Dmitry Orlov氏の『アメリカの泣きどころ』
|3度目の紹介になるが、2005年4月にエジンバラで開催された石油減耗に関する会議の席でC.J. キャンベル氏は「石油時代の前半が今幕を下ろす。それは150年間続き、工業、輸送、貿易、農業、金融資本の急速な拡大を見せ、人口を六倍に増やすことを可能にした。金融資本は、石油にもとづくエネルギーによって焚きつけられた「明日の発展」を「今日の借金」の適当な担保と信じることで銀行によって創られたのだ。石油時代の後半は今黎明にある。石油と石油に依存するすべて(金融資本を含む)の衰えによって明示されるだろう。それは、現在の金融システムと関連する政治構造の崩壊を予告するものであり、いわば第二次世界恐慌である」と語った。(ASPO NEWSLETTER No 53, Contents No.534 )そして、私たちは目下、「政治構造の崩壊」を目の当たりにしているのかもしれない。
ピークオイルという危機に対する応答として国ごとに異なるシナリオが考えられるが、Jörg Friedrichs氏の論考"Peak Oil Futures: Same Crisis, Different Responses"は一読に値する。そこでは、自然農法に転換したキューバの例とは対照的に、「石油の一滴は血の一滴」のスローガンが掲げられた20世紀前半の日本の軍事的跛行についても言及されている。 再び世界は、資源・エネルギー制約ゆえに、不穏な状況に陥って、私たちは理性的に未来を展望することが迫られている。そんな折りに、アメリカの外交政策が石油利権と大いに関係したものであることは言うまでもないが、安全保障問題という形で日本も巻き込まれてしまったようだ。
2015年5月14日、安全保障法制の関連11法案が閣議決定され、安倍首相は官邸で会見を開いた。一定の条件を満たせば、集団的自衛権の行使が可能になると規定されているが、アメリカの戦争に巻き込まれることは「絶対にあり得ない」と安倍首相は否定した。はたしてコントロールできるのだろうか。
さて、その閣議決定の2日前、Dmitry Orlov氏が米露の対立とアメリカの未来を記した内容の” America’s Achilles’ Heel"と題するエッセイを公表していた。彼は、アメリカが崩壊過程にあることを言って憚らないピークオイル論者だが、彼が懸念することは断末魔のアメリカがイラクやリビアやウクライナのような破綻国家という犠牲をさらにいくつかつくり出すのではないか、ということだ。そのいくつかの国に心当たりはないだろうか。
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Heiko Müller
[ドイツ語訳] [フランス語訳][ポルトガル語訳][イタリア語訳]
先週の土曜日(訳註:2015年5月9日)、ナチス・ドイツが赤軍に降伏してベルリンの国会議事堂の上にソビエトの旗が掲げられて70周年になることを記念した盛大な戦勝パレードがモスクワで開催された。このパレードに関していくつか異常に思われることがあったので、私はそれを指摘したい。というのは、その異常な状況が西側のプロパガンダ物語と衝突するからだ。一つ目に、パレードで行進したのはロシア軍だけではなかったということ。その他10ヶ国の軍隊がパレードに参加しており、中国の儀仗兵やインドからの選抜歩兵の派遣団を含んでいた。これらの国々の高官が臨席していたわけだが、中国の習金平総書記と夫人はウラジーミル・プーチンの隣に座っていた。プーチンは、パレードの始まりのスピーチで、一極集中の世界を創り出す試みに苦言を呈した。それはアメリカ合衆国とその西側の同盟国に直接向けられた鋭い言葉だった。二つ目は、赤の広場を通って運ばれていた軍の兵器やその上空を飛んでいたものを見たところ、共に自殺行為となる核兵器が足りず、アメリカ軍がロシアに投下できるほどに十分ではなく、ロシアは攻撃を無効化できないだろうということ。
ともあれ、アメリカがロシアを孤立させようとする試みは正反対の結果を招いているように見える。もし、世界最大の経済、30億人の人口を擁する10ヶ国が、世界の支配に関するアメリカの試みに逆らうために、小異を捨ててロシアと互いに協力すべく立ち上がったならば、明らかにアメリカの計画はうまく行かなくなるだろう。西側のメディアは、むっとしたからなのか、それともオバマ政権に頼まれたからなのか、西側のリーダーが祝賀会への出席を拒否した事実に注目した。だが、このことは、ヒトラーを打ち負かしたことにおいてだろうと70年後に彼の敗北を記念することにおいてだろうと、ただメディアの的外れっぷりを強調しただけだった。というのは、プーチンは、彼のスピーチの中で、戦争中の協力への貢献に対して、特にフランス人、イギリス人、アメリカ人に謝意を表したからだ。プーチンがダンケルクで力になってくれたベルギー人の貢献を言い忘れたことを私は残念に思う。
パレードの細かい演出もやはりすばらしい。トゥヴァ(訳註:トゥヴァ共和国は、アジアの中央部に位置し、ロシア連邦を構成する共和国の1つ)の仏教徒で最も尊敬されるロシアのリーダーの一人である、セルゲイ・ショイグ国防相、彼は国防相になる前に非常事態相を努めて前任者が誰もやってなかったことをやり遂げた人物だ。式典の始まりで、彼がロシア正教の作法で十字を切った。この簡単なジェスチャーがパレードを軍隊の誇示から神聖な儀式へと一変させた。そして、二つの旗を振りながらゆっくりと行進が続いた。二つの旗とは、ロシアの旗と、70年前の戦勝の日にベルリンの国会の天辺で翻ったソビエトの旗だ。行進のときに人気があった第二次世界大戦時の愛唱歌が伴奏された。そのタイトルは?「聖なる戦争」だ。そのメッセージは明快なものだ。ロシア軍、そしてロシア人は、神の手の中にあり、神の仕事をしよう、もう一度自らを犠牲に供しても邪悪な帝国の暴虐から世界を守ろう、というものだ。
これをロシア人の国家的プロパガンダとして片付けようとするならば、あなたは他にも知るべきことがある。あなたは自発的に組織化された行進のことを聞いただろうか?公式のパレードの後、第二次世界大戦で亡くなった親族のポートレイトを手にした50万人の人々がモスクワ市内を行進したのだ。その出来事は、「不滅の連隊」(Бессмертный полк)と呼ばれた。同様の行進はロシア中の多くの都市でも起こり、総参加者数は400万人に上ると見積もられている。西側の報道はそれを酷評するか、あるいはそれを反西側陣営の感情をかきたてるためのプーチンによる画策とみなした。この宇宙を旅する私の友よ、「マスコミ報道」こそプロパガンダなのだからね!だが、あれは純粋な民衆の感情の熱狂的で自発的な発露だったのだ。それが些細なことだと思っているようならば、こういう規模の出来事が人為的に考案されることはあり得ないということを考えるべきであり、また、数百万の人々がプロパガンダ目的のために死者を売るという考えは、率直に言って、軽蔑的であり、侮辱していることになるだろう。
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さて、静かに崩壊する代わりに、アメリカ合衆国はロシアに戦いをふっかけることを決めている。すでにアメリカは戦いに負けているように見えるが、疑問が残される。アメリカの不可避的な敗北と分裂の現実が自国に過去の行いの悪い報いをもたらす前に、さらにどれくらい多くの国々をアメリカは破壊するつもりなのだろうか?
プーチンが去年の夏にセリゲル若者フォーラムで話したように、「私の見極めでは、アメリカ人がどんなに影響を及ぼそうと(訳註:本稿では、何度も登場する”touch”を「影響(を及ぼす)」と訳している。)、彼らはリビアかイラクで終わる。」実際のところ、アメリカ人はばか騒ぎをして、次々に国を壊している。イラクは分割され、リビアは行くべきでない地域となり、シリアは人道に悖る大惨事の最中、エジプトは大量投獄計画実施中の軍事独裁制になっている。最新の大失敗はイエメンであり、親米政府が最近転覆されて、その地で身動きできないことに気づいたアメリカ人は、救出してもらって家に帰るためにロシア人と中国人を待たねばならなくなった。ところが、その前にアメリカは外交上の大失敗をウクライナでやらかしており、それは、アメリカ人のやり方は度が過ぎており、さらなる行動の自動拡大を招いてしまう、という警告を発することをロシア人と中国人に促してしまった。
ロシアの計画は、中国、インド、他の世界の多くの国々と協力して、アメリカとの戦争に備えつつ、しかし、その戦争を避けるためにできることには何でも取り組む、というものだ。時代はロシアに軍配を上げる。なぜならば、一日一日と時が過ぎるにつれて、ロシア陣営は強くなっており、一方、アメリカは弱くなっているからだ。だが、この過程が自然の経過をたどる間に、アメリカはさらにいくつかの国々に「影響」を及ぼして、それらの国々をリビアやイラクのように変えてしまうかもしれない。一覧表ではギリシャが次か?今ではNATO加盟国(つまり、いけにえの子羊)になったバルト諸国(エストニア、ラトビア、リトアニア)をバスの下敷きにするのはどうか?エストニアはロシアの二番目に大きな都市サンクトペテルスブルクから近く、大勢のロシア人が住んでいて、過半数がロシア人からなる首都があり、過激な反露政府である。これら四つの事実の中で、一つのことだけが怪しい。エストニアは自滅する準備がされているのだろうか?そして、ロシアの扱いにくい地域にある、いくつかの中央アジアの共和国もまた「影響」の準備が整っているかもしれない。
アメリカ人が世界中でいざこざを起こし続けるだろうことは疑いがなく、できるだけ長い間、弱くて利用できる国々に「影響」を及ぼそうとする。だが、尋ねるべき別の疑問がある。アメリカ人は自らに「影響」を及ぼすことになるのだろうか?というのは、もし彼らが自らに影響を及ぼすことになるならば、 爆撃で破壊されて荒廃した地域へと凄まじい模様替えをすることになる次の候補地がアメリカ合衆国それ自体になるかもしれないからだ。そこで、このオプションについて考えてみることにしよう。
ファーガソンでの出来事、そして、より最近ではボルチモアの出来事が示唆しているように、アフリカ系アメリカ人と警察の緊張は爆発しそうなほど高まっている。アメリカの「麻薬戦争」とは、実質的には、若い黒人(およびラテンアメリカ人)男性との戦争である。若い黒人の3分の1ほどが獄中にいるのだ。彼らはまた警察官に銃撃される高いリスクを抱えている。公平に言えば、警察官にもまた若い黒人女性に銃撃される高いリスクがあり、警察官を神経質にして過剰反応を招いている。1億人に迫るアメリカ人が失業(細かく区別したいのならば、「労働力の外outside the labor forc」)状態にあって徐々に崩壊している経済を考慮すると、増えるばかりのその人口集団にとっては、当局者に協力することはもはや有益な戦略ではなくなっている。言うまでもなく、捕まえられるか殺されるかであり、法律を無視することで一時給付金は得られない。
市民の暴動や反乱に関する情報を封じるアメリカ・メディアの能力には、興味深い非対称性がある。暴動が海外で起こったならば、そのニュースは注意深く編集されるか完全に黙殺される。(アメリカのテレビは、ウクライナの軍隊による市民居住区への砲撃が最近再開されたことを報じたか?もちろん、報じていない!)こういうことが可能なのは、アメリカ人は周知のこととして自己愛が強く、外の世界のことには極めて無関心であり、アメリカ人のほとんどが無知で、彼らが知っていると思っていることはしばしば間違っているからだ。だが、もしも暴動がアメリカ国内で起こるならば、より高い視聴率を叩きだして、より多くの広告収入を得るために、誰が暴動をよりセンセーショナルに扱えたかという点で、様々なメディアが互いに競争するわけだ。アメリカのメインストリーム・メディアは一握りの巨大コングロマリットによってしっかり牛耳られており、情報の独占が許されているわけだが、広告販売のレベルでは市場原理がまだ優勢なのだ。
そういうわけで、正のフィードバックループがはたらく可能性がある。すなわち、市民の暴動が発生すればするほど、ますますニュース報道がセンセーショナルに扱われるようになり、それが次に、市民の暴動を増幅して、さらに報道がセンセーショナルに扱われるようになるのだ。そして、同様に、第2の正のフィードバックループがある。市民の暴動が起こるほどに、ますます警察は状況を抑え込もうと過剰反応して、それによって、さらなる怒りを生み出してしまい、市民の暴動を増幅するのだ。これら二つのフィードバックループはコントロールが効かなくなるまで続くが、そのような最近の出来事では、最終的な結果は同じである。つまり、州兵からなる軍隊の投入と夜間外出禁止令および戒厳令の発布である。
最近では、たとえ小さな町でさえほとんどの警察部門がかなりの武装化をしており、また、いくつかの学区では警備員さえ軍用車とマシンガンを備えていることを考えると、軍隊の速やかな投入はいくらか奇妙に思えるかもしれない。だが、j事態の進展は自然なことなのだ。一方、習慣的に力尽くで訴える人々はそれがうまく行かないと思うと、そういう人々は通常、十分な力を使っていないからだと考える。他方では、犯罪にまつわる司法制度がすでに茶番で修羅場だとしたら、どうしてお役所的な面倒な手続をやめないのか、なぜに戒厳令を施行するのか?
アメリカにはあらゆる種類の武器がおそろしくたくさんあるが、資金不足によってアメリカが海外の米軍基地閉鎖を強いられるに連れて、その間ずっとさらに多くの武器が還流してくることになるだろう。やがてアメリカ人はおそらくその武器を使うようになるだろう。それは、赤レンガがボストンで用いられるようになったのと同じ理由、同じ様式によってである。御存じだろうか、多くの赤レンガはイギリス船に乗ってボストンに入ってきたのだ。船の中で赤レンガは帰路のバラストとして用いられた。このことが、レンガを使って何かする勢いを与えることになった。だが、レンガのビルを建てることは難しく、工程を要し、労働者がいつも酔っぱらっているのならば、特に難しい作業になる。そこで、解決策はレンガを歩道の舗装に使うことになった。それは四つん這いになってもできる作業だった。同様に、軍事兵器が外国からアメリカに還流してくるのだ。そして、それが使われる。なぜならば武器がそこにあるからだ。しかも最も愚かしい方法で用いられるだろう。自国の人々を銃撃することになるのだ。
だが、軍が自国の人々を銃撃するように命じられると、悪いことが軍に起こる。遠くの国で「タオル頭」(訳註:"towelhead"は、アラブ人やインド人など,頭に布やターバンをかぶった人をさす軽蔑的な俗語)を撃つことと、あなたが育った街の通りであなた自身の兄弟分かもしれない誰かを狙撃するように命令されることは、まったく別のことだ。そのような命令はフラギング(自身の上官を撃つこと)、命令に従うことの拒否、他の陣営を守る行動、といったことを招くことになる。
そして、事態はおもしろくなる。なぜならば、おわかりのように、銃撃したり、投獄したり、あるいは無力な市民を長い間虐待しようものならば、そのお返しは武装蜂起となるからだ。反乱を組織化するのに最も容易な場所は刑務所だ。たとえば、ISISないしイスラム国家は、アメリカ人によって投獄される前にはサッダーム・フセインのために働いていた人々によって指導された。彼らは投獄を奇貨として効率的な組織構造を練り上げて、釈放されるや、互いを見つけ出して、仕事に取り掛かったのだ。若いアメリカの黒人の3分の1を投獄しているということは、効果的な反乱を組織化する上で必要な機会を彼らに与えているも同然なのだ。
効果を発揮するには、反乱は多くの武器を必要とする。これに関して、軍事兵器を調達するための手順があり、それはほとんどお決まりの方法になっている。どんな兵器がISISで使われているだろうか?もちろん、アメリカ製だ。バグダッドの体制へとアメリカ人が供給したもの、そして、イラク軍が戦闘拒否して逃亡したときにISISが戦利品として得たものだ。では、イエメンのフーシ反乱軍(訳註:「フーシは、イエメン北部サアダ州から発展し、北部を拠点に活動するイスラム教シーア派の一派ザイド派の武装組織」wikipedia)によって使われたのはどんな兵器か?もちろん、アメリカ製だ。アメリカ人が今となっては転覆してしまった親米政権に供給したものなのだ。では、バッシャール・アル=アサドのシリア体制で使われている兵器はどうだろうか?やはり、アメリカ製だ。ウクライナ政府がアメリカ人から手に入れた兵器をシリアに売ったものだ。ここに一つのパターンがある。つまり、アメリカ人が兵器供給し、訓練し、軍を武装するときはいつでも、その軍隊がただ解体することになり、アメリカ人の利権に反対するために兵器を使いたい人々の手の中に兵器が転がり込む、このようなことには実に高い蓋然性があるように思われる。そこで、ひとたびアメリカが自国を軍事占領下に置いたとしたならば、これと同じパターンが成り立たない理由を考えることは難しいだろう。
事態は実に興味深いことになるだろう。とてもよく武装化され、とてもよく組織化された反乱、それはとことん過激化して憤慨した人々によって引き起こされる。彼らには失うものなどなく、家の芝生のために戦うのだ。彼らの家族は、目下、「影響」を及ぼしたすべての国で見世物的に失敗していて、士気を挫かれて敗走したアメリカ軍と戦うことになるわけだ。
彼らは言う、「あなたがたは市役所と戦うことはできまい」と。だが、全方位に向けられる回転式砲塔があって、動くものには何でも砲撃でき、市役所の周りの四つの交差点を制圧できる重戦車大隊があればどうか?そして、すべての主要市役所職員宅のインターホンを鳴らして回るだけの十分な歩兵がいたらどうだろうか?市役所との戦いにおける勝利のオッズが変わるのではないか?
このシナリオが現実のものになる前に、アメリカはさらにいくつかの国々に「影響」を及ぼすかもしれないが、(全面戦争の可能性を除けば)ついにはアメリカが自らに「影響」を及ぼし、先週の土曜日に赤の広場を行進した軍隊を有する国々はもうこれ以上蹴り回すべきアメリカだとは思わなくなっていることだろう。