Dmitry Orlov氏の『崩壊の時代にうまくやること』

本稿は、『アメリカの世紀後のためのソビエト後の教訓』『崩壊5段階説』などの著者であるDmitry Orlov氏の2005年のエッセイ"Thriving in the Age of Collapse"を訳したものである。

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 少し前にマット・サビナーから、現況と彼のウェブサイト(訳註: LATOC(Life After The Oil Crash)と名付けられ、2003年冬から2011年春までアクセスできた)の訪問者の関心事に絞った記事を書いて欲しいと申し出があった。彼はまた親切にも三つの素案を出してくれたのだが、そのそれぞれが多くの人々の合成写真のようなものだ。一つ目の素案は若い職業人、次ぎが中年夫婦、三つ目が高校生についてだ。

 私の任務は、ソビエト経済の崩壊後にロシアの人々が気づいた境遇に関する私の知識をアメリカ合衆国の多様な人々のニーズに改作することだった。そして、本稿が私の試論だ。だが、これは現実の人々のことではないことに留意していただきたい。また、私はときどき教育、法、金融、および医療のような問題に詳細なアドバイスをしているが、これらの職業を実践しているわけではなく、私がここに記していることはあくまでも意見であることを忘れないでいただきたい。

 前提とすることは、アメリカ経済が崩壊に向かっており、この過程はすでに始まっており、十数年以上崩壊コースを辿るというものだ。あちこちで調子を上下させながらも、全体としては着実に下降するわけである。その成り行きについて予言も期待もしないが、とても高い確率で私は崩壊に遭遇することになる。さらに、私は崩壊を完全に悪いことだとは考えていない。現在の労働状況には恐ろしい側面があるが、崩壊後の自然環境には素晴らしい側面があるのだ。たとえば、空気ははるかにきれいになるだろうし、交通渋滞もなくなるし、人々は子供や近くのコミュニティの人々と過ごすことのできる多くの時間を持つことになるだろう。野生の動植物も蘇るだろう。地域の文化が復活するだろう。人々は身体を動かすようになり、歩き回り、物を運び、手仕事をするようになるだろう。より少なくより健康的な食事を摂るようになるだろう。まだまだ例を挙げることができるが、それが本稿の焦点ではない。

 そのようなシナリオはある種の人々には突飛な考えだと思われるかもしれないので、なぜそれがまったく起こり得ることだと私が思うのか、概略を述べたい。迫り来るエネルギー危機に割くメインストリームメディアの記事が増えている。現段階では、差し迫った天然ガスのエネルギー供給は問題なく、石油の供給問題もまだ先のことだ、とわずかばかりの人々がまだ論争している。だが、もっと入念に説得的に議論されるべき観点もある。私たちが予期しなければならないことは永続的なエネルギー不足であるということなのだ。それは経済および社会の途方もない混乱を招き、日常生活のパターンを変えてしまうだろう。現在の消費者に好都合な経済はなくなり、おびただしい窮乏と質素によって特徴付けられる自給自足的な経済に取って代わられるだろう。

 このような見解はたいてい、世界の在来型原油の採掘速度が空前のピークを迎える「ピークオイル」の題目の下に提示される。極冠の氷のすでに溶け出しているペース以上に石油生産を加速することは不可能性であり、そのことと黙示録の四騎士の話が何度も繰り返されることの間の関係は、すぐに明白なものではない。だが、明らかにアメリカ経済は、その経済成長の潜在能力への信頼以外のものには何らもとづいていないネズミ講であり、資源とりわけエネルギーをより多く吸い込こみ続けて拡大し続ける間だけ存在し得るのである。たとえ少しのエネルギー不足でもアメリカ経済を蝕むには十分なのだ。ところで、ピークオイルは断じて問題ではない。そもそも有限の地球で無限の経済成長が可能だというのは、バカの見解なのだ。飲用水、新鮮な空気、農地など、他の多くの物理的限界の一つを越えれば、崩壊の引き金が引かれるのであって、それゆえ、維持されてきた石油生産の限界も経済成長を制限する多くの物理的条件の一つにすぎない。

 私は永続的なエネルギー危機の不可避性について改めて論じる必要があるとは思わない。他の識者がすでに説明しているだけでなく、スローガンを叫ぶしか能がない人々との議論に巻き込まれることにもなるからだ。最もしばしば耳にするスローガンは、単純に「石油はたくさんある!」というものから、イデオロギーとして狭量な「自由市場が解決する!」、いくらか含蓄が有りそうでありながら技術的に不可能な「技術が解決する!」、絶えず有望そうで非現実的な「他のエネルギー源が見つかる!」というものまで、千差万別だ。元気づけるようでいながら理性を欠いた、「人々は前にも石油が枯渇すると言っていたが、間違っていた」という常套句さえあり、たとえ非再生可能資源の採掘の歴史であっても歴史はエンドレスで繰り返す、と信じている石油歴史学者ダニエル・ヤーギンによって何度も吹聴されている。この類の皮相的な見解はもうしばらく受け入れられ続けるのだろうが、そのような見解を無視し始めることがすでに極めて安全なことだと私は思う。

 私たちのほとんどが、ありとあらゆるその類の議論や見解を知らないことでかえって幸せであり続けることを好み、私たちのリビドーをあまり意気消沈させない話題に飛びつく、ということは指摘しておく価値がある。世界的に重要な問題を知ることはたしかに義務ではなく、また、有益なことでさえないかもしれない。避けるために何も出来ない災難になぜ悩むのか?何が起ころうと、なぜ太陽の下で日々を楽しまないのか?それでいて、パニックに陥ると、人々の大集団は危険なものになり得るわけだが、私は人々をうろたえさせたくはない。

 関心を持つわずかな人々に関する限りでは、私のあなたへのメッセージは元気の出るものだ。というのは、あなたはまだあなたの運命をコントロールする何らかの方策を試みることができると私は信じているからだ。そこで、もしもあなたが前向きにものごとを考える救いを欲しているならば、読み続けて下さい。そうでないならば、過度に口出しをしないことだ。本稿を読む代わりに、あなたはドライブするなり、買い物に行くなり、昼寝するなりして、気を紛らわすことができるだろう。これらはすべて、とくに眠ることは、あなたにとってよいことなのだから、安心して欲しい。ともあれ、世界的に重要な問題に脅えるよりもむしろ、他の多くの不愉快な不測の事態が人々に早すぎる死を引き起こし得るわけで、あなたは病的に暮らすことを慎むべきなのだ。そして、このプログラムにあなたが参加するかは任意なのだ。

 このプログラムの第一段階は、あなたの視界に迫っていることが経済の崩壊であることを認めることだ。あなたがこれまで考えてきたような経済活動が必需品を供することを終えるということなのだ。あなたが夕方のニュースでこのことを耳にすることはないだろう。また、店の窓に「経済崩壊による店仕舞い」という掲示が貼られることはないだろう。むしろ旧態依然の専門家集団が待機して、繁栄はすぐそこだと主張し、おそらく、ほんのしばらくは効くかもしれない何らかの弥縫策を提示することだろう 。

 経済は、一人、一家族、一つのコミュニティを一度に挫けさせる。まず、夢が消えてしまう。未来が現在よりも悪く、ますます不確かなものに見え始めるのだから。そして、人々はますます甚だしくなる屈辱と窮乏に耐えることを強いられ、人々はそれを個人の失敗として受容する傾向がある。その結果、ストレスが心身に様々な症状をもたらすことになる。私たちの自尊心、私たちの習慣と期待、順応に気乗りしないこと、こういったことが、物理的な困難以上に私たちを死へと導き得る。だが、やがて何かが起こり、たとえ生活が少しも楽にならなくても、ある朝目が覚めると、私たちの生活がすべて見違えるほど変えられてしまうだけでなく、私たちが出くわす誰もが時代は変わったと認識することになる。そして、この変化が私たちにとって個人的な出来事ではないことを認識して、ようやく気が休まるのだ。

 私はこの主題について書くことを適任だと思っている。というのは、私はじかに経済の崩壊を観察する機会を持ったことがあるからだ。私はソ連で育ち、その後アメリカ合衆国で暮らしている。私は、個人的な旅行と仕事で、ペレストロイカの時代、その後の崩壊の最中、そして1990年代の貧しい時代に、ロシアを繰り返し訪ねている。崩壊を目撃したほとんどのロシア人移住者とは違って、私はそこでの経験によってショックを引き摺るよりもむしろ興味をそそられてしまい、多くの人が忘れようとしたのに対し、私は記憶から消し去ろうとはしていない。また、ほとんどのロシア人移住者とは違って、私はアメリカ合衆国とその社会および経済について多くのことを知っており、その致命的な弱さに気づいており、ここで何が起こるのかに関心を持っている。未知のものを恐る恐る見つめるときには、そこにすでに行ったことのある誰かをガイドとして持つことが有益だ。そのようなガイドがいないのなら、あなたはなんとなく似たようなどこかに行ったことのある誰かで間に合わせなければならないだろう。

輸送 

 アメリカ合衆国における石油の主たる用途は輸送である。ひとたび危機が進行し始めるや、人の移動だけでなく物資の輸送についても、利用可能な輸送手段ははるかに小規模になるだろう。輸送は、どんな代価を払ったとしても、公共輸送機関のインフラが不十分なものになって、悪化するだろう。アメリカ合衆国の国内総生産(GDP)は、輸送機関の移動距離にほぼ完璧に比例することがわかっている。このことは輸送能力の激減が経済規模に同じ割合の縮小をもたらすことを示唆する。数年経てば、道路と橋が破損し、たとえ旅行用の燃料が十分に見つかったとしても、移動は遅く困難なものになるだろう。人々は、おそらく季節移動をする程度で、ほとんどの時間じっとしていることを強いられ、また、ごく近くで手に入る物を利用することを余儀なくされるだろう。

 どのようになってしまうのかをあなたが知りたいのならば、あなたが取り組まねばならないことは運転をやめてみることだ。ドライブを減らすのではなく、あなたの車を売り払い、定期的に車に乗ることを拒絶すればよい。これによって移住を余儀なくされるか、あるいは仕事や職業を変えねばならないようならば、あなたはおそらく今のうちにそうしておくべきだろう。他の誰もが同時に自動車を放棄するようになるときには、あなたもそうすることを強いられるのだから。私は数年前に自動車を売り払ったが、私の暮らし向きは悪くはならず、むしろ良くなった。今、私は家から自転車で通勤できる範囲で働いている。毎日少なくとも1時間自転車に乗っているので、身体の調子も良い。自動車の維持費がかからなくなったことで、以前よりもお金が貯まる。もしもあなたにバスに乗って学校に通う子供がいるのならば、スクールバスが走らなくなることを想定しておくことだ。あなたはホームスクーリングに取り組むことができるかもしれないし、あるいは自宅近くに子供が徒歩もしくは自転車で通学できる別の学校を見つけることができるかもしれない。

食べ物と衣服

 現在アメリカ合衆国を席巻しているような消費者社会は、まだ比較的安くて入手可能なエネルギーと、中国や他の国々が私たちに商品を掛けで提供することをまだ厭わずにいる事実に支えられている。(訳註:最近の中露の動向を想起されたい。)この掛け売りはアメリカ合衆国の将来における経済成長という見込みによって保証されているわけだが、すでに高いエネルギー価格によって見込み薄になっている。かくして、エネルギー危機はやがて消費者向け商品の危機へと変転することだろう。

 それゆえ、あなたの練習問題として、すべてのスーパーマーケットと大規模小売店が、軽油、電力および天然ガスの高コスト(および入手可能性の低下)によって破産し、閉店することを想定してみることだ。お店は、地方の農民による直売所、近所の小さな食糧雑貨店、中古品特価販売店に限られることになるだろう。それゆえ、できるだけ少なく新しい物を買うようにする。使えそうな廃品を集めてくる。買い換えるよりも修理する。最低限の食料を栽培したり採集したりすることを学ぶ。もしもあなたが厳格なベジタリアンになりたくないならば、ニワトリやウサギを育てることはそんなに難しいことではない。(訳註:オルロフの読者であるビル・トッテンさんは食用ウサギを育てているそうだ。)米のような主食を買うためには、街中を回って、移民が経営する小さな食糧雑貨店で大量に購入してみることだ。スーパーマーケットがなくなった後でも、この類の店は存在すると確信できるだろう。

住居 

 あなたの賃貸契約または住宅ローンが、その支払いのためにあなたが正規雇用であることを要求するようならば、働き口がなくなったときでさえも維持できる生活に変える方法を見つけなさい。株を売却して小さくても抵当に入っていない家を買うことができるなら、そうすることだ。

 家を暖めることがいかに大変なことであるかに特に注意を払いなさい。灯油、天然ガス、あるいは大量の薪が調達できるとは思わないことだ。また、隣人にもしっかりと注意を払いなさい。近所の人々はあなたが知っていて信頼できる人々だろうか?彼らはあなたを助けてくれるだろうか?警察の警護やエマージェンシー・サービスがあると思わないことだ。もしもあなたが民族紛争の歴史のある地域に住んでいるならば、共通言語を見つけて、誰とでも、文化やバックグラウンドがあなたと大きく異なる人々とでさえ平和を築くことに、あなたはどれほど自信を持てるだろうか?

 あなたの主たる住居が住めなくなった場合に、永久なのか一時的なのかはともかく、逃げ場所を用意しなさい。あなたの準備は友達の家の寝床、あるいは季節ごとに借りるキャンプ場、あるいは野営できるとあなたが知っている場所、はたまた耕作放棄地、のように質素な場所かもしれないが、あなたが移住可能な場所は世界のどこかにある代わりとなる住まいまではるか遠くにも及び得るだろう。

医療 

 医療を受ける必要がある、もしくはそうなる見込みならば、アメリカ合衆国に住んでいることは特有の問題を引き起こす。住民全員に無料で基本的な救急医療を提供しているどこかの国に逃避することさえ検討することになるかもしれないほどだ。アメリカ合衆国は基礎医学を社会サービスよりもむしろ営利産業に位置付けている点でとても特殊なケースなのだ。ここの医療制度は寄生虫になっており、肥大化して無駄が多い。医師たちは不合理な規制と金融負債を負わされている。

 医療と言えば、世界のほとんどの国は、仕事のない医療の専門家、保険コンサルタント、および医療広告の専門家で満ちた医療よりも、よりよい医療を実施している。物凄く貧しい国であるベリーズで、私はキューバ人の医師から迅速で素晴らしい救急医療を受けたことがある。アメリカでは、同じような状況で、8時間救急室で待たねばならず、しかもその後、睡眠不足のインターンに5分ばかり診てもらって、彼はアメリカを除く世界のどこででも処方箋なしで手に入れられる薬のための処方箋を走り書きした。その後、病院と保険会社との間で書類のやり取りが何ヶ月も続いたのだが、病院が救急室利用に加えて医師の診察に支払い請求できるかどうかということでのやり取りだった。明らかに、アメリカの救急室では、医師はオプションなのだ。

 医療制度に依存しなければならないことを避けるために取ることができるかもしれないステップがある。十分な睡眠と運動を確保して不必要なストレスを避け、健康でいるために出来ることは何でも励行することだ。加工食品やジャンクフードは避けなさい。気分が優れないならば、薬で治療しながら計画通りに仕事を進めようとする代わりに、たっぷりと休息を取ることだ。あなたの生命が危険にさらされているのでもないならば、投薬計画なしにして、薬を絶ったときにどうなるか心に留めておくことだ。家族があなたの受ける医療を管理できるようにリビング・ウィル(訳註:「延命治療を望まない」などといった生前の意思表示)を必ず持つようにしなさい。

お金

 もう何十年もアメリカ・ドルは、ずっと大きくなる貿易赤字と財政赤字をものともせずに、その価値を保つことができたわけだが、アメリカ・ドルが原油を買う際に世界で最も使われる通貨だからだ。他の国々はアメリカ合衆国に生産物を輸出することを余儀なくされるのも、それが原油を購入するために必要なドルを手に入れる唯一の方法だからだ。このことはアメリカ財務省にとって継続的棚ぼただった。だが、これも終わりに近づいている。ますます多くの産油国が彼らの顧客とのビジネスに別の方法があることに気づいて、ユーロや食料と原油を交換するようにもなり、アメリカ・ドルは価値を落としている。ドルが減価するにつれて、増え続けている必要不可欠な輸入品の価格が上がり、インフレーションをもたらす。あるところで、インフレーションはそれ自体を焚き付けることなり、ハイパーインフレーションを引き起こすことになる。

 あなたが直ぐに思ったことが「アメリカでハイパーインフレ?あり得ない!」だとしたら、あなただけではない。多くの人々がハイパーインフレーションの可能性について考えることに難儀するが、エコノミストもそういう人々に含まれる。彼らは言う、ハイパーインフレーションは政府が莫大なお金を放つことを要件とし、分別のある政府であれば、そういうことは単純に起こり得ないのだ、と。だが、件の政府は赤字状態で身動きがとれず、自暴自棄の政府がいつもやってきたことをする羽目に陥るだろう。すなわち、御粗末になった税収基盤と干上がった外貨準備にもかかわらず支払い能力を保持するために、債務不履行よりもむしろ債務拡大を選ぶのである。つまるとこと、連邦準備制度理事会の人々だって食べていかねばならないのだ。

 アラン・グリーンスパン連邦準備制度理事会議長(訳註:在職期間1987-2006)は、原油のための支出は経済全体に占める割合においてわずかなので、経済への影響は小さいという見方を表明している。もちろん、彼は正しい。しかしながら、私は、原油価格とは無関係に、原油の量自体が少なくなることに関心がある。というのは、それが経済活動の縮小を招くからだ。私がミスター・グリーンスパンに安心させてもらいたいことは、小さくなる国民経済が大きな国家債務をどのようにして支えることができるようになるのか、ということなのだ。ところで、私には一つのアイデアがある。お金を印刷するということだ。

 ハイパーインフレーションの不可避性を疑う他の者は、労働組合の弱さを指摘し、アメリカの労働者はうまく組織化されていないので、適切に交渉できず、インフレ・スパイラルと共に経済を推進する物価スライド賃上げを獲得できない、と言う。このように考える人々は、労働者は日々の通勤のためにガソリンを買っているというのに、給料が丸々消えても働き続けるこができるとでも考えているように思われる。彼らは私に、馬が食事をしないように訓練して、ほとんどうまくいったところで、不幸にも馬を先に死なせてしまった伝説の農夫を思い出させる。為される必要がある仕事を持つ者は、誰かがその仕事をすることが物理的に可能な状態にしなければならないのだ。

 この国にはまた多くの人々がいて、経済活動という食物連鎖の上位にいる、あるいはそうだと思っている人々がいる。彼らは必要とするモノならばなんであれカネを払って手に入れているわけだが、彼らが依存しなければならない人々がいて、そのような人々が必要だと考える当のことが物価スライド賃上げなのだ。彼らは破産するまでそうし続けるだろう。なぜならば、富は不平等に分布しており、こういった人々は不釣り合いに大きな格差をつくり出すからだ。

 最後に、そのような問題は経済学者が判断することだと考える大群がいる。だが、自分自身で判断しなさい。1999年3月、The Economist誌は“Drowning in Oil”(「原油の中で溺死」)と題する記事を掲載した。同年12月には撤回を発表することを強いられた。経済学者たちは、彼らの予想能力がまったく説得力のないものであることを繰り返し露呈するにつれて、いくらかバカっぽく思われ始めている。さらに、経済学という学問全体が見当違いなものになり始めている。というのは、その主たる関心事はシステムつまり化石燃料にもとづいた成長経済を特徴付けることだが、そのシステム自体が崩壊し始めているからだ。

 おそらく、そのような可能性を受け入れる際の困難は、歴史と文化から起こるのであり、経済学に起因するわけではない。ハイパーインフレーションのエピソードを歴史の記憶に留めるロシア人やドイツ人と違って、アメリカ人には彼らの紙幣がトイレットペーパーとしての重量の価値にもならなくなる時代の生活を想像することは困難なのだ。だが、そのような状況が起こることが知られているのだ。貯蓄が雲散霧消してしまうのである。給料や退職金を小切手で受け取る人々はすぐに現金に換えて、できるだけすぐに生きる上で必要なモノをその価格が再値上げする前に購入することが最善の行為となる。

 あなたにはお金なしの人生に備えるためにできるいくつかのステップがある。一時的に、あなたは収入がまったくなくない、あるいは一日一食さえ満たせないほどに不十分な収入になるかもしれず、活動して健康でいるために必要なお金をいかに少なくするかを知っておくことだ。家族、友人、知人に頼ることを学びなさい。そういう人たちから何を得ることができるか、そして、お返しに何をあなたが提供しなければならないか、考えておきなさい。

 おそらく最も重要なことだが、退職後の所得は、勤め先が政府だろうと民間企業だろうと、やがて極めてゼロに近くなり得るということを想定しておき、あなたが高齢になったときの何らかの計画を立てておくことだ。もしも子供がいるならば、今からでもおだて始めることだ。あなたがもうろくして生き残るためには子供たちの助けが必要になるだろう。もしも子供がいないのならば、子供を持つことを考える、もしくは一人か二人の養子を受け入れることだ。もしも子供がいない、あるいは欲しくないならば、その時にはあなたよりも若い善良な友人を必ずつくりなさい。

 お金に絡んだ各々の経済的な計画では、お金のいらない代替計画を見つけ出すように努めなさい。たとえば、もしもあなたがベビー・シッターにお金を払っているならば、日課との交換で働いてくれるベビー・シッターを探しなさい。家賃を払っているならば、あなたの仕事で支払いに代える管理人のような状況を作り出しなさい。食材に支払っているならば、あなた自身の食材を栽培し始めなさい。

 ますます少ないお金で暮らすことを学ぶにつれて、不可避的に、貨幣システムがあなたにとって不利に働いていることに気づくだろう。あなたに債務があるならば、返済がますます困難になる。自分自身の不動産を保有していれば、税金を支払うことがますます苦しくなる。貨幣システムはあなたがするあらゆることから掠め取っているのだ。だが、このことは、あなたの経済的な結びつきがお金で計られる場合のみ、つまり、それらが貨幣的な価値を持ってお金との交換を伴う場合には、真である。あなたが貨幣経済への依存を減らすように努めるにつれて、あなたはあなたの人生、そして、あなたの周りにいる人々の人生を脱貨幣化する方法を考案することが必要になるだろう。

 貯蓄と私有の不動産は、贈与や親切心の互恵的な流れのもとである人間関係の取引の中でストックに変換され、効率的で、私的なものになり、個人的な必要にカスタマイズされ得る。このことは消費社会によって育まれた心構えとは完全に異なる心構えを要求する。消費社会では、あらゆるものを標準化して、あらゆるものを、人間関係も含めて、クライアントとサーバーの関係に変えることに努めており、そこではお金は一方向に流れ、製品とサービスはそれとは逆の方向に流れている。顧客Aは顧客Bと同じものを同じ価格で調達する。

 これは個人の観点ではとても非効率である。まだまだ再利用可能なものだというのに、資源は新製品に浪費される。誰もが二流の既製品で間に合わせることを強いられているが、それらは計画的陳腐化を企図されており、また、人々の特別なニーズに合わせて作られたもののようには適合しない。ありふれた商品は地球の裏側で製造されており、一方、オーダーメイドのものは地元で作られることが適当であり、あなたやあなたのコミュニティにいる人々に仕事を与える。しかも、これは、天然資源が減耗して環境を破壊している時代に利益を上げることと富を蓄積する点で、とても有効だ。しかしながら、こういうことはあなたがたが関心を持つような効率ではなく、あなたの興味にはないかもしれない。

 そこで、これが貨幣経済に向き合う正しいスタンスとなる。あなたはお金や多量の所有物を持たないようにするべきだ。けれども、食料、衣服、医療、住む場所と働く場所、そして一定のお金といった資源へのアクセスを確保すべきだ。あなたがあなたのお金をどうするかはあなた次第だ。たとえば、あなたは単純に、リスがドングリなどの木の実を扱うときのように、お金を置き忘れる可能性がある。あるいは、お金を一つか二つの共同の所有物に換えることもできる。支払われることを避け、贈り物を受け取るべきであり、もちろん、贈与で返礼すべきだ。お金のためには決して働くべきではなく、いつでも時間と尽力を寛大に捧げるべきだ。個人的な仕事は最小にして、他の者とシェアするために多くの時間を割くべきだ。そのようなスタンスを拡張することは困難だが、ひとたびやってみるならば、人生は実際によりよくなる。さらにそのようなスタンスを採ることによって、あなたは崩壊に耐性をつけることになる。

法律

 アメリカの司法制度は、教育のある者、企業、金持ちを贔屓にし、学のない者、民間人、貧乏人の足下を見る。ほとんどのどんな法律上のもつれもお金の思慮深い効用を通して解決される一方で、法律とのどんな係争においても、公選弁護人に頼ることを余儀なくされる人々には罰金と懲役を下しているように思われる。

 多くの人々はナイーブにも罪人は犯罪行為に手を染めた人だと信じている。これは真実ではなく、少なくともアメリカの司法制度においては真実ではない。アメリカでは、罪人は犯罪行為を行ったとして非難され、その廉で審理され、有罪と評決された人なのだ。その人が実際に犯罪行為を行ったかどうかは重要ではないのだ。目撃者は嘘を言っているかもしれず、証拠は偽造され、陪審員団は操られることもある。だが、犯罪行為を行ったが審理されていない人あるいは審理されたが赦免された人は、罪人ではなく、誰でもその人を罪人と呼ぶことは中傷になってしまうのだ。

 それゆえ、犯罪行為に手を染めながらもそれから逃れることは本質的に犯罪にまったく関わっていないことと同じことになる。金持ちの依頼人は、絶えず合法性を試して、可能ならば、合法性の範囲を拡大する弁護士を雇う。企業は法律家の全軍を擁して、ほとんどいつでも個人に勝つことができる。さらに企業は、法的な争いを解決する方法として、企業に有利で拘束力のある調停の行使を促進する政治的影響力を用いる。

 こういう状況は、人々に合法性を道徳性、倫理あるいは正義と混同させて、人々を希望もないほど世間知らずにしている。あなたはいつも法律に従って振る舞うべきだが、それが必ずしも刑務所送りになることから救ってくれることになるわけではない。あなたが合法的に振る舞うことを選ぶかどうかは、あなたとあなたの良心、神、あるいは法律家の間にあり、あなたが一つを選ぶことになるならば、法に従う必要がある何かがあるかもしれないし、ないかもしれない。合法性は司法制度の特質だが、正義は大昔からある美徳だ。この区別はごくわずかな人々には理解されない。ほとんどの人々は正義の感覚を持ち、それとは別に、合法的であること、および法に頼らずに乗り切れることを理解している。

 アメリカの司法制度は、現状では、贅沢品であって、必需品ではない。お金に余裕のある人々には好都合だが、支払い能力のない人々には非道いものだ。ますます多くの人々が、司法の良い成果を手に入れるために支払うことが出来ないことに気づくにつれて、人々は司法制度を、公正な制度ではなく、圧制の道具とみなし始めている。圧制が当たり前のことになるにつれて、ある時点では、公正に尽くしている振りをすることが不必要になり、社会管理のはるかに単純で効率のよい合理的なシステム、おそらく戒厳にもとづくようなシステムを選んでいることになる。

 人々は、成文法、法律家、裁判所、あるいは刑務所なしで、まったく幸せに暮らしていたと知られている。社会はいつも禁じられたことに関する考えを発展させ、規則に違反する人々を罰する方法を見つける。公式の司法制度がなければ、人々は一般にお互いに対してはるかにより注意深くなる。なぜならば、誰かともめごとを起こすことが争いを導いたり復讐を引き起こしたりするかもしれないからだ。そして、刑務所がなければ、追い立て、流刑、死刑のように、罰が過酷になる傾向があり、それらはすべて罰すること以上に抑止効果があるからだ。争いが起こったときには、その解決のために、訴えを裁く調停者か会議を設けることだ。

 低エネルギー社会に則した法体系の制度への移行は、疑いもなく、騒々しいものになるだろうが、確信できることがある。多くの法が端から施行できなくなるということだ。この展開は、罪人とは何かという定義を考慮すれば、事実上、多くの振る舞いを罪の対象から外すことであり、多くの人々に合法的な振る舞いにおいて新たに比較的安全な方法を切り開くことになり、狡猾な者には新たな機会を生み出し、また、邪悪な人と愚者を誘惑することになる。

 危害からの防衛策として、あなたは司法制度から距離を置きたいと思うかもしれない。そして、これが可能なくらいに、あなたは自身の正義に気づいている。練習問題として、契約、リース契約、なつ印証書、免許、約束手形、あるいは他の合法的証書にもとづいたあなたの人間関係を試して、その人間関係を信頼、互いへの敬意、共通の利益にもとづく結びつきに置き換える方法を探してみることだ。人間関係を友人や家族の紐帯の中で機能させる方法について考えてみることだ。

 圧制へと堕落していく司法制度に襲われることから身を守るために、あなたの周囲にしっかりした非公式な相互依存できる関係を築いておきなさい。そこでは、みんなが争いを平和に解決することに熱心で、誰も争いを悪化させたくない、そんな仲間の中に引き込まれることで、どんな争いごとも沈静化される。争いを調停する際には、公平に努めなさい。変化著しい時代には規矩としてうまく機能しない法、規則、前例よりもむしろ、あなたの分別と正義感を頼りにしなさい。  

ヤッピー(訳註:都市に住み、専門職で高収入の若いエリート層はyoung urban professionalsに因んでヤッピーと呼ばれる)

 さて、私が考える最初の個人プロフィールは「クリス」のことだ。彼は二十代の職業人で、太平洋側北西部の大都市に住んでいる。クリスは6万ドルから9万ドルの年収で、彼の雇い主の401k確定拠出年金制度に寄付していて、また、学生の頃につくった大きな借金を抱えている。幸い、彼は健康だ。彼の多くの売り物になる技能のうちで、エネルギーが希少となった環境で効力を発揮できるものはない。彼はパーティにひどくうんざりして、やむにやまれず資源の減耗と経済の崩壊を話題にして長々と述べ立てたのだが、言うまでもなく、彼の両親、友人、そして婚約者はそんな話を聞きたくはなく、それでも同じように彼を愛してくれている。未来が覚束ないので、彼は賃貸暮らしだ。クリスはまぎれもない北米のワーカホリックで、週に50~60時間働いている。マイク・ラパートの本のコピーを手渡されるまで、彼は政治、石油、迫り来る経済危機に多くの思索を割いてこなかった。だが、今や彼は真の信者である。

 若い職業人として、クリスは現在の職業を継続できるかもしれないし、行き詰まりとなるキャリアパスを避けるために、そして、確実に成長を見込める職業に自らを位置付けるために、転職できるかもしれない。明らかに、多くの職業はさほど未来の約束にはならない。たとえば、法律家、整形手術をする外科医、精神科医、投資アドバイザーは先細りだ。というのは、中流階級がますますその類のサービスを必要としなくなる、あるいはそういうサービスに支払う余裕がなくなるからだ。同様に、販売やマーケティングの仕事も縮小しそうだ。他方、所有権回復、競売人、葬儀屋のような仕事は、しばらくは需要が拡大するだろう。クリスが転職するか否かはともかく、利益が出る営みを選び、しばらくは一生懸命働いて、お金を貯めて、退職するべきだ。ボロ儲けできないのに濁流に飛び込む意味はなく、また、お金を貯めるのならば富を危険にさらすことにも意味はない。今日、とても多くの人々が実行しているような、終わりなきトレッドミルを走るが如きことは、もはや実現可能な選択ではなくなるだろう。

あなたの国に仕えろ

 もしもクリスが転職する必要があると気づき、公式の経済活動に留まりたいのならば、汚職や贈収賄、あるいは政治的に認可された組織犯罪によって表に現れる多くの機会を利用して、政府が契約する分野への転職を決めるといいだろう。汚職や組織犯罪は成長し続けることが見込める。政府が保有する物の目録は、非常に高価な兵器システムからとても高価な便座まで、多岐にわたり、それらを売ればかなりの利益になるだろう。クリスが国際的な取引形成において天賦の才能をもっているのならば、破産したアメリカ政府の保有資産を売り込むための外国のバイヤーを見つけることが彼の職業となり得るかもしれない。

 政府系の仕事は当分、安定な仕事かもしれないが、その仕事はまた、規則と規制に従うこと(あるいは少なくとも従っている振りをすること)、言われた通りにすること、見て見ぬふりをすること、党利本位に行動することを必ず伴う。また、有益な何かを達成したという満足をめったに味わえない。数十億ドルの公金が頻繁に使途不明になってもほぼ不問に付される階層構造の上位近くにクリスが昇進できなければ、とりたてておいしい仕事ではないだろう。政府の腐敗から利益を得ることは一か八かの賭けであり、交渉のテーブルにつける極めて有力な縁故のある者に限られる。

 クリスが、八方塞がりの状況になるのは不本意だと思って、政府のために働かないことを決めるとしたならば、食物連鎖が新たに勃興する最中には、もう一つの素晴らしく成長しそうな分野がある。警備会社だ。大衆が経済的にますます苦しくなるにつれて、あらゆる価値のある商品は隠されるか、注意深く守られる必要が生じてくる。大きな取引において先ず必要になることは安全安心を与えることになるだろう。かくして、不安定な環境で安全安心を与える組織が、倉庫保管業、兵站業務、輸送、金融、法律事務など、他の多くのサービスの中に進出すべく適切に位置付けられるのである。

蘇るビジネス

 最後に述べるが決して軽んじられないことは、クリスは急拡大する現金経済の中での役割を利用できるということだ。現金経済は成長して、ますます多くの製品・サービスを取り込んでいくことだろう。目下、アメリカにおける未報告の現金を用いた活動は、昔からの犯罪行為をも含む多くの部門に分類されている。だが、そこに挙げられているようなニッチな業務を私は推奨しない。というのは、それらは既に充足されており、縮小中の経済がひどく競争的な環境を作り出すことになるからだ。完璧を期すならば、ギャンブル、売春、収賄、委託殺人はいつの時代にもあるだろう。さらに大きな部門は、非合法ドラッグと銃器だ。他にも、国境を越えた密入国、および密入国者が到着した後で現金払いの雇用を与えることにも展開する。もっと他には、ダミーの商売を通じて銀行口座へと現金を動かすことによる、マネーロンダリングもある。こういった現金経済すべてが成長を見込めそうだ。ただし、マネーロンダリングは例外だ、というのは、表の経済が弱くなるにつれて、現金の蓄えは、怪しい金融機関に任せるよりも、金や他の価値ある商品とますます交換されるようになるからだ。

 ともあれ、クリスが選ぶことのできる多くの新たなニッチが生じることだろう。目下、現金経済はほとんど合法的に入手できないサービスと製品に関係しているが、未来においては、公式ルートでは入手不可能となる必需品を含むように現金経済が拡大することだろう。そのリストはやがて、輸送、食料、安全、住居、医療を取り込んで成長するだろう。こういうわけで、未来のビジネストレンドを考える際に、クリスは先ず、彼のビジネスの定義を拡大するべきなのだ。逆に、未来の合法性に関する風潮について考える際には、施行可能なことは何で、そうだとしたら誰が利するか、という観点から推論すべきなのだ。というのは、全体の法律の枠組みが廃れるにつれて、施行不可能あるいは利益を生じない法律上の制限は無視されることになるからだ。

往診

 闇経済の医療は、おそらくとりたてて儲かりはしないだろうが、とても興味深くなることが確実視される。現金経済は不可避的に医薬品を取り込むだろう。アメリカの薬は高価で、しばしば店頭で購入できないが、地下の実験室で製造可能であり、あるいは世界のどこかで購入でき、大量に輸入することができる。さらに、毎年、西洋医学が合わないという人の数が増えており、伝統的な薬剤を扱う薬局を利用することを学んでいる人が増えている。伝統的な薬剤には変わった成分が含まれているが、多くの薬効のあるハーブはどこでも栽培され、難しい栽培の知識を必要としない、というか、実のところ、雑草なのだ。ひとたび西洋医学と西洋医学が依存する製薬業界が衰退期に突入すると、伝統的な薬剤の利用が拡大しそうだ。

 闇市場の薬剤がどうにか利益がでるかもしれないとしたら、闇の医療行為はどうなるだろうか?ある時点で、診察さらには外科手術をも含んで、最初は「無料診療」として行われるようになり、だが、再診を望む人は「贈与」を必要とするようになるだろう。目下、アメリカの医師たちは、弁護士、保険会社、製薬会社、病院の経営者の間で板挟みになっている。弁護士、保険会社、製薬会社、病院の経営者はみな、生きるために利益を要求している。だが、誰によっても生み出される利益がなくなってしまえば、医師たちだけが残るだろう。なぜならば、医師(および看護士)は医療行為において不可欠な存在だからだ。彼らは再び往診を始めるだろう。そして、彼らは得ることのできるもののためならば何のためでも仕事をするだろう。お金や食糧を得ることもあれば、あるいは単に患者を看て人助けの満足感と評判を得るだけのこともあろう。ともあれ、彼らの薬剤の供給が尽きる前に有能な薬草植物学者になることが勧められるだろう。

うまくいっているうちに辞めること

 クリスがよい暮らしを続けるためには、好機を活かすために転職しなければならないかもしれないが、多くの職業の機会があるだろう。だけれどもクリスは、ニュー・エコノミーの中に職を見つけ出すための能力に人生を賭けるべきではなく、むしろ直接自活できるかを確かめるべきだ。今後は、危険と困難に満ちた、不確かな環境になるだろう。するとクリスは、形勢が不利になったならば、すぐに退職できるように準備がされているべきだろう。

 クリスは彼の長所や才能を整理して、彼自身、そして、できれば彼の家族と友人にとっても、ソフトランディングとなる準備をするにはよいポジションにいる。彼が準備に取り組むにつれて、新しい人々と出会い、新しい友人が出来そうだ。この新しい友人関係はおそらく、彼の現在の友人よりも、ソフトランディングという目的達成へと導いてくれることだろう。 クリスの高給ならば、質素な生活をすると、すぐにかなりのお金を蓄えることができる。高い貯蓄率を達成するために、彼は自動車を古いポンコツにダウングレードするか運転を止める、低家賃で民族的にも人種的にも混在した地域に引っ越す、新品を買うのを避けて、ゴミ漁りや中古品を購入する、それどころか不必要なものを捨てる、加工食品の購入を避けて、新鮮な食材を大量で購入する、外出を控える(家で友人をもてなす、あるいは友人を訪ねる、かえって楽しいだろう)、といったことが可能だ。こういった手段を講じると、彼個人の貯蓄率が彼の稼ぎの75%を下回る理由がなくなる。

 彼の貯蓄を使って、また、彼の退職勘定を現金化して、クリスは水利のよい農地を購入できるお金を用意できる。その土地は抵当権なしで所有できるものだ。そこに彼は家を建てる。彼ははるか未来においても固定資産税を支払えるように、蓄えを持つべきであり、金で持つことが望ましい。彼は若くて健康であり、生き残る上で必要になる多くの新しい技能を身に付けることができる。彼はそのような技能を、生き残るために頼る必要が生じる前に、学んで実践すべきである。家を建てるや、「予行演習」を行うべきであり、夏をすべて彼の土地で過ごして、家を改築しつつ、食糧生産に取り組んでみることだ。この経験は備蓄する必要があるものは何か、そして、取り組む必要がある他の準備を彼に教えてくれることだろう。

 こういった準備に着手し始めるのを先送りにすればするほど、準備の有効性がより悪化する。なぜならば、彼の蓄えの購買力はインフレーションによって時間と共に低下するからだ。もし彼が金融メルトダウンの始まった後まで行動をすることを先送りすれば、彼は貯蓄をすっかり剥奪されてしまい、準備をできなくなるかもしれない。そして、彼は他のみんなと同じ沈没中のボートに乗っているのだと気づくことだろう。彼は身動きできないか、あるいは政府が彼を避難させるどこにいたとしも、ますます悪くなるばかりの政府による支援活動と生き残りのためには不十分な慈善活動に依存することになるだろう。

障害

 クリスが抱える最大の債務は学生時代の借金だ。学生ローンは連邦政府によって保証され、他の債権者と同じような法的な制限を条件としない。政府は、破産法や家屋差し押さえ免除を無視することができ、財産を没収することができる。固定金利のローンがインフレとは無関係である一方で、変動金利は深刻なことになるはずだ。ローンの完済ができないならば、彼の他の選択肢は自分自身を貧乏な状態に置くための計画を練ることだ。これはささいなことではなく、準備を整えることが可能だ。崩壊後の経済は一般に、報告義務があって課税される取引よりもむしろ、未報告の現金取引や物々交換に頼ることになるので、クリスは、気づかれることなく、平和に日々を切り抜けることができるはずだ。

 有効な準備に取り掛かる上でクリスの最大の障害は時間が足りないことだ。週50~60時間働きながら、必要な調査、準備、訓練を遂行するのは不可能だ。多くの人々が彼と同じ状況にあり、過度の努力を要求するキャリアパスに専念することを強いられている。なぜならば、お金を稼いで退職することよりもむしろ永久に続くかのような仕事上の昇進に依拠しているからだ。だが、少しばかり心構えを変えることでクリスは、労力を最小化しながら短期的な稼ぎを最大化する上で、平均的な仕事中毒の人よりもはるかに創造的になることができる。最も多く払うが最も少ない労力を要求する仕事を探して、時間を要する業務を避ける創造的な方法を見つけるように、労力が割り当てられるべきなのだ。この新しい指針を採用すれば、クリスは同等の給与水準でありながら週35時間未満の労働にすることができるはずだ。

 通常、解雇されるよりも辞める方がよいように、継続雇用の見通しがなくなって職業生活が終わるのを待つよりも、段階を踏んで、自発的にドロップアウトする方がよい。ほとんどの企業の将来が五里霧中と言うべきビジネス環境では、終身雇用よりも一時的な雇用を確保する方がはるかに簡単だ。請負仕事は、長期の輝かしいキャリアを期待する人の興味を惹かないかもしれないが、経済全体が水泡に帰すことを認識している者にはとても好都合であるかもしれない。

 クリスの両親、友人、あるいは恋人の無理解が深刻な問題になるとは私は思わない。誰かを啓蒙しようとしてどれほど多くの労力を払わねばならないかを決めることは困難だが、経験則では、質問を尋ねる人に返答するだけでよい。その答えはもっぱら、入手可能なもっとも権威ある情報源を言及することになるはずで、個人的な意見の熱い表明とはならないだろう。こういったことが、より詳細な質問と、おそらくは疑いの用心深い告白を引き起こすことになるかもしれない。彼の周囲の人々が何が起こっているのかを理解するかどうかはともかくとして、周りのみんなが頼るものもなく藻掻いている時に、クリスが取り組むべきことを知っているならば、その時が来れば、周りの人々は彼にきっととてもとても感謝するだろう。逆に、クリスが準備をしないまま彼の愛する人々を絶望へと誘うことに労力を払えば、彼らから長い間好かれ続けることはないだろう。

中年

 次に考えるのは「マイク」と「メアリー」の事例で、かれらは年老いたベビーブーマー世代だ。二人合わせた年収は10万ドルくらいだ。メアリーは生涯のほとんどを教員として働いてきた。彼女はやがて年金を受け取り始めることを期待している。マイクは事務仕事を続けてきた。彼もまた定年が近い。二人は郊外にある住宅のローンを残しており、2台の自動車を所有している。彼らは次の10年ほどでローンを払い終え、これまでのように生活して老後を乗り切る計画を立てていた。彼らには三人の子供がいる。二人は大学を出て各々生活しており、一人は大学に通っていて、卒業が近い。マイクもメアリーも健康な方だが、診察といくらかの薬の投与を必要とするくらいには医者の世話になっている。メアリーにはガーデニングの技能がある。マイクは器用で、家の修繕など日曜大工もできる。

 彼らは1970年代からこの度の危機が近づいていることを知っていたが(訳註:ローマ・クラブの『成長の限界』は1972年に公表された)、それがかくも速くやってくるとは思っていなかったし、さほど深刻なことになるとも考えていなかった。彼らはローリング・ストーン誌でジェームス・クンスラーの記事を読んで危機に気づき、その後インターネットを使って調べるようになった。彼らの子供たちはこの類の問題に微塵も興味を示さない。

不穏な時代のお年寄り

 私たちは老いるほど、思考、習慣、予想に関して、ますます頭が硬くなる傾向がある。私たちは私たちの世界に関する多くのことで不幸かもしれないが、歳を重ねると、喜んで変化に応じる能力が減退し、悪魔と同居していることにも諦めていることに気づくほどになる。老人は慣れたところにいるときには動けても、不慣れな環境に身を置くと、方向がわからず、自信を喪失し、順応は遅く、深く落ち込むものだ。

 どうしようもない激変に直面すると、独特の様式で強い嫌悪を表す老人もいる。ソビエト崩壊後何年も、あるタイプの老人を街で見かけることができた。哀れで、財産もなく、抗議している老人だ。しばしば彼らはレーニンやスターリンの肖像写真を持ち歩き、それを見るときには高く掲げていた。それは彼らの知っていた悪魔だった。おそらく将来、アメリカの都市の通りでベビーブーマーたちを見かけることだろう、彼は、宝のように大切なロナルド・レーガンの肖像写真をあたかも神聖な記念品か幸運の御守りであるかのように見せびらかしながら、食べ物を乞うわけだが、以前の国家の偉大さを取り返すことに一縷の望みをかけて、周囲からの嘲笑にも冷静に耐えていることだろう。

 あまり過酷でない場合でさえ、混乱して危機に悩まされる時代には、老人は生き残るために頼ることになる若い人々から疎まれる大きなリスクを背負うことになる。若者は古いルールや考え方がもはや適合しない世界で生きて行かねばならないというのに、老人は、善悪の観念に囚われて、若者に早まった判断を下す傾向がある。道徳的に優位な立場として老人たちが考えることにすがる無駄な試みで、彼らは自らを精々哀れみの対象にし、最悪の場合には無関心のまま放置されることになる。

人間のライフサイクル

 安価なエネルギーとそれが焚き付けたヒューマニティの短期ブームは、いくつかの社会的な取り決めをもたらしたが、その取り決めは永続的なエネルギー不足の始まりを凌ぐようには運命付けられていない。そういう取り決めの一つは、少数の若者が収入の大部分を会ったことも話を聞いたことさえない大勢の老人の福祉のために匿名で寄付するという考え方だ。

 人類の歴史のほとんどが起こった日々において、親は人生で一番の優先事項として子供の世話に取り組んだ。そうすることは、多くの他の動物種同様、生物としての義務だった。それ以上のこととして、ほとんどの親は、子供が生き残らなかったならば、自分たちも生き残れないという事実に意識的だった。つまり、遺伝子、記憶、文化など自分たちに関わることが時と共に消え去ってしまうことに意識的だった。子供の世話は家族に委ねられ、まったく知らない人には決して任されなかった。子供たちの教育は、物語を話したり、共に働いたり、通過儀式を通して、家庭内で多くが行われた。年配の者、特に祖父母は、子供を育てて教育する大切な役割を担った。一日中幼い子供を見守って世話をしたのは祖父母であり、先祖から受け継いだ多くの知恵、つまり物語、神話、実用的な知識を、絶えず飽き飽きするほど繰り返して、子供たちに教え込んだのだ。

 化石燃料時代の後半には、気づいた頃には、繁栄した社会が全く異なる様相になっている。破産しないようにと、両親は鬱陶しい仕事に就いて、ほとんど家にいなくなっている。もっとも稼ぐ人々は自分の子供たちよりもはるかに仕事のことに注意を払っている。祖父母は別の所に暮らして、彼らの老後を楽しんでおり、財産の中に含まれる労働の果実、ささやかな投資、何があっても生活を守ってくれることを約束してきた慈悲深い中央政府を満喫している。彼らは停止しそうな人工的な生活支援体制の上で生きている。

 この無謀な運転が終わるや、人間社会は正常な姿に戻るのだろうが、大勢が苦しみ、多くが短命になるだろう。年配の人々は自ら毒薬を飲むだろう。アダルトチルドレンは、自分が幼くて何も出来なかったときに世話になったことに見合う程度に、自分で用の足せなくなった両親の面倒を看るだろう。彼らは保育園に入れられ、寄宿学校に送り出され、そして、軍に入隊するように仕向けられるのだろうか?そのときには、高齢者の介護制度は完全な解になるにちがいない。(不平を言ってもなんにもならない。彼らの子供たちが三歳で不平を言ったとき、話を聞いてくれただろうか?)若くして自由企業の精神を学ぶために、彼らは小遣いのために働かされたのだろうか?だとしたら、彼らの両親は80歳になったときに、自信の食い扶持をどのように稼ぐつもりなのか?行いを改めてしっかりしろ、さもなければ出て行け!この言葉は必ずしも大声で言われることはないだろうが、彼らはそれをひしひしと感じながら、生かされることになるだろう。

  さらに悪いことには、ほとんどの子供たちは骨抜きにされた人間なのだ。この風変わりな一、二世紀を除いて過去数百万年にわたって人類の子供たちに授けられた物語、神話、試練に恵まれず、人工的な生命維持システムなしでは生きる能力が十分に備わっていないのである。子供たちはまるで工業製品のような有様だ。生まれてからほとんど、子供たちは完全に人工的な社会状況に置かれ、評価され、分類され、一連の教育機構に押し込まれ、システムの供給原料たる人材という商品になって、システムのザービスの存続のために準備される。現在の市場性のある技能を備えた適格者にはA等級の品質といった具合だ。そして、たとえ両親や祖父母が悪影響を受けることなく知恵を伝えることができるとしても、子供たちはその類の情報を処理すべく計画されてこなかったのだ。

永遠の若者?

  若い頃には、変化を取り入れ、順応し、過去を捨てることは容易だ。だが、老いるほどに、必ずしもそうではなくなる。柔軟性と順応性について言えば、老いた人々には幅がある。比較的若そうに見えても、内面がカチカチに固い人がいる。そういう人々はただ自分らしさを持っていたく、放っておかれたいのだ。また、老いて気難しそうに見えても、難局に対処して、社会が人々を束縛してきた悪習を改めねばならないときのために全人生にわたって機会を窺ってきた老人もいて、おそろしく元気になる。さらに、別の老人はひたすら必要なことを何でもやるだろう。というのは、彼らが思い出せる限り、それは彼らがいつもやってきたことだからだ。そしてある日、彼らは止まって、子供みたいになるだろう。さらに別の老人は自暴自棄になるか、あるいは普通に振る舞っているようでも変化した環境による心理的なショックから不可解な病を患うことになる。

  私が知っている老人の中には、知識の巨大倉庫のような人がいて、大きな図書館よりも知識豊富なほどだ。また、秘密を持っていて、次世代への秘密の伝承を担ってくれそうな、教えるに値する一人か二人の若者を探している老人もいる。また、永遠に続く生活のためのリズムを持っている老人もいる。あなたがそれを教われば、あなたはそれを伝えることができるだろう。だが、他の老人の多くはただのお荷物であり、人工的に生命が維持されている有機物だ。彼らを肥やして数を増えさせている石油にもとづく生命維持システムは、当面、彼らを存続させる。もう一日がさらにもう一日になり、木の切り株に増殖している菌類のようになっている。

  こういうことが、10万ドルほどの年収で郊外の住宅で老後を過ごす夢を持った二人の年老いたベビーブーマー、マイクとメアリーに意味することを誰が知ろうか?彼らがウェブサイトで読んだ何かに関心を持っているという事実は重要なことではない。多くの人騒がせな人やウェブサイトがあるのだ。1970年代以来、ある日石油が枯渇するということを彼らが知っていた事実も重要なことではない。ごくわずかな人がずっとそのことを知っていて、ほとんどの人がそれについて何かに取り組んでこなかったのだ。それで、彼らの子供たちがほんの少しでもこういった問題に関心を持っていないという事実が予想される。たとえ彼らのモットーが「私たちの言う通りにしなさい、私たちのするようにはするな」だとしても、彼らの子供たちがそれに従うことをどうして期待すべきだというのか?もっとも重要でないことは、高齢になって、彼らの人生のほとんどにわたって展開してきたこと、そして、今後も、ときにゆっくり、ときに慌ただしく、展開することについて心配しているということだ。

現役復帰

  マイクとメアリーは悪いニュースに備えて、腹を据えるべきだ。悪いニュースの最初のものは、退職が無効になるというものだ。彼らの投資と貯蓄は価値を下げ、彼らの郊外の住宅の資産価値は無きに等しくなるだろう。彼らはおそらく政府から小切手を受け取り続けるのだろうが、生きていくには十分ではないだろう。悪いニュースの2つ目は、彼らが不足分を埋め合わせるためにできる表社会の賃労働はないだろうということだ。彼らのような苦境についての公認、その状況を改善する公共政策、あるいは苦境に置かれた人々にとって有効な政治的組織化は起こりそうにない。このことは侮りがたい政治勢力に慣れた世代にはショックかもしれない。

  権謀術数を事とする会計システムは、インフレ率と雇用統計の捏造をすでに導入している。物価スライド賃上げはいつも実際のインフレ率の半分くらいの水準に保たれる。「失業者」という言葉は、「一時的な失業給付を受け取る資格がある」という意味で再定義されている。インフレーションが激しくなり始めるにつれて、固定収入で暮らす定年退職者は徐々に貧しくなっていくだろう。

哀れな代案

  マイクとメアリーがあちこちへ車を運転させながら郊外の住宅で老後を生き延びる計画だとしたならば、彼らは計画を持っていないのも同然であり、徐々に彼らは生活を制御できなくなっていくだろう。ほとんどすぐに、彼らの家はお金が掛かって暖房できなくなる。次いで、彼らはガソリンの配給や不足によって運転し続けることができなくなる。そして、電気も止まるだろう。コミュニティに根差したサービスによって、しばらく食材は供給され続けるかもしれない。

 ある時点になると、もしも彼らが幸運ならば、急拵えで組織化された住宅へと避難することになるだろう。そこは寄宿舎ないし兵舎みたいなところで、簡易ベッドとテレビが部屋の角に設置されていて、テレビは電力不足でほとんど使えず、窓のない壁を眺めて過ごすことになる。食堂があって、お茶とオートミール粥の毎日の配分を受け取ることになる。 きっと彼らの子供たちの一人が助けに来るだろう。けれども子供たちの生活環境はまったく変わってしまい、両親を養う能力がほとんどない。とりわけ、子供たちのうち誰も準備していなかったならば、そういうことになるだろう。あるいはおそらく、子供たちは両親を養うことはできるが、養いたくないだろう。

より幸福な代案

 そのようなわけで、マイクとメアリーは計画を必要とする。だが、彼らは誰なのか?彼らが誰なのか知りもしないのに、彼らのために私が計画を立てようとすることはおこがましいことではないか?ともあれ私は敢えて推測してみましょう。独特の驚くべき何かがあって、ビニル素材で覆われた郊外住宅の外観と色のついたSUVの窓の後に潜んでいるのだろうか?そこに何もないとしても、急に頭に浮かぶ、かなり基本的な考えがある。

 ひょっとすると、メアリーの精神は、退屈なアメリカの公教育システムの中での教育に何十年も従事していながら破壊されていなかった。ひょっとすると、彼女は彼女自身の学校を開校する準備をしている。それは、彼女の居間を使って、近所のあらゆる年齢の子供たちのために開かれた、政府が義務づけた標準試験にパスする方法よりも価値のある何かを教える学校だ。ひょっとすると、彼女は若い見習い教師を勧誘することができる。見習い教師は教育に関する無価値な学位など必要としない。退職したアメリカの学校教師が他の第三世界で教育に取り組んでいることが知られているのに、なぜこの国にいなくなってしまうのか?

 また、マイクと彼の仕事の中で蓄積された実務能力と管理能力についてはどうだろうか?彼は交渉しては契約を取り、金融関係の報告書を調べてきた。たとえば、彼は彼の才能を複合利用の用地区分の計画を通す際に発揮し、彼のコミュニティの人々が地下室やガレージで店を営業できるようにした。公共の水道の供給が汚染されたり、争いになったり、あるいは料金が高くなりすぎたときには、おそらくマイクは雨水を集めるための地役権の交渉で力を発揮するだろう。彼は不在地主に対して借地料のストライキを組織化し、地主がコミュニティの中の人々に土地を売るように強いることができるだろう。彼はスクールバスをフルタイムで利用するように転換させ、一日に二度子供たちだけが利用するのではなく、一日中コミュニティ全体に役立てるようにしてくれるだろう。

 マイクとメアリーが目標を達成するために望むことができる一番のことは、彼らの子供たちを彼らの周りで一団にして、同じ家ではなく、近くに住ませることである。近すぎることは離れすぎているのと同じくらい悪いことであり、隣か同じ通りに住むことが最適だ。マイクとメアリーがつくることができる拡大家族が大きいほど、生活が快適になる可能性が高くなる。彼らの子供たちがその時が来る前に彼らの準備に気づいているかどうかは重要ではない。経済が悪くなって彼らの子供たちの生活が駄目になり始めたとき、もしもマイクとメアリーが子供たちに支援と実際的なアドバイスを提供できるならば、子供たちはおそらく好意を受け入れるだろうし、後になって恩返ししたくなるだろう。

郊外型生活よ、永遠なれ

 改心したアメリカ人の郊外型生活の見込みについて、私はあまりにも楽天的過ぎるだろうか?郊外型生活は終わっていると宣告する者もいるのだから(訳註:2004年には”The End of Suburbia: Oil Depletion and the Collapse of The American Dream”と題するドキュメンタリーが作成された)。だが、アメリカ人は誇張にとても駆り立てられ、たいていわずかばかりの慈善事業へ寄付をしたり、色のついたプラスチック製のブレスレットを着けたり、あるいは徒歩や走ったり自転車に乗るなどして、保証付きの止められないもの(戦争、AIDS、癌、貧困、地球温暖化)をいつも終わらせたがることを私は知っている。そのような冒険的事業に関する愛嬌があって子供じみた自信と楽観の下には、基本的な何かを理解するための文化的に根深い無能が潜んでいる。問題が全く解けないのだ。

 かくして私は、郊外型生活が都合良く消えるだろうという考えの中に希望的観測気味のことを認め、そこに暮らしているすべての者は単に他のどこかに移り住むことになると考える。森の中の小屋?あるいは絵のように美しい無人島?スペースコロニーはどうか?アメリカの人口の半分が、自動車が動かなくなったりキッチン製品が使えなくなったりしたすぐ後で、諦めて死ぬかどうかは私にはわからない。そうだとしたら、現在の郊外のアメリカ人の大群のほとんどは根絶できないと考える方が無難であるが、慢性的なエネルギー不足という進化論的な圧力は彼らをはるかに省エネ型の何かへと進化させるだろう。いずれにせよ、その何かが極めて恐ろしい存在だと判明するのか、それとも極めて愛想がよい存在なのかは、いろんなことに依存している。

 たとえば、広い芝生とゴルフコースのついた郊外は、「種を落とすまで芝を刈るな、そして、家畜用飼料として用いる場合に限定される」といった条例が可決され得る。すると、小馬を飼うことができ、それに乗ってマーケットに行くようになり、その後も幸せに暮らせるだろう。それは簡単なことではないが、私は最大の障害は悪い習慣だと確信している。たとえば、芝生を短く刈りそろえて、刈り取られた草をゴミ袋に入れてゴミの回収車で運んでもらうような悪習だ。郊外を生き残り可能にするために素晴らしい新しい発明やお金のかかる構想を採用すべきではない。必要とされるすべては人々が多くのナンセンスなことを止めることなのであり、少しばかりの良識のあることを始めることだ。たとえ人々が抵抗しても、諸々の環境が不可避的に人々を正しい方向に向かわせることだろう。

  マイクとメアリーは移住すると決めるべきか、それとも住み続けると決めるべきか?彼らは隣人を知っていて、気に入っているだろうか?彼らは彼らの現在のコミュニティが団結すると考えるだろうか?彼らはコミュニティの順応する能力を信じているだろうか?彼らの郊外は子供たちが住みたい場所だろうか?これらの質問への答えが「ノー」ならば、そのときには彼らは移住することによって失うものはほとんどない。

  彼らが移住すると決めたならば、彼らは小さな町に移住して、野良仕事をして、また、家畜を育てることで、自活に努めることができる。彼らの子供たちは、他の選択肢がなければ、そこで彼らと一緒に暮らすことを決めるかもしれない。子供たちが準備していかったならば、そうなるだろう。あるいは、彼らは都市(密集して暮らす人々の中)に移住し、そこで介護してもらうことを希望することもできる。 最後に、彼らは国を出ることを決めることができるが、そのためには、きわめて冒険心に富む精神を持つ必要がある。この地球上には、繁栄していなければ、安定な場所はたくさんある。そこはアメリカに比べて国際的なエネルギーおよび金融の市場にほとんど依存していない。そして、そこでは、アメリカを揺るがす戦争はほとんど起こらないだろう。

若者  

 私たちが考える最後の話は、18歳の「スティーブ」のことだ。彼は、オンラインゲームの対戦相手がウェブサイトのリンクをいくつか送ってきたことで、ピークオイルについて知ることになり、それがとてもショッキングなことだとわかった。今では彼はすっかり不安に苛まれている。召集されて、中東の石油のための戦闘に送り出されることになるのだろうか?崩壊中の社会でどうやって生き延びるのよ?彼はアルバイトをしながら両親と暮らしているが、馬鹿な若者になってしまうのではないかと恐れを抱いて、(債務を抱えることにはなるものの)大学に進学して、立派な学位を取得して、労働人口に加わることを考える。

  スティーブの両親の考えが正しいと仮定しよう。つまり、経済の崩壊はすぐには起こらない。スティーブは大学を卒業することができ、会計学の学位を取得し、結婚して、郊外に建つ一軒家の住宅ローンを組んで、子宝に恵まれる。だが、スティーブの両親がそこそこの事情通だとしたならば、持続的な経済成長に不可欠な非再生可能資源が現在の生産水準を維持しながらさらに40年以上も残っていると信じることが出来るだろうか?しかも記録的な異常気象災害が続いており、50年振りにここ50年の記録を破るのではなく、毎年のように記録が更新される状況を目の当たりにしていながら、そういったことが何らスティーブの周到に準備した人生設計を狂わすことがないと彼の両親は信じることが出来るだろうか?仮に彼らが離れて平和に暮らすと信じるにしても、スティーブの生涯にわたって続くことがないとわかっている仕事を続けさせるさるために、どうして彼を一生懸命勉強させるべきだというのか?息子をそのようなリスキーな進路に歩ませようとすることは、親の振るまいとして少なからず非倫理的ではないか?そして、よりよい進路を提示しようとすることは、少なからず親の務めではないか?

嘘八百 

  スティーブのもっとも耐え難く心労となるであろう認識の一つは、もしも彼がそれに気づくほど十分幸運だとしたならばの話だが、多かれ少なかれ継続的に、両親、学校の世話係、そして、ある程度は、彼の仲間からさえも、彼の人生を欺かれてきたということだろう。彼がこの認識に至らないならば、その結果として彼に起こることを、弱さ、才能の欠如、なじめない性格といった彼の個人的な欠点、もしくは悪運のせいだと考えるようになる。また、この認識にたとえ到達したとしても、彼は状況に応じて生きることが難しいことだと気づくだろう。なぜならば、この認識を欠いたまま自分は成功していると考える人々が彼のことを不適格者あるいは敗者として中傷するからだ。

  嘘の一つは、アメリカが一番の国でさらによくなっている、可能性の国云々、そして、どんな夢であれ、努力して、一生懸命取り組んで、チームの一員として協力する人になれば、人は夢を叶えられる、というものだ。もちろん、彼の夢はアメリカンドリームに違いなく、他のすべての人と同様、郊外に一軒家を持ち、私道には2台の自家用車があって、二人の子供がいて、おそらくは猫や犬もいて、年金勘定には大金がある、といったことを必ず含む。

  別の嘘は、スティーブがそんな生活を送ることができて自由になれる、というものだ。彼は自由だが、それは間違った選択をする自由だ。朝食にスティーブは・・・商業芸術が施された厚紙の箱の中から酷いものを摂取して、実に素晴らしい選択ではないか!そして、あちこち移動するために、彼は・・・ゴムの四輪の上にある使い捨てのビニル製の覆いがついて快適なシートの金属の箱に乗ってガソリンを燃やす、実に賢い、実に賢いではないか!予めセットとして企画された人生を選ぶことで、スティーブ自身が規格品になってしまうわけだが、計画的陳腐化を考慮して設計された社会用の器機のようなものであり、その有効寿命は器機を動かす化石燃料の調達可能性によって規定されるだろう。

  上述したようなことが嘘であることは、考えてみれば誰にも明白なことだ。世代を重ねるごとに、郊外の中流のライフスタイルを維持するために、人々はより多く働き、より多く債務を抱えることを強いられている。およそ三分の一の人々が深刻な精神的問題を経験している。また、およそ三分の一の人々は退職しても暮らせるだけの余裕があるとは信じていない。大部分の人々は、親がしていたほどのよい暮らし向きではないと思っている。

  かくして、私たちは三世代に階層化された中流社会を築いている。一番上には、幸せで、豊かで、自信たっぷりの高齢者が大勢いて、生活は順調で、子供や孫の貧困化に関与していることをちっとも認めようとしない。真ん中には、その高齢者の子であるアダルトチルドレンがいて、くたくたに疲れながらも、自身の気持ちを保つためだけに、すべてはコントロールされていると自らを偽ることを強いられている。そして、成人となったばかりのスティーブのような若者がいて、思うに、彼らが受けたしつけに当然腹を立てている。彼らのほとんどは、彼らの前に用意されているきわめて困難な任務に耐えられない。

術中にはまるな 

  利点の活かし方がわかるほど十分に若者の頭がよければ、この社会にはまだ若者に提供できる多くのものがある。このアドバイスのすべては、「万人がそれを実行したら、社会は壊れてしまう」という範疇に堕する。明らかに、このアドバイスはスティーブのような人向けであり、社会、帝国、あるいは文明にはあてはまらない。このアドバイスはまさにここアメリカで試されてきたことであり、奴隷化に向かう社会の最善の遣り口だったことをうまく言い逃れてきた実績がある。

  先ず何より、ストレートで大学に進学することはおそらく悪い考えだ。高校の最終学年の中頃から始まって大学院生の年季奉公の奴隷の境遇で終わるパイプラインに吸い込まれることを避けることが何より大切だ。疑いを避けるために、形式上、2校志願しなさい。高校の卒業証書を持つことは重要だ。成績と試験の点数は幾分重要だ。1つか2つの科目で優秀な成績を取ることは平均して良い成績を取ることよりも価値がある。もっとも重要なことは、あなたの適性、関心、期待の間にある差を学ぶことだ。

  人生においてこの点で、基本的なお金を稼ぐ技能を身につけることははるかに重要であり、とりわけ、造園、インテリアの修繕、大工仕事、家の塗装、床磨き、機会の修理などの仕事が有益だ。なぜならば、これらの仕事はすべて現金払いでなされる仕事だからだ。屋根ふき、除去作業、そして、一般に、毒物や危険な機械に関わることなど、危険な仕事は避けなさい。ボスや顧客の接し方や人々を監督する方法を知るなど、いくつかの実務的な技量を身に付けることも重要だ。 一番よいのは、一年未満の短期の仕事をして、仕事を学んではすぐに違う仕事をして、いつも特別な非公式のプロジェクトを探すことだ。正規雇用をよい手当てくらいに考え、主要な収入源とは考えないようにしないさい。それゆえ、パートタイムで働くことが最善だ。いつも仕事を探して、転職しては、新しい仕事を学ぶことは、あなたの頭脳を鋭敏に保つことを促すだろう。けれども、必ず読書をしなさい。難しい本を読むことで自分自身を鍛錬しなさい。読書はあなたが学校に戻る決意をするときに助けとなるだろう。

  高校を卒業したら、すぐに両親から経済的に独立しなさい。家を出て、よきルームメイトのいる状況を育みながら働くことだ。家主と直接掛け合って、管理業務をすると申し出て、最も安い家賃のところに行くことだ。ルームメイトは注意深く選び、互いに頼ることができるような結束力の形成に努めなさい。両親から金銭や他の経済的援助を受け取るな。あなたが進学すると決めて、奨学金のような経済支援を申し込むならば、あなたは扶養家族ではなく、両親があなたの学費や生活費を払うことを当てにしないようにして、やらねばならないすべてのことを自分でやりなさい。あなたの両親が説明を求めたならば、あなたは両親を心配しているのだと説明することだ。あなたは両親の年金は生活に十分だと信じていない、授業に吸い取られることになるお金が足しになるだろう、と。あなたが質素に生活して小金を稼ぐためにうまく機能するシステムを持っているならば、理論上、あなたが文無しに見えることは、すばらしいことなのだ。なぜならば学校はあなたが見せるすべてのお金をすべて没収するからだ。疑われないようにいつも必ず開示しなさい、そして、合法的であることを確信するために法律に関する知識を磨きなさい。

高等な何?

  大学に通うことについて考えるとき、こういう教育機関は実のところ何なのかを理解することが重要だ。大学はしばしば「高等教育機関」と呼ばれているが、(政府または産業に資する)研究および学位授与という「資格証明」として知られる営みの二つの重要な任務に比べれば、教育はかなり付随的な扱いだ。多くの点で、長期的ないじめの儀式のようなものであり、大望を抱く者は職が斡旋される前にはジャンプして炎のついた輪を潜り抜けることを要求されるのだ。重要な課外活動はスポーツであり、事実上、男性のセミヌード写真の特約店のような学校もあり、衝撃で醜くなった写真の連中には知性が感じられない。

  素晴らしい授業もあるが、多かれ少なかれ、たまたまだ。教授達は、(学校に威信を与える)彼らの出版物や受賞歴にもとづいて、勧誘され、雇われる。多くの授業は教授自身によって行われるのではなく、大学院生のティーチングアシスタントや助手、その他の学問上の子分によって行われる。

  人間の頭脳は、繰り返しと知識の応用を通して、もっともよく学び取るが、大学のカリキュラムは繰り返しを避けるように設計されており、各々の授業科目も独立した単位として開講されている。教育のほとんどは、試験のための詰め込みの形になっており、試されることは知識ではなくて短期記憶なのだ。学生が卒業する時までに、学生は教わったことのほとんどを忘れてしまっているのだが、完全に磨かれた詰め込みの技術を携えて、彼らの「知識」ないし「能力」のさらに表面的な試験を通り抜けて、頭を使わぬ腕力頼みの方法を整えて、アメリカの資格を授与された未熟者の大きな階級に仲間入りしているわけである。

  上位の大学とその他の大学の間には大きな違いがあると思われている。上位校だと考えられている大学は、わずかに州立大学が含まれているが、ほとんどは私学だ。教えられている内容はどこも同じで、授業の質は極めてばらばらだ。上位の大学は卒業後に仕事を見つける機会に恵まれていると考えられているが、これには議論の余地がある。

  ある種の学生には、有名校はある特権的な便宜をはかっている。どんなに多くの科目をとっても、どんなに悪く学ぼうと、彼らは落第しないのだ。卒業までずっと、個別指導員たちがあらゆる劣った段階を切り抜けさせるために召集される。こういう学生はエリートの子供たちであり、こういう類の大学へ通うことは何よりも習慣の問題なのだ。彼らが何かを学ぶか否かはたいしたことではない。彼らの血統にとっては、服従訓練よりも家柄が重要なのだ。私はアイビーリーグを卒業したうすのろに偶然会ったことがあるのだが、子供みたいな筆跡で、無意味な音節ばかりのスピーチで、ど突かれたいかのような態度だった。

最適な学校

 これが当世の大学事情だとしたら、スティーブのような若者がすべきことは何か?荒涼とした求人市場で上位大学の威信は衰えて、不可避的に積み上がった学生ローンは重荷になるばかりだろう。けれども、大学よりも学ぶ上でよりよい場所はない。

 私が勧めることは、スティーブが、評判や名声にもとづくのではなく、口コミと経済的利点で学校を選ぶ、ということだ。最適な学校は最も良い経済的支援策を提供している大学であり、そこに彼の興味のある学問分野で知っている人がいて、キャンパス外での生活費が安く、アルバイトでお金を稼ぐことが出来ればいい。スティーブは課税収入にならない収入を維持すべきだ。さもないと学校が没収することになるだろう。学校は彼に学生ローンを受けるように強いるので、彼はローンを埋め合わせる十分なお金を同時に貯金するべきだ。彼は学校で仕事を見つけるようにするべきだ。というのはそのような仕事はしばしば授業料免除になるからだ。

 州立大学が好都合だ。学費が安いだけでなく、多くの学生が遠くではなく近郊から通っているからだ。スティーブが地元出身の学生と友達になれば、友人たちは彼のローカルコミュニティへの参入に際して助けになるだろう。理想を言えば、これは卒業後も彼の新しい友人と共に彼がずっと住み続けたい地域での話だ。仕事が見つかるところならどこでも定住を決めるということはよい計画ではない。彼が住むと決めたところならどこだろうと、仕事の見つけ方がわかるということの方が彼にとってはるかによいことなのだ。

泥沼の学問分野

 学問分野を選ぶとき、無内容な学問がある一方で、ずっと役に立つ学問があることを気に留めておくことは重要だ。物理学、化学、生物学、動物学、植物学、地質学といった自然科学は、とてもあなたの役に立つだろう。数学、哲学、天文学、そして、一つか二つの外国語は、あなたをよりよい人間にするだろう。文学と歴史は大切だが、めったにうまく教えてもらえない。この二つの学問が要求することは、読み書きというたった二つの活動なのだから、すばらしい先生に出会えなかったならば、自学することだ。

 そして、心理学、社会学、政治学、経済学といった疑似科学がある。これらは、実験技術や統計分析を採用して科学を装っている。そして、経済学の場合には、ファンキーな数学を用いているが無内容で、これらは明らかに賞味期限がある。その識別はとてもはっきりしている。どんな科目でも、50年以上前の教科書を見てみることだ。真の学問ならば、古い教科書にはないいくつかの最近の発見と技術的進歩があっても(いくつかの素粒子、DNA)、他の箇所は依然有効だろう。偽りの科目ならば、古い教科書のかなりの部分に問題があるように見え、致命的におかしなことも書かれているだろう。

 最後に、職業へのパイプとなる学問がある。法律、医療、工学だ。それらはほとんど教育を受けるということではなく、仕事を学ぶということを扱っており、もちろん「資格を与えること」を行っている。どれも、いじめやしごきが凄い。

 法律関係の仕事はすでに過剰気味で、法律は贅沢な創作品になっており、法律系の卒業生が新しい経済状況の中で大きな学生ローンを長期返済できる見込みはないように思われる。すでに彼らの多くが、大きな金銭的負担ゆえに、公選弁護人になったり無料奉仕に就いたりする選択をしなくなっている。 医療についてはすでに十分記した。だが、もしもスティーブが医者になりたいのならば、「防衛医療」(訳註:「防衛医療(ぼうえいいりょう、Defensive Medicine)とは、主に医療過誤の賠償責任や刑事責任追及等にさらされる危険を減ずるための、医療者側の対応として行う医療行為、あるいはリスクの高い患者の診療の忌避を意味する。」wikipedia )を実践して半日を書類整理に費やすテクノクラートよりもむしろ、真の医師に学位を与える医学校が世界中にある。彼らはインターンとして長期にわたる睡眠不足実験という厳しい訓練を受けた後、豪壮な邸宅に住み、製薬会社主催の視察旅行に飛び回り、ゴルフに勤しむ。それも変わるかもしれない。

 私は工学が好きで、自分自身その厳しさの中で訓練を受けた。工学は時々、私が思うには、良い人を育む。大人になりきれず、無生物の対象に奇妙なほど夢中になるものの、いろんなことができて、一般に信頼できる人だ。もしもスティーブが、様々な機械を完全に分解して再び組み立てて、その後それらを再びちゃんと動かせるような、点検好きならば、そして、強いプレッシャーを受けながら数式を書きまくる4年間を覚悟するならば、工学は彼に向いているかもしれない。工学によって生計を立てることができるかどうかはわからないが、エンジニアはたいてい、為すべき多くの他の事柄に気づくことができるものだ。

他ならぬ一枚の紙

  前もって語ることはしばしば困難だが、多くの人々にとって、卒業することはまったく無駄なことかもしれない。ところが、時宜を得て中退することは極めて好都合なことかもしれない。私は決して卒業しなかった多くの人々を知っている。私のボスもいれば、私の同僚、私の従業員にもいた。彼らはしばしば独自の見方を持っており、知識の異常な深さを持ち合わせていた。私がこれまでに出会った最も教養ある人々の中の幾人かは中退者だった。たとえば、独学の詩人ヨシフ・ブロツキーは、ノーベル文学賞を受賞しているが、15歳で小学校を中退した。

 決して卒業しないという意向を表明することではなく、状況に応じて振る舞うということが、最も肝要なことなのだ。周りの学生が受講登録に忙しく、また、並みの教師による無内容な必修科目に苦しんでいる間に、あなたは学びたいこととそれを学びたくなる人を見つけ出すことができ、それをしっかりと学ぶことにあなたの時間を使うことができる。急いではいけない。満足がいくまで教育内容を吸収していないと感じるならば、不完全履修を要求することができ、無料でその科目を丸々再履修できるのだ。よいプロジェクトがやってきたならば、それを選んで、休学し、その後、復学してさらに学ぶことだ。復学して学位を取得するつもりだとみんなに話し続けなさい。学生の身分があって、いつでも復学して学位を取ると言って憚らない四十代後半の人々を私は知っている。

 成績評価をあまり気にするな。あなたが受けた評定など些細な差でしかないが、あなたが学ぼうとしたことを学ぶことが出来たかどうかは大きな問題だ。あなたが奨学生ならば、奨学金をもらい続けるために、あなたに要求される平均点を維持しなさい。あなたに下される成績をあなたが教授に下す成績として考えなさい。つまり、もしも教授がすばらしい人物ならば、あなたもあなた自身の優秀さで応えるべきなのだ。

地球再考

  あなたの教育において、最後に言うがおそらくもっとも人格形成に資することは、あなたがアメリカの国境を越えて世界を見ることだ。言葉を学び、それを話せる国々を巡ってバックパックを背負って旅することだ。スペイン語は、まさに第2の国語で、学ぶことが最も容易な言語であり、大きな世界の鍵を開ける。その大きな世界は、アメリカの国境の内側で始まり、あなたが逃れるために学ばねばならなくなる白人の狂気についての冷静な見方と共に、豊かな精神を供してくれる。

 あなたの年齢では、あなたの人生観、あなたの個性、あなたの癖、あなたの好み、あなたが何者なのかといったことがまだ形成途中だ。世界についての斬新な大局観、そして自分自身についての新たな見方を得るのに、自分自身を未知の状況に置くことよりも良い方法はない。初めての場所、初めての文化、異なる言語。あなたが見つけることを誰が知っているというのか?あなたが見つけるものは、住むことになる新しい場所かもしれないし、放浪生活を送ることが次第に好きになることかもしれない、あるいは、新たな心の平安や自足の感覚、独特の人生観かもしれない。

事実か見解か?

  あなたは何をするつもりだろうか?単なる見解にもとづいて、誰も困難な道には進みたくはないし、生活をさらに苦難に曝したくはなく、あるいは窮乏生活に耐えたくもない。人々は事実を望む。私がここに最も明確に書いていることは、見解と事実の間にある不明瞭な線にまたがっている。私は意識的に権威者からの引用を避けてきた。なぜならば、その線が本当に不明瞭であり、どんな権威者もそれを楽にしてくれる助けにならないことを強調したいからだ。私がここに書いたことの中にはあなたに共鳴することがあって、それをあなたは事実に近いと考える傾向があるだろう。そして、あなたが同意しないかもしれない私がここに書いた別のことについては、それらを単に私の見解だと考える。いずれにせよ、あなたの人生に関することなのだから、問題はあなたの見解であって、私の見解ではない。

  事実と見解の間の線はいつも動いているのだ、時折気づかれないほどゆっくりと、国全体がもっともっとと借金の中に沈んでいくように、また、時折とても速く、数百万人の人々が数週間ばかりで突然電気を失うように。それは地図の上の海岸線のようなものであり、しっかりと事実にもとづいており、固定しているが、異常な嵐の大波のときは別だ。あなたがドライ(無味乾燥)のままならば、海岸線の移動は単なる見解(意見)だ。あなたがしばらく水面下に置かれたならば、海岸線の移動はもっと事実のように受け止める。あなたはいつ高地へと移動する時間を決めるのか?あなたはいつ自身が水面下にいることに気づいて、泳がねばならなくなるのか?そして、あなたはまだ濡れていないが、そこが不毛なところだと気づいて、より高台に移動するとしたらどうか?

  最後まで不愉快な決定を先延ばししたいのが人情というものだ。だが、私たちに開かれた選択肢を十分に持っているならば、私たちは不愉快な決定を難無く受け入れることができる。現状に満足して暮らす毎日、ますます自身をシステムに依存させるようにして、私たちはますます選択肢を狭めている。そのシステムは私たちがコントロールできないもので、信頼することができないものだ。だが、そういった依存から脱却するために踏み出すことができて、私たちに選択肢をもたらすことになる、小さいながらも意識的なステップがある。そのような歩みを十分にしておくならば、大きな人生を変える決定のために、その時が来たときには、準備が出来きていることだろう。

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