亀井節、「日本人は生体反応失った」

 岩見隆夫のサンデー時評
http://sunday.mainichi.co.jp/blog/2013/09/post-d4fa.html

亀井節、「日本人は生体反応失った」

このところ、天下の傘張り浪人を自称する亀井静香さんの姿を目にしない。声も聞くことがない。どうしているのだろう。そうだれにも思わせる魅力を持ち合わせた老政治家だけに気になる。一九三六年生まれの七十六歳、衆院の年長は三四年生まれの保利耕輔さん、三二年生まれの石原慎太郎さんの二人だけだ。

 しかし、まだ男性の平均寿命にも達していない。たまには気炎を吐いてもらわないと困る。論客にもいろいろいるけれど、亀井さんの真似(まね)はだれにもできない。いったん口を開くと、政界は当然、政治、経済、国際問題を撫で斬りにし、斬りっ放しかというとそうではなく、あとに憂国、愛国の情がしみじみと残る。ほかにこんな論客はいない。褒めすぎだと言われるかもしれないが、約半世紀、政治記者として政治家の品定めをしてきた私の率直な感想だ。

 そんなわけで、久しぶりに亀井節を聞きたいと思っていたところ、『月刊日本』九月号の巻頭インタビューに亀井さんが登場していることを知った。さっそく読んでみる。終戦特集の一環だが、亀井インタビューには、

〈靖国神社にもの申す 西郷ら賊軍もお祀りせよ!〉

 という見出しがついている。幕末・維新の敗軍、賊軍合祀論は以前からあった。国のために戦い命を落とした点では同じで、A級戦犯合祀についても、〈亡くなればみんな同じ〉という日本的宗教思想が合祀を正当とする理由の一つとされてきた。

 しかし、亀井さんによる西郷隆盛らの合祀論はそれだけでない。

「明治維新以来の日本政治の問題点が、靖国神社の歴史に凝縮されている。そもそも明治四年に東京招魂社として設立されてから、靖国神社はお国のために命を落とした方々の霊を慰めるための施設だ。その原点には「五箇条の御誓文」(一八六八年、明治天皇が宣布した明治新政府の基本政策)に込められた維新の理念がある。それは『万民平等』、お国のために戦った人間に差別などない」

 さらに、

「しかし、実際には、靖国神社には戊辰戦争(一八六八年から翌年まで行われた新政府軍と旧幕府軍との戦い)で賊軍とされた会津藩はじめ奥羽列藩同盟の人々や彰義隊(明治新政府に反抗して上野寛永寺に立てこもった部隊)、西南の役を戦った西郷隆盛なども祀られていない。結果はどうであれ、どちらも国を想う尊皇の心ゆえに戦ったことに変わりはないのだ」

 そして、こう結論づける。

「結局、靖国神社は明治新政府内の権力闘争をそのまま反映した施設になっている。つまり、官軍である長州藩中心の慰霊施設、いわば長州神社というべきものだ。大鳥居を入るとすぐに長州藩の大村益次郎像が立っているが、彼は(自身が指揮して討滅した)彰義隊が立てこもっていた上野の山を睨みつけている。これが長州神社の性格をよく表しているではないか」

江戸城は政治権力の象徴 皇居は京都がふさわしい

 巨大な大村像。私も何度か見上げたことがある。なぜ大村か、幕末・維新に倒れた偉人はほかにもたくさんいるのに、とも思った。大村は長州の軍事指導者で戊辰戦争などに活躍し、日本陸軍を創設、一八六九年、守旧派に暗殺された。亀井さんの言うとおり〈長州の顔〉の一人であることは間違いない。

 しかし、上野の山を睨みつけているとは気がつかなかった。もしそうなら〈長州神社〉と言われても仕方なく、靖国神社は亀井さんの意見を容(い)れ、改革を断行すべきだ。西郷らの合祀はもとより、大村像も移設した方がいい。

 このインタビューで亀井さんはもう一つ、重要な提案をしている。皇室問題だ。

「つまるところ、明治維新以来、国内の権力闘争が日本を誤らせたのだ。日本の天皇陛下を中心とする皇室は、ヨーロッパの王室とも中東の王室ともまったく異なり、政治権力とは離れて、建国以来長く存続してきた。

 それが明治以来、権力の道具とされ、危うく戦争責任を追及されそうになってしまった。さすがに戦後は今のところそのようなことはない。

 だから、今上陛下には、徳川将軍の居城であり、政治権力の象徴である江戸城などにお住まいにならずに、京都にお戻りになられるよう願っている。このことは、恐れ多くも、今上陛下に直接申し上げたこともある」

 以前から私も同じことを主張してきた。国民感情としてもその方がしっくりいく。日本の象徴が政治権力中枢の東京を離れ伝統の京都に居を定めることによって、さまざまなことがほぐれ、滑らかになっていくのではなかろうか。

 しかし、いまの日本は、すぐにでもやればいいことができない。決定システムがあやふやで、首相の手にも負えない。こちらも深刻である。

 さて、亀井節の本番はこれからだ。まあ、お聞きください。

「いまの日本社会は、昭和初期と同じなんだ。右翼、左翼というイデオロギーではなく、持てるもの、持たざるものという格差の拡大で、社会構造が上下に分裂し始めている。

 だが、いまの日本人は生体反応を失っているね。普通、身体のどこかを針で刺されれば、『痛い!』と悲鳴を上げるものだ。しかし、刺されても、刺されていることにも気づいていないのが、いまの日本人なんだ。だから政府がむちゃくちゃやっても怒るということがない。

 痛みに対して鈍感になっているから、権力者のなすがままになり、生き血を吸われ続ける。TPPにしろ、消費増税にしろ、自分たち国民を苦しめるようなことをする政党を選挙で圧倒的に支持している。いまの政権は株高を維持するために、国民の年金基金すら投入している。その株式市場の投資家の六割はアメリカ人なのだ。

 つまり、安倍政権はわれわれ国民の資産をアメリカ人投資家に差し出している状況が続いている。それに対して日本人は何も言わない。生体反応を完全に失ってしまった……

 最近は、核心に触れたことをズバリ言ってのける政治家が少なくなった。亀井さん、さらに続きを。

 

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