2011年東日本大震災の被災地にて(1)-気仙沼-

 2012年11月14日、2011年東日本大震災の被災地である宮城県気仙沼市を訪れた。そこで被災した水産加工工場の復活の話を聞いた。
 
気仙沼の被害
 気仙沼市を襲った津波は、川沿いに遡上してきた。このため海岸線から2キロメートル以上離れた内陸まで浸水した。浸水面積は18.7km2で気仙沼市の面積の5.6%にあたる。
 
太線で囲った範囲が津波浸水域。右の凡例は標高を表す。出典:国土交通省国土地理院
 
 気仙沼市で被災した世帯は9500世帯で全体の35.7%である。2012年10月31日での死者は1206人、行方不明者は236人である。
 特に基幹産業の水産業については2011年5月20日現在、漁船3566隻のうち約3000隻(約84.1%)が流失・損壊等の被害にあった。漁港は38港全てが沈下し、さらに、港湾・漁業施設の流出等の被害にあった。漁業用施設はサケの孵化場など47カ所が壊滅した。
気仙沼の場合は、津波の後、湾口に設置されていた石油タンクから重油が流失して火災が発生し、2昼夜燃え拡がった。それは湾内だけでなく、水産加工工場集積地にまで拡がり、気仙沼湾に突き出たエリアの水産加工工場を全て壊滅させた。
 
気仙沼の漁業は加工業であり地場産業
日本の漁業は、沿岸から沖合へ、沖合から遠洋へと移っていった。
沿岸は日帰りできる沿岸部の小規模な漁業である。養殖業や定置網漁業もこの中に入る。主な魚はサバ、アジ、タラ、タイ。漁師はもちろん日本人。最近は、魚の捕りすぎ、海の汚れ、埋め立てなどで漁獲量は減少している。
沖合漁業は、10トン以上の比較的大きな船で、200カイリ水域内で行う。主な漁業種類は、沖合底引き網、沖合イカ釣り、マグロはえ縄、さんま棒受け網、近海カツオ一本釣り。航海日数は長い場合は40日間におよぶ。
遠洋漁業は、200カイリ水域外の公開や他国の沖合で行う。漁業種類は、遠洋底引き網、海外巻網、遠洋マグロはえ縄など。航海日数は長い場合、1年以上にもなる。
気仙沼湾、志津川湾などの宮城県北部海域は複雑に入り組んだリアス式海岸となっている。気仙沼は、古くから沖合・遠洋漁業の基地であり、漁業就業者数は2166 人(2008 年)で人口全体の3.4%を占めていた。沖合漁業は、1985年は650万トンの漁獲高だったが、2005年は236万トンと減少した。遠洋漁業については、1970年代初期は400万トンだが、2005年は54万トンと激減した。しかし漁業の経済活動別特化係数は9.61 と高く、宮城県北部地区の沿岸漁業の拠点となっている。その理由は、漁業は魚捕りだけではないからである。
 漁業といえば沿岸、沖合、遠洋の漁業のことかと思いがちである。実は最近は沖合・遠洋漁業の漁師は外国人が多くなっており、地元が潤う産業としては魚を獲ることよりも、むしろ水産加工業が主体になっている。農産物は生産地から大消費地周辺に運ばれ、周辺の都市で加工が行われる。そのため農産物生産地の産業は、生鮮食料生産が主であり、その加工業は都市とその周辺の産業となる。しかし魚の場合、鮮度が重要であり、また加工に海水を大量に使うので、加工は水揚げした漁港周辺で行われる。そのため水産加工業は地場産業となっている。
今回の東日本大震災により、宮城県の沿岸地域は壊滅的な被害を受け、気仙沼市の沿岸漁業者も生産基盤と生活基盤を失った。しかし震災から1年以上が経過し、漁船・漁具の復旧が徐々に進み、気仙沼湾の洋上においても養殖施設の復旧が少しずつ進んでいる。
しかし、完全に復活するには多くの課題が残されている。
 
八葉水産の復活
気仙沼の㈱気仙沼産業センターを訪れ、八葉水産の代表取締役である清水敏也氏とお会いし、お話する機会を得た。
 気仙沼の2009年の水揚金額は196億円である。最高金額は1982年、369億円であるから最近は半分近くまで落ちたことになる。一方で2009年の水産加工業生産額421億円で水揚げ金額の2倍以上である。主な品目は、冷凍加工品、調味加工品、缶詰、すり身、フカヒレ、節製品、笹かまぼこなでである。2009年は水揚げと水産加工で合計600億円以上である。しかし2011年の地震・津波によって600億円の産業はほぼゼロになった。
清水氏が経営する工場では、いかの塩辛やめかぶなどを生産していた。水産加工団地の中心部は全て津波によって工場が壊れ、生産できなくなったが、清水氏のいくつかの工場は幸い比較的高台にあり、被災は軽微であった。しかし工場には50人ほどの従業員がいたが、津波の第2波で2人が亡くなっている。
清水氏はしばらく動きがとれず、再稼働することを約束して、八葉水産の従業員140人を一度解雇し、失業保険を受給させている。
解雇された社員は復活を信じ、一丸となってがれきの撤去に奔走し、ついに工場を立て直して、昨年9月より生産を開始した。
気仙沼の水産業は壊滅的で、八葉水産のように復活できたのは強い意志の他に、被害が比較的少ないという幸運もあったと思う。清水氏は、「気仙沼の水産加工の規模を以前のレベルまで戻すには相当の時間がかかると言われているが、実際には非常に厳しく、ひょっとして元に状態には戻らないではないか。」という。主力企業が加入している気仙沼水産加工業協同組合のメンバーは50社だが、清水氏は、震災後にも残るのは40社程度とみている。しかも復旧するには数年を要すると考えている。
日本の漁業は水産加工業が主体であり、それは地場産業となっている。それが地震・津波によって壊滅状態になった。地場産業を復活させるために、ガレキの撤去や油流出の防止などの作業に、大量の資金を投入して行われている。
 
 
津波で気仙沼の水産加工工場の多くは消えてしまった。2012年11月14日撮影。
 
復活の鍵は「人」
気仙沼市は1980年までは徐々に人口は増加し、92246人となった。しかしその後、都会への人口流出が進み、震災前の2011年3月1日の人口は73154人に減少した。およそ30年間に2万人近く、年間平均約600人の人口が減少したことになる。
さらに今回の被災はこの人口減少に拍車をかけた。2012年10月1日現在では67848人となった。死者の数を差し引くと震災後、4100人が流入を上回って流出したことになる。そしてそのほとんどが15歳から64歳である。
低エネルギー社会とは、地元にある素材を使った産業があり、その産業が地元の人の働く場を与え、その収益が核となって周辺地域との交易を行い、必要な物資を手に入れることができる独り立ちできる社会、である。気仙沼の漁業は地場産業であり、働く場であり、収益を上げることができる気仙沼ならではの産業である。ここで重要なのは働く「人」である。
沖合・遠洋漁業は、危険、きつい、といったことから、漁師の多くは外国人になってしまった。しかし水産加工業は日本人の手による。それが津波によって人々の職場は奪われた。漁業を復活させるためには、膨大な資金が必要であるが、果たして職場を奪われた人々が再び戻ってくるかはもっと重要である。
そう考えると、リスク管理が行き届いた、人々が安心して生活できる町づくりという視点が、被災地の復興に重要であり、日本において低エネルギー社会を築くためにも重要であると感じた。

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