自然エネルギー100%は可能か (その1)
|石油ピークはもう来ています。
この石油減耗時代、石油代替エネルギーが必要であること、何人も容認しますが、それから見解は分かれます。
代表的なものを順不動で列記します。
天然ガス、石炭、原子力、太陽、風力、小水力、バイオマス、海洋温度差、波浪などと様々。大別すると、在来型、非在来型となるでしょう。また非在来型の代表が、自然エネルギー、新エネルギーという言葉も盛んに使われます。
そこで問題、どれが本命、望ましいのか、未来世代まで継続可能で、環境にもやさしいのか。議論百出、識者の見解はまちまち、収拾つかない、自画自賛、我田引水で、税金を投入するプロジェクトが、乱立することとなります。
本稿は、それを基本に戻って整理するものです。
焦点は自然エネルギー、それを逐次連載するつもり、今回は(その1)です。
先ず、エネルギー資源、新エネルギーの評価は何らかの基準が要ります。それにはEPR、エネルギー収支比が適しています。エネルギーの出力と入力の比ですが、1以下では意味が無い、文明を支えるにはEPRが大きくなければならない、出来れば10以上と。
「EPRはエネルギーの質」を評価するものです。
より一般に、「資源は質ば全て」ということです。これが日本で忘れられ勝ち、科学技術で、イノベーションでと楽観論が展開されます。しかし資源とは自然の恵み、その要が「質、濃縮されている」、ということです。
以上の基本から、本題の自然エネルギーを考えます。
太陽、風力などはエネルギー密度が低い、濃集されていない、それを集めるにはエネルギーが必要となります。
もう一つの問題、それらは間欠的であること、夜は太陽が照らない、曇りも駄目、風もいつも吹くとは限らない、自然エネルギー100%は原理的に無理なのです。とても、今の大量消費型の工業社会の維持は不可能です。そこで考えるべきこと、先ず、無駄、浪費しない、徹底した「低エネルギー社会」の構築です。
分散する自然エネルギーを、出来るだけ分散した状態で利用する、地産地消を工夫することです。間欠性には、エネルギーの蓄積が必要です。
このように考えてくると、例えば、サハラ砂漠の1%の面積で太陽発電すれば、ヨーロッパ全体のエネルギーが賄える、という「お話」などは科学合理性を欠く、とわかって来ます。これは「当たり前」、自分ですこし考えればわかることなのです。
以上、その1)の終わり。
ではどうするか、は次を御覧ください。