Dmitry Orlov氏の『永続するコミュニティ その4:失敗の原因』

本稿は、Dmitry Orlov氏のブログCLUBORLOV 2013年7月30日付けの記事"Communities that Abide—Part IV: Causes of Failure"を訳したものである。共同社会の失敗の原因に関して、ピョートル・クロポトキンの考察が紹介される。 なお、ここに示されるクロポトキンの見解に対するオルロフ氏の再考はこのシリーズの最終回("Communities that Abide—Part V: An Example of Success")に記される。

 今までこの連載で私が取り組んできたことは、うまくいっていること、つまりコミュニティを場合によっては数世紀という長期にわたって永続きさせている実践の様子を寄せ集めて著述することだった。多くの読者がこの解説は有益だと思ってくれたが、その実践のいくつかには同意しかねると思う人々もいた。今週、これから私は正反対の取り組みをするつもりだ。つまり、うまくいかない、あるいはとても悪くなることがわかっていることに着目してみるのだ。共産主義が共同社会で実践されたときの生産と消費の両面での卓越性を説明した以前の投稿への補記として、私は今回、ピョートル・クロポトキンのアナーキーからかなり大まかに訳した第1章を示す。その章は、自給自足の達成における初期の成功にもかかわらず、そのような実験がどのようにして社会的に失敗するかを説明している。

小規模の共産主義者のコミュニティ:何が彼らを失敗に導くか  
ピョートル・クロポトキン著
『アナーキー』pp. 253-260

 多くの共産主義者がすでに失敗を重ねてきたことを思い浮かべて、共産主義者が失敗しがちなわけは共同で行う労働を組織化する点にあると独断で推測する読者がいるだろう。そして、そのような見解を表明した多くの著書もある。しかしながら、それは完全に間違っている。共産主義者のコミュニティが失敗したとき、彼らの失敗の理由はたいてい共同で行う労働とは無関係なのである。

 まず、ほとんどすべてのその類のコミュニティは駆動力となる半ば宗教的な情熱と共に創立されてきたことに注意を払おう。コミュニティの創始者たちは、「人類の使者」ないし「偉大な考えの王者」たらんと決意したために、それゆえ、けちけちした制限を課す道徳性の厳格なルールに固執して、共同生活のおかげで「生まれ変わり」、ついには、彼らの時間のすべてを、仕事中も仕事以外でも、共同社会に捧げようと決めてしまい、その目的のために排他的に生きることになってしまったのだ。

 しかしながら、そのような要求を課すことは修道士や年寄りの隠遁者の例に倣うことを意味し、人が生まれついた以外の何者かになることを不必要に要求することになってしまったのだ。ようやく最近になって、そのような高尚な奮闘のないコミュニティが(主に労働者アナーキストによって)創立され、所有者たる資本家によって絶えず強奪されていることに終止符を打つという単純な経済的目的が掲げられるようになった。 共産主義者によってなされたもう一つの過ちは、兄弟姉妹であるかのように一つの家族として生活を試みることの中にあった。このために、彼らは一つ屋根の下に住み、そこで変わらぬ「兄弟姉妹」の傍で彼らは全生涯を過ごす羽目になった。だが、このような狭苦しいところにごちゃごちゃ同居することは容易ならざる離れ業である。たとえ二人の兄弟、つまり同じ親の息子たちでも家や一室を共有していては必ずしもくつろげるとは思わないものだ。さらに、家族生活が誰にも適しているわけではない。こういうわけで、「一つの大きな家族」として暮らすという考えを課すことはいつも大きな間違いになるのだ。逆に、各家庭の内側の生活についてできる限り最大の自由と最大限のプライバシーをすべての人々に認めた方がよりよくなるというわけだ。たとえば、(カナダ在住)ロシア人のドゥホボルは別々の小さな家に住んでおり、そういうやり方が単一の修道院における生活よりもはるかに準共産主義者のコミュニティを保つ上での助けになっている。共同社会の成功の第一条件は、ファランステール(社会主義的生活共同体住宅)という考えを捨てて、人々がイングランドでやっているように、別々の家屋に住むことであるはずだ。

 次に、小規模で孤立した共同社会は長く続かない(ということを説明しよう)。船や監獄の中のように、とても近くに寄せ集まって暮らすことを強いられている人々は、外側からのごくわずかな刺激を受けると、しばらくして互いにどうしても我慢できなくなる、ということがよく知られている。小さな共同社会では、二人がライバルになる、あるいは互いに敵意を持つようになることもありがちなことで、共同社会がばらばらになる元になる。そんな共同社会がしばらくでも続くことは実際にはまったく驚くべきことで、そういう状態がひどくなれば、人々は往々にして他者から隠れようと考えるだろう。

 こういうわけで、十人、二十人、あるいは百人ばかりの共同社会が創設されたとき、意外に早く、3,4年も続かないことを確認することになるのだ。そして、それがもっと長く続くならば、後悔することになるのだ。なぜならば、その共同社会の成員たちはメンバーの一人によって奴隷状態にされているか完全に主体性を奪われているか、いずれかが判明するからだ。だが、3年、4年あるいは5年後、その共同社会の成員達の一部が分離したがっていることを予測することは可能なので、少なくとも、20~30くらいの共同社会を一つの同盟に加入させておくことが意味をもつだろう。そうしておくと、誰かが、何らかの理由で、自分たちの共同社会を抜けたいとき、他の共同社会の誰かと入れ替わることが可能になる。さもなければ共同社会は、ばらばらになるか、(ほとんどの場合がそうであるように)メンバーの内の一人、つまり抜け目がなくて頭がいい「ブラザー」の手中に落ちることになる。このようなわけで、共産主義者のコミュニティを作ろうとしているすべての人々に、私は他の同じようなコミュニティとの同盟に加入することをとても強く推奨したい。この考えは理論から生じたものではなく、近年の経験、とりわけイングランドにおいて、大きな組織がないために、いくつかの共同社会が「ブラザー」の手中に収められてしまったことから導かれたものだ。

 過去30から40年に創られた小規模の共同社会は他の重要な理由で失敗している。それらは外側の世界を避けたのだ。だが、闘争、そして闘争によって活気づく生活は、活動的な人間にとっては不可欠なものであり、衣食が足りることよりも重要なほどだ。人の中で暮らし、社会生活の風潮に飛び込んで、他の者と共に闘い、他の者と苦楽を共にすることの必要性はとりわけ若い世代に強い。そういうわけで、若者は18歳か19歳くらいになると、自身の属する社会が社会全体の一部となっていないならば、彼らは必然的に共同社会を去るものだ。若者は、外の世界との結びつきがなくその生活にも参加していないならば、必然的に共同社会を飛び出すのだ。やがて、(イングランドの私たちの友人が二番目に大きな都市に見つけた二つのコミュニティは例外として)共同社会の大多数がなにはともあれ荒野に逃げ出そうとする。まさに今、16歳から20歳までのあなた自身を想像してごらんなさい、テキサス、カナダ、ブラジルの大自然の中のどこかにある小規模な共産主義者の共同社会に閉じ込められている、と。そして、本、新聞、雑誌、写真はあなたに大きな美しい都市について語っているのだ。そこには刺激的な生活が泉のようにとうとうと流れ出している、街に、劇場に、公共の集会場に。「これこそ生活だ!」あなたは自分自身に言う。「ここにいる間、私は死んでいた、いや、死ぬよりも酷い状況だ、茫然自失!窮乏?飢え?私は貧しさとひもじさを味わうのだろう。だが、死よりも酷い道徳と精神の退廃、それよりもむしろ戦おう。」こういう言葉と共に、あなたは共同社会を去るのだ。そして、そうすることは正しい。

 そうして私たちは、北アメリカの荒野で共同社会を創立した向こう見ずな人や他の共産主義者によってなされた間違いから学ぶことになる。彼らは、ただで土地を取得するか、ほとんど人が住んだことのない場所の土地を安く買うかして、都市や主要道路から離れた荒野の定住奨励策のあらゆる困難がつきまとう新しい生活様式に順応する苦労を重ねた。私たちが彼らの経験から学ぶほど、これらの苦難はとても深刻だったことだとわかる。彼らがほんど何もない土地を手に入れたことは本当だが、ニューキャッスル近くの共同社会の経験は、物質面において、野良仕事によってではなく、(主に温室を使った)菜園と果樹園によって、共同社会はとても早くとても首尾良く自活できるようになると教えてくれる。果物や野菜を売るために近くに準備した市場は高い地代を支払う為の収入源になる。また、大自然の中の開拓地ならばなおのこと、菜園や果樹園の仕事は野良仕事よりもはるかに都市居住者に適している。ヨーロッパで土地を借りることは、荒野に避難するよりも、そしてもっと言えば、Amanaや他の共産主義者が実践したように新しい宗教帝国を形成することを夢見るよりも、はるかによい結果になるだろう。社会変革者たちは、奮闘する機会、知的機関への近接、彼らが変革したい社会との絶え間ない接触、科学からのインスピレーション、文化、進歩といった本からだけでは得られないものを必要とする。

 共同社会の統治はいつもすべての実践的な共産主義者にとってもっとも深刻な障害になることを言わないわけにはいかない。実際、カベー(註:Étienne Cabet(1788‐1856)、フランスの思想家)によるイカリア旅行記(註:イカリアは共産主義の理想社会を建設する理論)を読めば、なぜイカリア主義者によって創立された共同社会が続かないのかを認識するに十分だろう。彼らは、創始者だった大司祭に奉仕して人間の個性を完全に滅却することを要求したのだ。(中略)この実験に比べると、統治をできるだけ最低限に減らした、あるいはまったく統治を持たなかった共産主義者、たとえばアメリカのヤング・イカリアは他の共同社会よりもうまくいき、より長い間(35年)続いたことに気づく。この理由を理解することは簡単だ。人々の間の大きな敵意はいつも、政治や権力闘争が元で噴出するのであり、小さな共同社会における権力闘争は不可避的に共同社会の消滅を導くのだ。大きな都市では、政治的に敵対する者とも共存して暮らすことが可能だ。なぜならば敵対者と常に接触することを強いられるわけではないからだ。だが、毎日いつでも敵対する人と顔を合わせることになる小さな共同社会では敵対者と共にどう暮らせばよいのだろうか?権力を巡る政治的な議論と策略が職場や人々の余暇のために集まる場所に持ち込まれると、生活は耐え難いものになってしまうだろう。

 こういうことが今までに創立された共同社会が消滅した主な原因である。

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