器製作を発明しました。
  土器は、水瓶、食料の煮炊き、食料貯蔵の容器として使うことができ、食生活を一変させる大発明でした。新しい食生活は、食糧を求めて遊動する生活より適している定住生活への移行を促進しました。定住によって多様な植物栽培が可能となり、肉食偏重から雑食に移行するよって栄養源の量と質を革新しました。果実酒に代表される発酵の化学変化も発明し、生活に取り入れました。人々の体力・体質が非常に発達し、同時に食糧の余剰エネルギーが増大しました。
 このように生活が向上してくると、その安定と安全のため、日々自然の恵みと怖れに思いを抱き、自然に願いを掛ける心の活動、文明の精神的側面が発達してきます。そして土器が土偶として精神活動にも使われていきます。
 こうして、土器発明が定住と余剰エネルギーを革新し、精神活動も多様に深まって、人類は未開から文明へと確実に「離陸」していきました。そのように推し量ります。

5.風土と文明タイプの運命
 
人類の生活は文明へと移行しますが、定住する地域の自然環境によって文明の基本的なタイプが稲作漁撈型と畑作牧畜型の2種類に大別されていきます(平野秀樹・安田喜憲著「奪われる日本の森」)。そして、本質的な差異は、漁撈と牧畜の差異にあると考えます。
  稲作漁撈型の文明は、夏に猛暑で降雨量の豊かなモンスーン気候地域で形成されていきました。東アジアの沿岸部、とりわけ大陸に沿って連なる日本列島の文明がその典型です。  縄文時代の日本列島では温暖化で海水面が高い時期が多くて平野部が少ないでしたので、その晩期以前には水田稲作しなかったと思います。
 カロリー源は主として穀樹(クリ、クルミ、ドングリ等)の植林によって、タンパク質は漁撈と森の動物から得ました。森はつねに、人々の恵みの源でした。森があってこそ、海・川の恵みも豊かであることを、早くから学んでいたと思います。森の木々の成育が速い気候であることも恵みです。
  稲作漁撈型の文明は森との共生を維持して、文明崩壊せずに今日まで続いています。畑作牧畜型の文明は、温暖で比較的乾燥した地域で発達しました。古代四大文明のすべて、そしてギリシャ・ローマ文明がそうです。少雨ですからカロリー源には小麦が適しており、タンパク質も気候に適した牧畜(ウシ、ブタ、ヒツジ、ヤギなど)から得ました。しかし牧畜は、畜生の食料源として森林を侵食します。さらに木々の成育速度が気候的に速くなく、その分、森林の減耗が進みました。森林が減耗すると川や海の生態も脆弱になり、森林あっての降雨も減少して、灌漑畑作と牧畜に依存せざるを得ない「負のサイクル」にはまります。その結果、畑作牧畜型の古代文明はすべて、大地を砂漠化して崩壊の運命に至りました。
  どのタイプの古代文明も、森林の恵みを受けて黎明しました。そのため、自然と共生する心が育まれ、精神活動がアニミズム、「多神教」として営まれました。しかしその後の展開について、次のように推察します。
 稲作漁撈型の文明は「自然の恵みと怖れをありのまま受け入れて共生する」との意識のもとで発展し、文化が「自然共生・多神教」の心が基になって創造されていきました。一方、畑作牧畜型の文明では「自然は人間に対立するままならぬ存在」という意識に変わっていきました。そして、「自然とは何か」「何が自然を支配しているのか」、さらに「どう人は自然を支配するか」という思考探索が早くから生まれたのだと思います。それが自然と人間を支配する唯一の超越者の存在、一神教とその文化へと進化と考えます。ユダヤ教、仏教、諸子百家も、自然を砂漠化して滅んでいく古代文明の終焉期に生まれていることが、物語っていると思います。

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