「サウジアラビアの石油埋蔵量が40%も過大評価」の意味すること
|産油国の埋蔵量増大一覧
ウィキリークスが「サウジアラビアの石油埋蔵量が40%も過大評価」という暴露記事が、イギリスの新聞、ガーディアン紙2011年2月8日付で掲載された。昨年11月に、国際エネルギー機関(IEA)が「2006年が石油ピークであった」として、初めて石油ピークを公認したが、それに次いで、衝撃が走った。その日本語訳が国連大学(港区青山)の広報誌OurWorldに2月16日付で掲載された、その速さに、事の重大さが伺われる。
産油国の石油埋蔵量の増大公表は、サウジアラビアだけではない。OPECの主要国は1980年代中葉に一気に増大させた。
OPECの2006年次レポートによると、以下のとおり
。・クウェートは、1984年に670億から927億バレルに増大【2006年:1015億バレル】
・ベネズエラは、1985年に280億から540億バレルに増大【2006年:800億バレル】
・イランは、1986年に590億から929億バレルに増大【2006年:1363億バレル】
・アラブ首長国連邦は、1986年に330億から972バレルに増大【2006年:978億バレル】
・イラクは、1886年に720億から1000億バレルに増大【2006年:1150億バレル】
・サウジアラビアは、1988年に1696億から2550億バレルに【2006年:2642億バレル】
合計すると、4286億から6873億バレル(60%増)【2006年:7948億バレル、85%増】
埋蔵量増大の動機について
なぜ、産油国が80年代中葉に一気に埋蔵量増大を計上したか、その根拠は、明らかにされなかった。埋蔵量増大の背景として、大きくは、開発技術の向上、石油価格上昇、政策的意図が、挙げられよう。
80年代中葉は、1979年第二次石油危機による需要の落ち弛み、供給余力が大きい時期であった。石油価格は低下し、2004年まで続いた低価格時代のスタート期であった。よって採算性の悪い油田、マージナル油田は、可採埋蔵量から排除されるべき。開発技術としては、3次元地震探鉱法、水平掘削技術、ITを駆使したシミュレーションが急速に進歩しだした。これら新技術の動機は、EPR(エネルギー収支比率)の高い大油田の発見が終焉したために、きめ細かく調査し、効率よく少数の生産井で石油生産することにある。決して、大油田発見が主目的の技術ではない。大油田、巨大油田は、地質学的に見て、そのような先端的な技術がなくても発見されるものである。
従って、「一気に埋蔵量増大」の動機は、産油国の政策的意図が強いと思わざるを得ない。石油業界に身を置く者にとっては、常識のことであった。埋蔵量が大きく見せる方が、消費国の信頼、投資が大きく呼び込めるからである。根拠は基本的にシンプルである。そのような眼でみると、サウジアラビアだけでなく他の主要産油国も同じだろうと見えてくる。
埋蔵量の大幅過大の偽りがもたらすもの
どのような商売でも「良く見せかける」という宣伝は付き物である。しかし、石油は現代社会の土台のエネルギー資源だけに、ふつうの商品とは異なる。従って、偽りの生み出す混乱は計り知れない。
2006年に石油生産量がピークに至り、現在、高原状態である。この間に、「石油はまだまだ沢山ある」との偽りが、サウジアラビアに続いて、他の産油国についても焙り出されて来よう。
石油生産が実質的にいつから減耗するか。あと20年は大丈夫という楽観論もあるが、米統合軍は昨年の報告書の中で、2015年頃に需給ギャップが日産1000万バレルと見ている。
今回の過大評価暴露によって、その時期はもっと早まるのでは、2012年には需給ギャップが生じて石油価格高騰が進むのではとの予想もある。
石油ピーク問題において楽観は禁物である。公式予測より早く来ると思って対策を講じるに限る。石油の減耗は、食料、産業、交通、生活、保健のあらゆる面で、甚大に影響する。
石油は、燃料・動力・化学物質の3拍子ともに最高に質の良い資源であって、他のエネルギー・資源が束になっても、石油代替にはなり得ない。成長一辺倒の経済運営では、手遅れになり、文明的な悲劇を招く。
よって、石油文明後は、自ずと低エネルギー社会となる。個人・家族として、地域として、日本社会として、「石油が使えなくなったら、どんな生活スタイルになるか。」いま、それを考え、行動に移すべきである。取り返しのつかない状態にならないために、躊躇している時間がない。