Dmitry Orlov氏の『死に際の資金集め』
| 福島の原発事故のすぐ後に私は、『原発をとめねばならない』と題する記事を書いた。福島の事故から、地震や津波によらずとも石油減耗が進むや原発の維持管理が困難になり、日本中を放射能まみれにする原発事故が発生するであろうことを連想・予見したからである。
本稿は、Dmitry Orlov氏のブログCLUBORLOV 2012年4月24日付けの記事Fundraising in Extremisを訳したものだが、彼もまた原発事故の発生を予見して、辛辣なジョークを交えながら、私たちの置かれた苦境を指摘し、一縷の望みをかけている。
Chen Wenling
Catch of the Day
昨日にも取り組み始めている必要がある重要な事業がいくつかある。というのは、それらの事業が人類の存続にとって鍵となるからだ。だが、不幸にも、マネーを投資する唯一の目的がさらなるマネーをつくり出すことだと命じる市場経済と国際金融の歪んだ性質のために、重要な事業は通常の営みでは資金提供されることがない。破滅的な結末を回避するための事業はカネにならず、それ自体で、資金繰りができるものではない。一方、数百万個ものオレンジ色のプラスチックでできたカボチャを毎年、中国から船積みして運んでくることは確実な儲けになり、それゆえ自由市場は、私たちみんなが生き長らえる上で必須のことに取り組むことよりも、オレンジ色のプラスチックでできたカボチャの方を優先させている。自由市場の見えざる手は見えざるバカから伸びていたというわけだ。
この類いの重要な事業の格好の例は、送電網を喪失して福島第一原子力発電所みたいにメルトダウンして数千年にわたって土地と海を汚染することになる前に、原子力発電所を閉鎖する事業である。送電網は実際にがたがきており、電力供給が途絶する発生率はアメリカでは指数関数的に増加している。ちょうど最近、変圧器の爆発が原因でボストン中部の広範かつ重要な地域で停電が起こったところだ。その対応は緊急時用の電力を供給するためにディーゼル発電機を動かすことだった。
送電網を構成する変圧器は往々にして古くなり、しばしば何十年も前のモノで現在では海外でしか作られていないような代物であり、また、高価であるために近場にはそれほど予備がないのだ。このインフラの老朽化と共に(設備更新するカネがないために、老朽化し続けるだろう)、事故が頻発するようになり、すでに希少で高価な軽油の供給にさらなる圧力がかかることだろう。すでに多くの地域で、緊急時用のディーゼル発電機は、緊急時にだけ稼働しているわけではなく、電力消費のピーク時に送電網に供給される電力の不足分を埋め合わせるために使われている。以前から軽油は海上および陸上の輸送に使われ、また、その他の重機にも使われており、世界のどこにも軽油の余裕はない。したがって、送電網に地域ごとにディーゼル発電機を導入するというアイディアはすぐにも深刻な問題に直面するだろう。実際に、世界中の軽油不足についての多くのレポートを見るならば、すでに問題が起こっているのだ。
長時間の停電は原子力発電所には致命的である。電力が供給される送電網がなければ、原子炉は停止されねばならない。そして、原子炉は、メルトダウンを避けるために、冷却される必要がある。冷却ポンプを稼働するための電力は、発電所自体または送電網に由来するが、もしも両方が使えないのならば、ディーゼル発電機に頼ることになる。たいてい手持ちの軽油は二三日分ほどしかなく、それ以上経過すると、冷却水が沸騰し、核燃料を覆うジルコニウムが燃え始め、すべてが溶け出して、あまりにも放射線が強いので近づくことさえできなくなり、除染は敵わないこととなる。
しかも悪いことに、アメリカ国内の100機ほどある原子力発電所施設は使用済み核燃料棒で一杯なのだ。使用済み燃料はもはや発電には使えないが、その多くはまだ相当熱いので、燃料棒はプールの中に貯蔵され、水が沸騰しないように水を循環させて冷却されなければならない。使用済み核燃料は元素周期表全体に及ぶほどの放射壊変でできた核種を含み、それらの多くは放射性かつ毒性がある。もしも水が沸騰してなくなると、燃料棒は自発的に燃焼して、原発周辺の田舎を核壊変でできた放射性かつ毒性の物質で覆うことになる。解決方法は、プールから燃料棒を吊り上げて乾燥した貯蔵樽に移して、その貯蔵樽を地震が起こる領域から遠く離れた地質学的に安定な構造の地下深くに運ぶことである。これはカネがかかり、遅々とした工程である。これをやるにも現在、カネがないのである。
もう一つの関連した同様に重要な事業は人々、とりわけ先進国の人々を助けることであり、あまり電気を必要としない生活への移行を図ることである。ほとんどの地域で、再生可能エネルギーを利用した技術の組み合わせは照明とコミュニケーション(この用途には電気が重要)のための電気の供給を安定させることを必要としている。さらに、太陽光利用施設は国内利用および産業利用のための熱エネルギーを供し得る。この事業もまた大規模な事業で、大きな費用を要するがゆえに、長期にわたる資金提供を必要とする。だが、またしても、カネを生み出すような類いの事業であるとは期待されていない。誰もLED電球や携帯用電子機器の充電器に取り替えて数キロワットの家庭内電力システムを持つために支払いたくないのだ。そして、誰も太陽光で暖めた水を使って食器や衣服を手洗いする生活に戻りたくないだろう。人々はむしろ快適なまま居続けたいのだ。それがもはや不可能になったときには、汚い服を着て暗闇の中に静かに座っていることだろう。
では、この重要な事業のためのお金はどこからやって来るだろうか?明らかに、政府からではない。政府は政治家の政治活動資金を工面してくれる銀行や金融機関の救済のためにあまりにも忙しい。資金はひとえに私人たる諸個人に委ねられることになるだろう。そこで、この重要な資金の潜在的な源として、諸個人について調べてみることにしよう。
アメリカ合衆国を例にとって、底辺から上層へと経済的食物連鎖を調べるならば、まず虐げられた人々がいることに気づく。この国を偉大な国にしてくれている、ドレイ、ジェノサイド、経済的搾取、人種および民族差別の犠牲者たちである。彼らのことを「貧民」と呼ぶことにしよう。彼らは社会の中で重要な役割を担っている。つまり、いくらかましな虐げられた単純労働者に優越感を催させ、「少なくとも俺たちはあいつらよりはましだ」と考えさせ、雀の涙ほどの薄給のために働き続けることを促してくれている。彼らは労働力を提供して利用されるかもしれず、また、おそろしく多くの宝くじを購入するかもしれないが、大型事業のための資金提供はこういった人間集団の機能ではない。彼らのほとんどは極貧ないし貧困であって、その日暮らしをしており、借金生活に陥っているものだ。
次に、無視できないほどの正味の財産を所有する小さな集団がいる。「中流階級」という言葉は無意味になってしまったので、この小さな集団を「裕福な人々」と呼ぶことにしよう。ますます多くの人々が、どれくらい多く所有するかではなく、どれくらい多く借りているかで、富を測るようになるとともに、この集団は日毎に縮小している。もしもあなたが預金と借金が正反対のものだと考えるならば、あなたは正しいかもしれないが、厳密には、あなたが裕福な人々にとってのマネーの本質的な目的が彼らにリッチだと感じさせることだということを無視する限りの話だ。リッチだと感じるために、彼らは二つのことを必要とする。一つ目は、リッチであることを顕示する装飾の類だ。派手な車や衣服、最新の電子機器、大きなシリコーン製の乳房のインプラントを施した女性、スキー休暇などだ。こういたったものが、お金を費やして獲得されたのか、あるいは借金を膨らませて獲得されたかどうかはあまり問題ではない。いずれにせよ、彼らはリッチであると感じ、あるいは少なくとも彼らが見下すことができる他の誰かよりもリッチだと感じて、そのことこそが真に問題とされるすべてなのだ。二つ目は、大きなカネを動かしているという抽象的で中毒となったスリルである。このカネは自身のものあるいは借りたものである。お金の目的はさらにお金を儲けることで、借金の目的はさらに借金を膨らませることだ。災難を回避してもっと慎ましい生活様式を受け入れるために貯金を使うことは、どっちみち彼らをリッチな気分にしないだろう。
最後に、超大金持ちがいる。単純にあまりにも多くのお金を持ちすぎている人々のことだ。ジョージ・ソロスやビル・ゲーツのような人々は大きな慈善活動に勤しみ、民主主義やマラリア撲滅を推進している。彼らが助けてくれないか?理論的には、彼らは救世主たり得る(確かにカネを持っている)が、私たちは彼らが何者なのかを理解しなければならない。彼らは吸血鬼なのである。彼らは私たちの血を本当に吸うことはないが、私たちの時間や骨折り仕事を吸い取る。私たちは、ますます荒廃著しい惑星で、「生活費」とますます口先だけとなった退職後の約束(老いると彼らの役に立たない)を得ている。一方、彼らは他のすべてを手に入れているのだ。彼らが私たちの富を押収する方法は様々だ。ソロスは通貨市場での投機によって人々の貯金を盗んだ。ゲーツはアメリカ政府と共謀して、バグがあって肥大化して不安定なオペレーション・システムを世界に強制することで、「マイクロソフト税」を課した。ウォルマートを所有するウォルトンは、アメリカの小さな商いを締め出しながら、アメリカの雇用を中国に運び出した。だが、彼らが贈り物を供与する方法は様々ではない。その目的は、彼らがよき人であるかのように見せることだ。このことが意味することの見方を学ぶために、ベルトルト・ブレヒトによる一篇の詩があり、スラボイ・ジジェクによって訳されている。
善良な人々の尋問
歩み出てください。私たちは聞きました
あなたは善良な人だと。
あなたは買収できない、だが
家に落ちる稲妻もまた
買収できない。
あなたは言ったことを守る。
けれども、あなたは何と言ったのですか?
あなたは正直者だ、あなたはあなたの意見を述べるでしょう。
どんな意見ですか?
あなたは勇敢です。
誰に対して?
あなたは賢い。
誰のために?
あなたはあなたの私的利益を考えない。
では、あなたは誰の利益を考えるのか?
あなたはよき友人だ。
あなたはまた善良なる人々のよき友人ですか?
では聴いて下さい。私たちは知っている
あなたは私たちの敵だと。
これが理由なのです、私たちが
今、壁の前にあなたを向ける。
けれども、あなたの長所やよき性質を考慮して
私たちはあなたを良い壁の前に向けて、あなたを撃つ
良い銃の良い銃弾で、そしてあなたを埋める
良い地球に良いシャベルを使って。
超お金持ちは社会の中で二つの役割を持っている。主たる役割はできるだけ効率よく富を地球と人類から吸い上げることだ。副次的な役割は、彼らが地球と人類に恩恵を施す人々であるように見せるやり方で、吸い上げた富の一部を吐き出すことだ。だが、この支払いのバランスに問題がある。地球と人類が彼らの活動から正味の利益を引き出すためには、彼らが吸い上げた量よりも多くはなくとも同じ量だけ吐き出してもらわねば合わないだろう。すると、このプロセスで彼らは超大金持ちではなくなるだろう。結果的に、彼らは存在することを終えることになるだろう。
さて、いよいよ議論の核心に到達した。この惑星を将来世代にとって生存可能なものとする私たちの事業に資金提供できる唯一の源は超大金持ちだということになるのだが、このプロセスで、彼らは存在することを終えねばならなくなる。ブレヒトの方法は単純で劇的だが、もっと慈悲深い選択権が考えられ得る。人々が息災に過ごしていてもついには、ある時点が訪れる。彼らのお金を処分する問題という話になる、つまり、彼らの臨終の床ということだ。死に臨んで横たわっていると、人は必ず「あなたはそれを持って行くことができない」という事実について熟考し、死後の酷くなりそうな世界についての思考が心を苛むことになる。そして、正しい説得でもって、聖職者やNPOの指導者たち、はたまた物乞いたちによって、劇的な結末がしばしば達成される。この時点で、この惑星に残されたものを守るための説得はうまくいくかもしれない。
ここで、超大金持ちたちが臨終で横たえている状況を想像してみたまえ。彼の前に並んでいるのは、彼の多くの(前)妻たち(地方の重婚に関する法律を遵守して、妻たちが空間的にも時間的にも一定間隔に配置された西洋のハーレム)と多くの子どもたちで、みんなが彼の遺産の分け前を待ち焦がれている。そこには最初にやってきた皮がたるんだ小うるさい老女がいる。フェース・リフト、インプラント、ボトックスをすべて試みたものの、それが今ではしおれてしまって記念物と化した妻で、まるで風船できた動物がしぼんでしまったかのように見える。そして、死に際の彼(および彼のボディーガード)に今時の会社を維持させるのに一役買っている、かわいらしいが社会病質者である若い色情狂の女も並んでいる。女どもが彼の早い死のために彼の幸福や望みに対して偽善的に気遣っている様にはぞっとするものがある。子どもたちもそれぞれにおぞましい。誰もが、父の言う通りにして相続し損なわないようにするために、できる限り荒らげない健全な兄弟姉妹間の競争の練習をした。だが、ひょっとすると老いて醜くなった父はお金をすべて彼のお気に入りの子にすべて遺すのではないかと疑い深くなる。そして、お気に入りの子はワイン貯蔵室で見つけ出されや、絹のスカーフで絞殺されている。お上品な英語圏の作家があまりにも多くの殺人ミステリーを執筆するのには理由があるのであり、風景画家がとてもたくさんの木を描くのと同じ理由である。要するに、そういうところで育ったということなのだ。
だが、そこに高貴で飾りけのない紳士たちの集団がやって来て、謁見を申し出たとしよう。彼らはみな、悩める家父長がよく知る秘密結社の正規会員であり、彼らが計画を立てることになる。彼の遺産は軍資金に回されて、生存可能な未来を勝ち取るためのすべての戦いを遂行するために用いられるプランだ。彼は死につつあるが、地球は存続するかもしれない。弁護士たちが集められ、遺言状が急遽修正され、サインが記される。至上の幸福のうちに家父長は息を引き取る。
それで、こういうことが起こらないとしたならば、そのときにはブレヒトが暗示したことになるだろう。