立体農業:賀川豊彦「人間の後には沙漠あり」から久宗壮(義父)による「日本での実践」まで
|『Tree Crops: A Permanent Agriculture』という本があ る。
アメリカ合衆国の農学者ジョン・ラッセル・スミス(John Russell Smith)が1929年に書いたものだ。この中で彼は、山間部や丘陵 地帯などの傾斜地での鋤耕(じょこう)農業を鋭く批判する。森林を伐採し農地を拓く。鋤で耕し、穀物を作る。しかしこうして裸にされ、耕された土は徐々に 雨に流され、風で吹き飛ばされる。“土壌流失”と呼ばれる現象である。その結果やがてそこは表土を失い不毛の地と化す。中国で、シリアやギリシャで、そし てグアテマラで、人類の農耕による土壌破壊は世界中で引き起こされてきた、と著者は述べる。
この本が出版された当時、合衆国でも土壌流失は深刻だっ た。ヨーロッパで栽培される穀物(コムギ、オオムギ、エンバク、ライムギなど)は地面を覆って、その根は土壌をしっかり抑える。しかし合衆国で栽培される トウモロコシ、ワタ、タバコなどの作物の根は、土を捕捉する力が弱く、起伏のある農地で栽培すると、土壌流失が起こる。
「最近インデアンの手からー彼等は地力を破壊しなかったー無理矢理に奪取したあの新開拓地中の新開拓地なるオクラホマ州ですら百萬哩の峡谷を持ち(引用者・注1)、茫漠たる沃野が、荒廃に帰して放棄せられた」。
1930年代、合衆国中西部の農業地帯は“ダストボウル (dust bowl)”の時代を迎える。日照りにより乾燥しきった土は強風に舞い上がり、巨大な土煙となってはるか大西洋まで吹き飛ばされていった。表 土を失い痩せ地と化す農地。農民たちはそこを棄て、遠隔の地への移住を強いられる。カリフォルニアを目指すオクラホマの移住者たちの苦難の旅は、ジョン・ スタインベックの小説「怒りの葡萄」(1939年)でリアルに描かれている。
スミスは言う。「田園流失、殊にアメリカに於いては、そ れが凡ゆる荒廃の原因の中で最大のものである。それは文明の根底を揺るがし、生命そのものの基礎を危くする。・・・流失してしまった田園は永久に帰ってこ ない。さればこそ旧大陸では“人間の後には沙漠あり(引用者・注2)”という諺がある。然らば之に対して何等かの講ずべき手段があるのであろうか?」。
こうして著者が提案するのが、傾斜地における鋤耕農業の廃止と、tree crops(樹木作物)、特に穀樹を栽培する“樹木農業”の振興である。穀樹とは、クリ、カシ、クルミ、ペカンなど堅果を着ける樹木をいう。
「丘陵地帯で食糧生産の自然的機関となるものは、小麦そ の他の草類ではなくて、実は樹木であることがわかるであろう。一本の樫の木はよく百ポンド乃至一トンの団栗(立派な炭水化物食品である)を生産する。或る 種の胡桃(Hyckory)やペカン(Pecan)は樽で量るほどの堅果を供給する。胡桃は二石からの果を産出する。又家畜の飼料としてもっとも適当な豆 を実らす樹(引用者・注3)がある。この豆を飼料として用ふれば、今日のまぐさを使用するよりも遥かに、一エーカー当たりの肉若しくはミルクの産出量が増 収されるであろう」。
彼によると、樹木農業の優れた点は以下のようである。
① 穀樹の産する堅果は穀物と比較して、食糧あるいは飼料として栄養的に遜色なく、またはそれを凌ぐ
② 堅果の収穫量は高い
③ 鋤耕の必要がなく、土壌流失の心配がない
④ 急な勾配、岩石が多いなど穀類などの耕作に不適当な場所に適合している
⑤ 穀物、牧草、馬鈴薯などを台無しにしてしまう程の旱魃でも、さして害がでない
⑥ 接木や芽接の方法で、優良な性質を持った個体を簡単に増殖させうる
著者はさらに“二階農業”を提案する。二階農業とは、樹 木の下に一年生作物を植え付けることである。このことで一階農業から得られるよりもはるかに大きな収穫が得られる。この種の農業は既に地中海方面では実際 に行われていると、著者はスペイン・マジョルカ島の例を紹介している。
この島の耕地の90%は樹木の下に一年生作物を植え付け ている。例えば、イチジクの樹の下で、コムギ、クローバー、ヒヨコマメなどが規則正しく輪作されている。クローバーは二年間作付けられ、二年目にヒツジが 放牧される。コムギもイチジクも最大限の収穫は得られないが、双方とも75%程の収穫があり、併せて百五十%の成績が挙げられる。
さらにスペインやポルトガルのある地方の様子を以下のように描写する。
「畑の中に何処でも冬青樹(引用者・注4)が芽を出す と、大切にしてそのまま其処に成長させる。その木の周囲や下には、小麦と豆、大麦と牧草等が、之も機械の力を借りずに、自然のまま播付けてある。此の木と 草との合作は実に美しい公園のやうな光景を現出している。穀物を作ることが樫樹をして団栗を多量に実らせる結果を生じ、また穀物を収穫した跡へは豚が代り に入れられて団栗を拾ひ集める」。
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