Dmitry Orlov氏の『永続するコミュニティ  その2』

 本稿は、Dmitry Orlov氏のブログCLUBORLOV 2013年7月9日付けの記事"Communities that Abide—Part II"を訳したものである。オルロフ氏は、20世紀の先進国の歩みには辟易しつつも、「相当に無傷のまま残っている文化やサブカルチャーを携えていて、それらの長期にわたる固執に成功しているコミュニティの実践例には学ぶべき多くがあるという考え」から歴史あるコミュニティの特徴を抽出し始める。

   Byigor Morski

 この連載記事が割いていることは、相当に無傷のまま残っている文化やサブカルチャーを携えていて、それらの長期にわたる固執に成功しているコミュニティの実践例には学ぶべき多くがあるという考えである。そのようなコミュニティは成員が必要とするすべてのもの、すなわち住宅、食、教育、医療、娯楽、仲間づきあい、社会保障、そしておそらく最も重要な帰属意識を提供することができている。彼らの特異的な実践は私たちにとってなじみのないことかもしれないが、彼らの共通点は私たちに対立するものではないはずだ。

 彼らの共通点について考えることを中流階級の生活様式の現状維持とは相容れないという単純な理由で拒否することは、中流階級の生活様式の衰廃を生き残るために必要なことはどんなことでもしようと考えることを拒否することを意味する。それは「自滅」と呼べるだろう。念のために言うが、そのことがまったく助けにならないわけではない。救命ボートの席を空ける者もいれば席を待つ者もいて、溺れ死ぬ人々も感謝されるはずだ。だが、必死になって崩壊と戦おうとする人々には、すべてのオプションが考慮されているはずで、不快な選択肢さえも熟慮されるはずだ。

 私たちが正視すべき挑戦はひるんでしまいそうになるリストを作り出す。最も重要でおそらく最も差し迫った危険なことは、産業経済の成長局面で発展した金融、商業、統治といった高度に統合されて世界規模に広がる枠組みの崩壊である。(産業経済は目下の景気停滞の間にますます不適合なものになっている)先ず、徐々に資源が減耗すると、原油からリン酸塩鉱物まで多くの主要な工業材料の価格がある閾値つまり人々が支払い続けることができる価格を超えてしまい、ますます厳しい生活の連鎖が始まる。さらに、急激に加速している気候変動によってもたらされる被害もますます頻繁に生じている。海岸線の浸食、エアコンがなければ多くの都市を住めなくしてしまう夏の気温、(多くの人々が暮らす周辺にある)海岸地帯のインフラを大破するほどの殺人ハリケーンなど。そして、国民国家がとても苦しい状態になるにつれて、略奪的なものに変貌し、自治の効果的な仕組みを欠くグループがますます国民国家に襲われる高いリスクを冒すことになる。そして、私たちは農業がうまくいかなくなったらどうなるかを考えておかねばならない。生き残った人々は定住生活を諦めて放浪者に戻るだろう。(農業は最近終わった異常なほどに気候が安定した時代に現れたことであり、この期間においてさえ、飢餓をもたらした不作はめずらしくはなかったのだ)全体として世界は今、主食となる穀物の在庫量がとても少なく、不作が続くと世界は飢餓に転じなくもないだろう。20,30年先を考えると、米を食べる人やトウモロコシを食べる人はあまり多く残っていないかもしれない。ついには海水面の上昇が福島第一原発みたく世界中の海沿いにある原子力発電所施設を水浸しにして破壊し、世界を毒性の放射性同位元素で溢れさせることを考えておこう。工業施設と毒性の廃棄物の山も同様の末路に至り、多量の長寿命の化学毒を放つ。加えて、20世紀半ばから生産されたプラスチックが劣化して、高分子から分解しにくい小さなモノマーになり、数世紀の間、毒性のあるプラスチックのべとついたものが環境中に溢れて、ほとんどの生き物にダメージを与えるだろう。こういうことが重なって、地質学的な時間間隔でこの惑星の大部分が住むことのできない状態になるだろう。(「自滅」とは、今となってはかなり言い得たものになり始めているかもしれない。)

 20世紀中ほぼずっと、「過ちが犯された」のだ。(21世紀にさらに悪い過ちを犯さなければ、20世紀はおそらくこの惑星の歴史においてもっとも恥ずかしい100年として知られることになるだろう。)それは感覚を持ったことを誇った一つの種がこの惑星の環境を破壊した世紀だった。そうなることを避けようとする十分な知性と意志を持った一握りの人々を数十億人の中から生み出しはしたけれどもこうなってしまったのだ。最大の過ちは、原子力技術の拡散と放射性廃棄物の貯蔵、核燃料の抽出と燃焼、合成化学が生み出したしつこい毒物が世界に蔓延していることだ。これらの過ちの負の遺産とともに生きる苦難は時満ちて、生きているとしたならば、小規模で放浪する半ば野性的な群れになるまで人口を減らすように思われる。

 けれども、今はまだそこには至らないでおきましょう。突然思考停止に陥るのではなく、むしろ一歩ずつ地獄への螺旋階段を降りるように、多くのゆるやかな段階を踏んで破滅に至る無情な行進をしようではないか。そのようにすれば、私たちは少なくとも私たちの愚かさのおそろしい成果の完全な目撃者になることができるだろう。今はまだできる限り最善を尽くそうではないか。高くも低くもない照準を定めて、持続不可能なことを持続させようと虚しくもがくことはせず、まだ機能していることを早まって諦めないでおきましょう。

 来週私はこのことを掘り下げることを約束しておきます。つまり、このサバイバルゲームのすべての勝者がどのような人々なのか判明することだろう。勝者たらしめる共通点は、以下の通り。

自治、より大きな集団に合体することを拒む

分離主義者、よそ者(および不正を働く自分たちの仲間)を避け、外部の世界とは個人としてではなく集団として接している

自治の形態においてはヒエラルキーがない状態、家父長制でも母権制でもなく、権威ではなく責任の所在が認められた信頼できる諸個人にもとづく

文書化された行動規範よりもむしろ口伝えである

生産および消費の様式としては共産主義者であり、貨幣や市場をほとんど使わない

強力な中心的イデオロギー(あるいは信仰)があり、それについて分析したり、疑問を呈したり、あるいは議論したりすることを拒む

子沢山であり、子供を後継として育てて、できるだけ若く隠居する

「賃労働」を拒み、彼らが必要と考えること以上にはほとんど働かない

周囲の社会にある多くの文化とかなり多くの技術を意識的に拒否している

彼ら独自の言語あるいは方言を話し、それを油断することなく守り、外部の影響を防いでいる

よそ者との接触についての決まり事を固守し、見えないように隠れて、ある「衝撃的」な身なりで伝統的な姿の後ろにいる人を隠す

好戦的な人よりもむしろ平和主義者で、武器の導入や軍事的行動への参加を拒み、危険に立ち向かうよりもむしろ危険から逃げ出す

定住生活よりもむしろ遊牧民的であり、当面の有用性を超えた土地区画へは最低限の執着しかなく、危機、苦難、迫害に際しては一群として移住する

とても幸福で一般に生活の多くに満足しており、人生に降り掛かることはなんでも甘受し、比較的死を怖れず、死に抗うことも死を求めることもしない

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