「はじめに燃料電池ありき」から導かれる「水素社会」の幻想

科学技術の視点から、どう考えてもおかしい「水素社会」 :その4

燃料電池車(FCV)の発売で「水素元年」として始まった「水素社会」のなかの水素が、 経済成長のエネルギー源として、現在はもとより、将来の化石燃料枯渇後の日本経済のエ ネルギー供給に何の貢献ももたらさないことは、本稿(その 1 )~(その3)までに明ら かにしてきた。では、なぜ、こんな、おかしなことが、技術立国の日本で起こるのであろ うか? 本稿では、この問題点を科学技術の視点から考えてみる。

 

海外でつくった水素を日本に運んでくる必要があると考える不可思議 
その前に、もう一つ問題とされなければならないのは、「水素社会」の水素が、その製造 コストが安いとの理由で国外でつくられ、日本に持って来ることが、国策研究として進め られていることである。具体的には、地球上で緯度が低く太陽光エネルギーに恵まれたサ ンベルト地帯で、太陽光ではなく、太陽熱を利用して発電し、この電力を利用して水素を つくり、化石燃料の代わりに、日本に持って来ようと言う計画である。気体として非常に 密度の低い水素を、長距離海上輸送するために、有機化合物(メチルシクロヘキサン)の 形で固定化して輸送し、国内で、それを脱水素分離して使用する。 
 
一見、もっともらしい話である。しかし、この計画を、化石燃料枯渇後(ここで、枯渇 とは、化石燃料の国際市場価格が高くなって使えなくなることを指す、「その 1 」の 日本経済との関係で考えると、大きな問題がある。先ず、いま、日本経済を苦境に陥れて いるのは、財政赤字と貿易赤字である。貿易赤字の主な原因として、エネルギー源として の化石燃料の輸入がある。化石燃料の代わりに、水素エネルギー社会のための水素を輸入 するのであれば、この貿易収支の赤字を促す形態は変化しないと考えてよい。 
 
これまで、化石燃料のエネルギーに支えられてきた世界経済が、この化石燃料資源の供 給不足からくる不況を脱することができないと予測されるなかで、日本経済には、かつて のような輸出の伸びを期待できないから、貿易赤字の解消には、化石燃料の輸入金額の節 減に取り組む以外に方法がない。そのためには、エネルギー消費全体の節減をはかるなか での自然エネルギー(国産の再生可能エネルギー(再エネ電力)の生産が必要である。

ただし、この再エネ電力の生産は、電力料金の値上げで国民を苦しめる再生可能エネルギー 固定価格買取(FIT)制度を用いる再エネ電力の生産であってはならない。あくまでも、化 石燃料の輸入金額の最小化を図ることを目的とした国産の再エネ電力の生産でなければな らない。そこには、苦難の道が待っているかもしれないが、世界に先駆けて、この国産の 再エネに依存する社会のモデルをつくることこそが、技術立国日本が、化石燃料枯渇後の 世界のなかで生き残る途でなければならない。 

化石燃料が使えなくなった時のエネルギー源は水素ではなく再エネ電力である 

水素エネルギーの利用が言われるようになったのは、石油危機の頃からで、結構古い話 である(文献 1 )。水素をエネルギー源として使用するメリットの一つは、その燃焼によっ て水しか生成しないのでクリーンだからであるとともに、最近は、これに、地球温暖化対 策としての低炭素の要求も加わった。水素エネルギー利用でのさらにもう一つの効用とし て、水素が資源量として無限に存在する水からつくることができるとの勘違いが加わり、 それが、水素エネルギー社会“にまで発展したと言ってよい。 
 

しかし、無限に存在する水から水素をつくるには、エネルギーが必要である。化石燃料 が枯渇した後に使えるエネルギーは、再エネ(あるいは原子力エネルギーもあるが、脱原 発の国民世論の大きさから、現状では考えないことにする)しかないが、これは、電力に しか変換できない。したがって、この再エネ電力を使って水素をつくり、その水素を使っ て再び電力をつくるのであれば、もともとの再エネ電力をそのまま使ったほうが、その利 用効率が良いのは自明である。これが、「その 1 」で、水素エネルギー社会はありえ ない、どうしてもおかしいとした理由である。 
 
すなわち、化石燃料が使えなくなった後の生活と産業用のエネルギーは、水素エネルギ ーではなく、再エネ電力でなければならない。具体的には、水素エネルギーを用いた燃料 電池車(FCV)ではなくて、再エネ電力による電気自動車が用いられるべきことを「そ の 2 」に、家庭用電力の供給のためのエネファームの利用に合理性のないことを「そ の 3 」に、それぞれ示した。敢えて言うならば「再エネ電力化社会」と言ってもよい。し かし、この再エネ電力化社会を創るには、これまでと大きく違ったエネルギー消費構造が 求められなければならない。 
 
先ず、現在、一次エネルギー資源量で表した電力化比率の値を、現在の 50% 程度から、 大幅に引き上げなければならない。特に、電力への依存率の低い運輸部門での電気自動車 の利用を含めた、エネルギー消費構造の大幅な変革が求められる。一充填時の走行可能距 離が小さい電気自動車は、長距離輸送用のトラックには向かないのであれば、長距離輸送 は、電気鉄道に切り替えるなどで、運輸部門の電力化率を高めることが考えられる。 

 

「はじめに燃料電池ありき」に導かれる「水素エネルギー社会」は幻想に過ぎない 
では、どうして、いま、エネルギー政策のなかに、水素エネルギー社会が採り挙げられ るのであろうか?それは、水素をエネルギー源とした燃料電池利用の設備、システムの実 用化を、夢の水素エネルギー社会への途を拓くものだと決めつけてしまった、この国のエ ネルギー政策の混迷に原因があると言ってよい。 
 
確かに、水素をエネルギー源とした燃料電池は高い電力変換のエネルギー効率(発電効 率)を持っている。しかし、それに目を奪われて、“はじめに燃料電池ありき”となってし まった結果、実用化にとって重要な原料水素の製造を含めた燃料電池利用のシステム全体のエネルギー効率、および経済性に関する検討などの実用化の可能性評価研究(フィージ ビリテイスタデイ)が行われないままに、税金を使って進められるエネルギー政策の重要 課題とされてしまった。

実は、これは、この国のエネルギー政策に共通の問題点である。 かつて、地球温暖化防止のためには、どうしても自動車をバイオ燃料(エタノール)で走らせなければならないとして、このバイオ燃料の製造・利用・普及のための国策開発研究 のために、6 年間で 6.5 兆円にも上る国民のなけなしのお金がどぶに捨てられた。

しかし、 この国策開発研究が始められたときにも、メデイアが中心になって、猫も杓子も、バイオ、 バイオと騒ぎ立て、私どもの批判的な主張(文献 2 )には全く耳を貸して貰えなかった。 
 

実は、いま、燃料電池を利用する水素エネルギー社会についても、このバイオ燃料の時 と全く同じことが起こっている。メデイアが中心になって騒ぎ立てている「水素元年」は、 本稿(その 1 )~(その 3 )で明らかにしたように、見果てぬ夢に終わることは間違いな い。いま、日本のエネルギー政策にとって最も大事なことは、原点にもどって、当面は、 化石燃料の輸入金額が最小になるように、化石燃料の種類を選択する(火力発電には安価 な石炭を使うなど)とともに、徹底した省エネを図りながら、やがて来る輸入化石燃料の 枯渇(その輸入金額が高くなって使えなくなること)に備えて、国民に経済的な負担をか けない(FIT 制度を適用しない)で、国産の再エネ電力に依存できる、経済成長を抑制した 「電力化社会」に移行することでなければならない。

繰り返しになるが、これが、現在、 化石燃料のほぼ全量を輸入に依存している日本経済が生き残るためのエネルギー政策の在 り方でなければならない。これは、同時に、世界に向って、人類の生存のための化石燃料 枯渇後のエネルギー供給のモデルの創設を訴えることにもなる。 

 

引用文献; 
1.久保田 宏 編著; 選択のエネルギー、日刊工業新聞社、1987 年 
2.久保田 宏、松田 智;幻想のバイオ燃料~科学技術的見地から地球環境保全対策を斬る、日刊工業 新聞社、2009 年 

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