日本列島と原発

「自然は有限、資源は質が全て」、文明を原点から思索する

経済成長至上主義、マネーが全ての現代、そして東大、京大など主流大学ですら世界ランキングで下降、アジアのリ-ダ-ですらないという。「今だけ金だけ自分だけ」、技術万能の強欲資本主義はマイナス金利の禁じ手を使っても沈降する、そして蔓延する超格差社会だ。これは現代社会の課題、グローバルな問題だ。

日本はどうするか、その理念を整理すれば「食糧、エネルギー、そして軍事」の3テーマを日本の地勢、自然系において考察することである。地殻変動列島の日本、歴史的には常に自然災害に遭遇する。

あのフクシマも依然として収束はしない。我々の原発過酷事故とは基本的に「人災」だった、日本の科学技術には重大な欠陥があったのである。技術過信、傲慢な「安全神話」は今は「安心神話」が流布される。いわば「科学が機能しない」のである、「市民の科学」を欠くと言うべきか。

リスク感覚を欠く指導層にもう任せておけない、自分で考え自衛するしかない。世界でも最も危険な変動列島に住む日本国民は、人任せにしてはならない。

原発再稼働に懸命な国家権力、又どこかで過酷事故が起こったら日本は壊滅する

宇宙からの写真にも日本列島の特徴、複雑な構造が見てとれる。

この瓦礫列島、災害多発列島に原発が作られたのである。「安全神話」が喧伝され、事故後は「安心神話」である、そして原発再稼働となる。それでよいのか、国民の世論は反原発である。だが三権分離しない日本、裁判所が再稼働容認となる。技術に過剰な自信を持つ技術者達は何とかなると繰り返す。

原子力発電や核燃料サイクル、10万年といわれる使用済み核燃料は累積する。その管理・貯蔵は原理的に不可能、とくに地殻変動列島の日本において絶対的に不可能である。だが技術至上主義は安全神話、それは日本の政産官学、権力構造から流布される。

「3・11」に遭遇し、原発安全神話が「恐怖の仕組み」であると知った

私たちは、技術では何ともならない領域、手をつけてはならない領域に足を踏み入れていることを「3.11」ではっきりと思い知らされた。経済成長を信奉する人は技術によって資源は無限となり、原子力発電も可能だと言ったが、それができないのだから「成長そのものを問い直す時」なのだ。日本には経済成長のためには原子力発電が必要という主張がある、原発の呪縛より先に私たちは「成長という呪縛」にとらわれていないか。

究極の視点、それは脱原発、核燃料サイクル政策の放棄
原発は何万年もの死の灰を人類社会に残す、自然界はそれを処理不能なのだ。核問題はここから考えるべき、特に日本は地殻変動列島、本来原発は作ってはいけなかった。これが地球物理学者としての理念であり信念である。核燃料サイクルは当然やめる、もんじゅも六ヶ所村再処理施設なども、全て廃止すべきと考える。

もう一つ重要なことがある、それは「地球は有限、資源は質が全て」ということ

有限を認めないのは市場至上主義の経済学者、質を認めないのは技術至上主義の工学者、いずれも間違い。特にエネルギー資源については、収支比が大事、EnergyProfit Ratio、EnergyReturn on Investmentのことだが、日本で殆ど理解されない。専門家ですら40年前に石油の寿命は40年といわれたが、まだある大丈夫と誤解する。「自噴する資源」は石油だけ、20世紀初頭の全盛期、EPRは100もあったが、もう世界的に減退している。豊かな石油時代は終わったのである。そこでシェールオイル、ガスなどに期待するがエネルギー収支比は低く減退が著しい。日本ではメタンハイドレートが近海に膨大と幻想するがそれも間違い「資源の質」を考えない。

そして繰り返す、原子力は無限でも安全でも低コストでもなかった。人類の未来は脱浪費、省エネルギー、再生可能エネルギーである。

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