石油ピーク後の社会は「双方向社会」が基盤

挨拶のない「沈黙の社会」
 無言の電話に悩まされたことがありませんか。私の家族に、何年か前にありました。相手がわからないだけに、なおさら気味が悪い、嫌なものでした。いつの間にかかってこなくなりましたが。
 相手がわかっても、無言で扱われると、また、求めていることにレスポンスがないと、どうしてなのか、自分にどこか悪いところがあったんだろうか、アタマから離れないもので、ネガティブに考えてしまうものです。一方、なにも気にならない人もいるようですが、その差は何なんでしょうか。
 日本は、もともと挨拶が好きな社会で、場面や相手、時節に応じた挨拶表現とその行為が比較的豊かな社会だったと思います。とりわけ家族、知り合いの間、グループの中では、多様な双方向の挨拶が交わされていたと思います。

 しかし、それが、時節の挨拶状から次第に形式的になり、食事の前後の挨拶も廃れてきました。「いただきます、ごちそうさま」という挨拶を子供のころに親から仕込まれましたが、私自身、恥ずかしながら、忘れることが多くなりました。家族団らんのときには発声しても、一人での食事、外食では、そんな挨拶は抜けています。

 そんなに挨拶行為が退化してきたのは、食をいただいているや、いま生かされているという心が薄れ、食べることも生きることも、自分で稼いだお金で買っているという意識が知らず知らずに定着してきていることだと思います。よって人のつながりの有り難さや、相手への思いやりの感謝の薄い社会、さらに、お金がなければ、無縁・無援・孤独な社会、自分だけを考えれば良い社会になってきたのだと思います。


情報社会は双方向社会が基盤
 情報社会といわれて、メール通信によってコミュニケーションの一面が充実してきましたが、他方、人のフェースツーフェースのつながりが薄れてきて、その上で事務的な関係が強くなってきていると思います。しかし、メールのやりとりの基本的な約束事すら、間々ならないと思うことがあります。立場上で要求している返信がないことです。「情報社会の根幹であるはずの双方向通信が成り立たない」ということです。
自分たちの意思で構成しているグループ内の通信でも、その傾向があります。発信者は、「どうして返事がないのか、自分のどこかに問題が有るのか」、いろいろアタマを悩まします。しかし、たいていのグループ集団で、発信者のことを頓着しない、自分の都合でしか返信しない受信者が増えているようです。
双方向通信が守られなければ、情報社会する退化する、バラバラの孤立発散であって、グループ、集団、社会の概念が成り立ちません。

低エネルギー社会は双方向社会の上に

このようにかなりエントロピー発散が進んだ日本社会を、それをどのように食い止めて、新たな文明を組み立ていけばよいのでしょうか。石油ピーク後は、エネルギー・資源の制約が急速に進みます。その低エネルギー社会では、自然との双方向、コミュニティ、グループでの双方向の質を高めることが第一義的に重要だと思います。
お互いに理解し合うこと、助け合うこと、知恵と力を出し合うことなど、「もったいない思想」の基盤を構成するものだと思います。
感謝の双方向、理解の双方向、メールの双方向。新しい社会作りは、この基盤的行為からの再構築のように思います。

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