Dmitry Orlov氏の『アメリカの世紀後のためのソビエト後の教訓』

 今の若者にはソビエトが崩壊した頃の記憶がない。ゆとり世代の受け身の姿勢はしばしば指示待ち状態などと言われるが、上位審級が規矩として機能しない時代に待ち状態でいるとしたならば、相当に拙いのではないか。せめてソビエト崩壊という出来事から未来を切り拓くための教訓を引き出しておいてはどうか。

 ソビエト崩壊(1991年12月25日)に先立って、ソビエト国内の石油生産量は1987年頃にピークに達しており、また、ベルリンの壁が壊され(1989年11月10)、ルーマニアのチャウセスク政権が失墜するなど次々に東欧の共産党政府が打倒されていった。北朝鮮然り、キューバ然り、ソビエトは衛星国に構っていられなくなったわけだ。周辺の変化は未来を読み取るヒントを与えていたのだが、むしろ当時の日本人はバブル経済に現を抜かしていた。


 あれから20年ほどの月日が流れて、私たちは明るい未来を想い描くことが難しくなっている。閉塞感漂う日本社会は、トクヴィルの『アメリカのデモクラシー』に描かれた未来社会のようでもある。今や日本論は「属国」「対米従属」という概念を抜きにしては語れないほどになっているが、いよいよ宗主国の未来が脅かされる時代に突入しているのではないか。なにしろ2006年頃、世界の石油生産量はピークに達したようだから。


 偶然とは思えないのだが、ちょうどソビエトが崩壊する前のように世界は再び慌ただしくなっている。2010年12月のチュニジアのジャスミン革命に始まる、いわゆる「アラブの春」と呼ばれる反政府運動がアラブ世界で発生した。2011年2月11日にはエジプトのムバラーク政権が失墜したことは記憶に新しいが、かの国の傀儡と呼ばれたムバラークの失脚は、抑えが効かなくなったとことを暗示しているのではないか。また、ギリシア、スペイン、イタリアといった旧西側陣営の国々は今、金融危機に苦しんでいるが、手厚い救済は受けられないでいる。それどころか、イスラエルでさえも生活苦に喘ぐ民衆が抗議活動を展開しているのだ。灯台下暗しとは言うが、震災前から続く私たち日本人の苦境も無関係なことではないだろう。


 さて本稿は、Dmitry Orlov 氏の処女論文”Post-Soviet Lessons for a Post-American Century”の邦訳である。米ソ二つの超大国の比較を通して、アメリカの崩壊がソビエト崩壊よりもひどい事態を招来することを論じた内容である。この論文は、2005年にMichael C.Ruppert氏が主宰するウェブ・サイトFrom the Wildernessに三部作として掲載されて世に知られるようになったが、本稿はhttps://docs.google.com/document/pub?id=1M56LtVzVcYJSMGKm5CV2RcePETqK1BwvF-Pb5AkdTXM にあるドキュメントを底本とした。この論文は、オリジナルの英語版のほか、スペイン語、ポルトガル語、フランス語訳が出ており、とくにフランス語版にはソビエト崩壊当時の町並みやダーチャなどの画像が掲載されているので、参照されたい。
http://www.orbite.info/traductions/dmitry_orlov/lecons_post_sovietiques_pour_un_siecle_post_americain.html 
 また、この論考の内容を収めたOrlov 氏の著書”Reinventing Collapse”は韓国語訳が出版されていることを付言しておく。

 

 

 十五年ほど前に(註:本稿は2005年に書かれたので、1991年頃)、世界は二極構造から一極構造に変わった。極の一つが壊れてしまったからだ。今はもうSU極(註:Soviet Union)はない。もう一つの極は、US極(註:United State)という対称的な呼び名だが、まだ壊れてはいない。けれども、不吉な物音が徐々にはっきりと聞こえるようになっている。一九八五年にはソビエト連邦がまさか崩壊することになるとは思われていなかったように(註:ロシア通の元CIA長官ロバート・ゲーツさえ冷戦構造が続くと考えていたhttp://www.energybulletin.net/node/53129、今はまだ、合衆国の崩壊は起こりそうもないことのように思われる。ともあれ、先に崩壊した方の経験は、次の崩壊から生き残りたい人々にとって、教訓となるかもしれない。


 合理的に考える人ならば、二つの極が完璧な対極にあったとは決して主張しないだろう。かなり似通ったところもあれば、大きく異なるところもある、と言うだろう。この類似点と相違点は、この惑星を支配した後に足下が覚束なくなった超大国という巨人が崩壊し始めるや、晩年をどのように遣り繰りしていくのかを見通す上で、とても重要だ。


 私は、今となっては10年ほどの間、この記事を書くことを暖めてきた。しかしながら、最近になるまで、ほとんどの人々はここに書くようなことを深刻には捉えてこなかっただろう。つまるところ、冷戦にも湾岸戦争にも勝利して、スーパーハイウェイ構想、超音速ジェット機、そして惑星間コロニー計画といった明るい未来へと意気揚々と続いていく予定だった世界最強の経済大国、すなわち合衆国を一体誰が疑うことができただろうか?


 だが、最近になって、多くの疑い深い人々が着々と現れ始めている。合衆国は安くて豊富な石油と天然ガスの入手可能性にどうしようもないほど依存しており、経済成長に毒されている。石油と天然ガスが高価になって(すでに高水準)、慢性的な供給不足に陥るならば(せいぜい1,2年の問題)、経済成長は止まり、合衆国の経済は崩壊するだろう。


 多くの人々はまだこの気が滅入る予測を嘲笑うかもしれないが、この論考は幾人かの読者の目にとまるはずだ。私が執筆し始めた2004年10月、インターネットで「ピークオイルpeakoil」や「経済崩壊economic collapse」の検索をすると、およそ16300のドキュメントが現れた。2005年4月までに、その数は4,220,000件に増えた。これは一般の人々の考えについての劇的な変化だ。なぜならば、今、この主題について知られていることは、10年ほど前(註:1997年頃)に多かれ少なかれ知られていたことだからだ。10年ほど前、まさにこの主題に献げられた一つのウェブ・サイトができた。ジェイ・ハンソンのDieoff.orgである。人々が思うところの潮目の変化は、インターネットの世界に限られた話ではない。メインストリーム・メディアにおいても散見されるようになり、また、専門家も声を上げているのだ。そのようなわけで、数十年来のこの主題への関心の欠如は、無知からではなく、否認に由来するものだったと言えるだろう。資源の減少をモデル化して予測するために用いられる基本的な理論は1960年代からよく理解されていたのであり、ほとんどの人々が否認した状態のままであり続けたいのだろう。

 

否認 
(註:否認とは、耐えがたい現実を拒否する防衛機制のことである。また、石油減耗問題の受容に関して、E.キューブラー・ロスの『死ぬ瞬間』に記された死に対する姿勢の五段階(「否認」「怒り」「取り引き」「抑鬱」「受容」)がしばしば引き合いに出される。)

 ソビエト崩壊とそれが私たち自身に降り掛かる崩壊について教えてくれる話からは逸脱するが、私は否認についていくらか語らずにいられない。というのは、否認は興味深い題材だからだ。私は読者が否認を乗り越えて前に進むことを切に願っている。否認を乗り越えることは、私がここに記すことを理解する上でも有益なステップになるだろう。


 今やピークオイルに関する予測の多くは、およそスケジュール通りに現実のものとなっている。次第にエネルギー価格の高騰とエネルギー問題の様々な意見を持つ専門家の警告を無視することは難しくなっている。そして、徹底的な否認から徐々に狡い否認の形に代わってきている。つまり、ピークオイルによって実際に招かれ得ること、及びそれがもたらすことに個人が対処することになるかもしれない方策に関して、本気で現実的な議論することを避けようとしている。


 一方、「私たち」が何をすべきなのかという政策については、多くの議論がある。けれども、ここで問題となる「私たち」とは、思うに、偉大なアメリカ人のCan Doスピリットを具現化した代名詞なのであり、政府機関、大学、研究所および大企業の眩いほどの集まりを指す。彼らはさらにもう一世紀経済を拡大するために、クリーンで環境にも優しいエネルギーを潤沢に供給するという目標に向かって、一丸となって取り組むつもりでいるのだろう。さあ、全世界の終わりに、手荒な余興だ!


 「私たちが望むならば、私たちはそれをなし得る」といった声をしばしば聞く。たいてい、専門家ではない人、ときに経済学者の口からそのような言葉を聞くが、その類の言葉を科学者やエンジニアからはほとんど聞かない。簡単な計算でわかることなのだが、テクノロジーの女神が解決してくれるという信仰と論理とが対立するからだ。その女神を祀った祭壇の上には、Can Doスピリットを呼び覚ますために用いられる様々な儀式の貢物が供えられている。太陽電池、燃料電池、エタノールの入ったガラス瓶、バイオ燃料の入ったガラス瓶、である。祭壇の傍らには、石炭、タール・サンド、大洋に眠るメタン・ハイドレート、そしてプルトニウムの詰まったパンドラの箱が置かれている。もしも女神を怒らせるならば、地球上の生命に幕が下りることになるだろう。


 けれども、単なる信仰を乗り越えて、少しばかりより合理的な事実に注目してみよう。この「私たち」と言っている高度に組織化されて強大な力を有する問題解決のための統一体は、やがてエネルギーを使い果たしてしまうだろう。そして、エネルギーが尽きるや、もはや強大ではなくなってしまうだろう。私は率直に言いたいのだが、現在遂行されているどんな長期計画も水泡に帰する運命にある。というのは、危機にあるという条件が単純に、大規模かつ野心的な事業の長期計画を頓挫させてしまうからだ。そのようなわけで私は、SUVのボンネットの下やマックマンション
(註:デベロッパーが開発する面白みのない大きな家の蔑称)の地下室に奇跡の装置が据え付けられて、郊外型生活の夢の後にも幸せに暮らすことができるなどと待望することには首肯しない。なにはともあれ、その夢物語はますます悪夢の様相を呈しているのだ。


 否認したがっているもう一つの団体は、テクノロジーの女神が私たちを見捨てたならば、不可避的に起こるにちがいないと決めつけていることに考えを巡らせている。つまり、ますます希少になり続ける資源を巡っての戦争だ。このことについて、ピークオイルの問題をとてもよく知っているポールC.ロバートは、次のように言っている。「資源が少なくなったとき、死にもの狂いの状況がいつももたらしたことは、資源を巡って戦い合うことだ。」(二〇〇四年十一月十二日付けマザー・ジョーンズ誌)戦争が絶対に起こらないとは言わないが、これまで戦争は絶望という無益な意思表示以外に何か残してきただろうか?そもそも戦争自体が資源を食う営みだ。資源がすでに乏しいとき、資源争奪戦争をすることは、無益どころか致命的な行為になるだろう。そして、資源に勝る方が戦争には勝つのだ。私は資源争奪戦争が起こらないとは言わない。だが、戦争は無駄なことであり、そういう紛争の勝利は敗北とほとんど区別がつかないと言いたい。そして、資源を巡る紛争は自ずと制約が課されるということも言っておきたい。現代の戦争は莫大なエネルギーを使い尽くしてしまうが、もしも紛争が石油や天然ガス施設を巡ることならば、繰り返しイラクで起こっているように、石油も天然ガスも吹き飛んでしまうだろう。こうして利用できるエネルギーはさらに少なくなり、したがって、戦闘状態もより小さくなる。


 例えば、過去二回のアメリカのイラク侵攻を考えてみよう。いずれの場合でも、アメリカの軍事行動の結果として、イラクの石油生産量は減少した。そして、今や戦略全体が失敗だったように思われる。サダム・フセインを支持したかと思えば、フセインと戦い、それからフセインに制裁を科して、最後には彼を転覆させて、ひどく損壊されたイラクの油田を残した。今やイラクの油田の「究極可採埋蔵量」はかつて地中にあると考えられた量の一〇~十二%にまで落ちこんでいる。(ニューヨーク・タイムズ紙)


 資源を巡る戦争は終盤になると核戦争になると言う人々さえいる。この点については、私は楽観的だ。ロバート・マックナマラがかつて考えたように、核兵器は行使することが困難である。彼は核兵器の利用をより容易にするために、小型で戦略的なピンポイント核兵器類の導入を主張することで多大な功績を残している。れれども、彼は最近、核を搭載した「バンカー・バスター」へと関心を移したが、そういった兵器は、エネルギー供給量を確実に増やすという繊細な戦略目的自体をふいにしてしまうので、ほとんど使い物にならない。このような関心領域については、従来からある武器で有効なものは何もなく、核兵器がよりよい結果になるとする理由も明白ではない。


 細かい話をしたが、私が本当に指摘したいことは、たとえ最悪のシナリオであったとしても、資源戦争を想定することは否認に留まっている、ということなのだ。そこには暗黙の仮定がある。他のすべてが失敗したならば、私たちは戦争して勝利する。そして、再び石油が流通して、間もなく平常通りの営みに戻るだろう、という皮算用だ。ここでもう一度、次第に減少している世界の原油供給量の大きな分け前をアメリカに向け直すために行われている地球規模での治安活動の成功を望んでも、うまくいかないだろうと釘を刺しておこう。


 このほかにも、否認したがる人々は西洋文明の崩壊と呼ばれる混乱状態に陥っていて、黙示録に登場する四人の騎士が頭の中を徘徊しているようだ。ある人々はあなたにそれを信じてもらえるとでも思っているのだろう。これは否認というよりも逃避であり、英雄気取りで最終章の大フィナーレを渇望しているわけだ。文明が崩壊することはとてもよく知られた事実だが、ローマ帝国衰亡史(註:ギボン作)の読者ならば、文明の崩壊プロセスは数世紀を要するとあなたに語ることだろう。


 むしろ急激に崩壊に向かうのは、経済なのである。経済は崩壊することが知られており、文明よりもはるかに高度な規則性を伴って崩壊する。だが、経済が崩壊して、光さえも逃れることのできないブラック・ホールになるわけではない。そうではなくて、他のことが起こる。つまり、より緩慢になった資源消費速度で均衡点を見つけようとして、社会は自発的にそのあり方を変えて、新しい関係性を構築して、新しいルールを生み出していくことになるのだ。


 その試練は人々の大きな苦痛を伴う、ということにくれぐれも留意して欲しい。経済なしでは、多くの人々が突然、自身が生まれたての赤子と同じくらい無力だということに気づくだろう。どちらかと言えば、人々の多くはより早く死ぬようにもなる。それは「個体激減die off」と呼ばれることもある。その激減する人口集団は、最も弱い人々、子供や老人や虚弱体質の人、そして、愚かな人や自滅的な人からなる。一方、虫や木の皮を見境なく食べてでも生き残ることができる集団もある。ほとんどの人々はこの間のどこかに収まる。


 経済の崩壊によって、新たにより小さくより貧しい経済が生じる。そのようなパターンは何度も繰り返されてきたことだ。だからこそ、既に起こった崩壊と今にも起こりそうな崩壊の間の類似点や相違点について帰納的に推理することができる。もちろん、観測と計算にもとづき星が崩壊して中性子星になるのかブラック・ホールになるのか正確に予測する天文学者ではないのだから、私たちは一般に観察されることと逸話的な証拠とを用いて研究しなければならない。けれども、私の思考実験は新しい経済の全体像を正確に推測することを導くことになるだろうし、諸個人や小さなコミュニティにとって役に立つサバイバル戦略を導くだろう。

 

ソビエト連邦の崩壊:概観


 現代の経済が崩壊して、経済に支えられた複雑な社会が分解したとき、どんなことが起こるだろうか?最近そのような経験をした国を調べてみることが、もっとも勉強になる。幸運にも私たちは、ソビエト連邦の崩壊という格好の実例を持っている。私はペレストロイカの期間とその直後に六ヶ月ほどロシアに滞在して、あちこち旅をしながら仕事をしていた。そして、気づいた変化に心を奪われてしまったのだ。


 もちろん、細部は異なると思う。しかし、ソビエトで起こった問題は物理的な問題というよりもむしろ組織の問題だと多分に考えられてきたが、ソ連が石油生産量のピークに達してからちょうど三年後に崩壊したという事実は偶然の一致などではなかろう。
(註:参考Douglas B. Reynolds “Peak oil and the fall of the Soviet Union: lessons on the 20th anniversary of the collapse”  http://www.energybulletin.net/stories/2011-05-27/peak-oil-and-fall-soviet-union-lessons-20th-anniversary-collapseソビエト連邦が自壊したことの究極的な原因は今なお謎に包まれたままだ。ロナルド・レーガンのスター・ウォーズ構想が引き金だったのか?それとも、ライザ・ゴルバチョフのアメリカン・エキスプレス・カードに原因があったのか? ミサイル防衛のための盾はごまかすことができるが、ハロッズ百貨店での買い物をごまかすことは容易いことではない。ともあれ、この議論は前に進んでいない。現代における一つの仮説は、ソビエトの社会主義はエリートを豊かにしそうもないとエリートたちが判断して、すべての計画からソビエトのエリートたちが逃げ出した、というものだ。(けれども、このような端からわかりきっていた結論にソビエトのエリートが到達するのに七〇年もかかったというのでは、明快な答えにはなっていないだろう。)


 もう少し常識的な説明はこうだ。ペレストロイカの前の「不景気」の間に、慢性的な経済の不調に加えて、軍事支出と貿易赤字と対外債務が嵩んだことで、平均的なロシアの中流家庭、つまり共稼ぎの三人家族が収入の範囲で生活することが困難になった、というものだ。(これは今、私たちも感じ始めていることではないか?)もちろん、政府の役人は、庶民の苦しい生活事情にはあまり関心を持たなかった。そこで、人々は政府の管理の網の目を潜り抜けて、生き残りのための術を見つけ出したが、政府がの方はシステムを維持するために必要な成果を上げられなかった。こうして、システムが改革されなければならなくなった。改革の気運が高まり、改革派の人々がシステムを改革するために勢揃いした。けれども悲しいかな、システムは改革されなかった。システムを直すどころか、ばらばらに壊れてしまったのだ。


 だが、ロシアは経済的に回復を遂げることができた。というのは、ロシアには石油と天然ガスが潤沢なまま残っていたからだ。おそらく少なくとも二、三十年は繁栄し続けるだろう。翻って北アメリカでは、石油生産量は一九七〇年代初頭にピークを過ぎて、それ以来ずっと減少している。天然ガス生産は今や崖を下るように落ち込んでいる。けれども、エネルギー需要は北米大陸が供給できる以上にまで拡大し続けており、自ずとエネルギー事情が回復する見込みはない。ところで、私がロシアは回復したと言っても、ソビエト崩壊に伴う人々の犠牲や再生したロシア経済の不均衡と経済格差の拡大を控えめに言おうとしているわけではない。私が言いたいことは、ロシアはエネルギーを完全に使い尽くしていなかったからこそ息を吹き返すことができたが、合衆国はさらにエネルギーを使い込むだろうから復活の可能性は低い、ということなのだ。


 けれども、このような「全体像」の相違はあまり興味深いものではない。むしろ諸個人からなる小集団が経済と社会の崩壊にいかに首尾よく対処するかという観点から興味深く実践的な教訓となるのは、ミクロな類似点である。そしてここに、ソビエト崩壊後の経験から供される多くの有益な教訓がある。

 

ロシアに戻って


 私は、後にサンクトペテルブルクと再び名づけられることになるレニングラードに初めて帰った。それは一九八九年の夏のことで、ゴルバチョフが政治犯の最後の一群を釈放したおよそ一年後のことだった。私の叔父も釈放された政治犯の中に含まれていた。叔父はアンドロポフ書記長の決定によって、つまり鉄の拳を掴んだ老いぼれの試みによって、投獄されていたのだ。そしてまた、ソビエトを逃亡した者がはじめて、帰国することや訪問することができるようになったのだ。私がレニングラードを去ってから十年以上の月日が流れていたが、ボルガスやラダス(補註:自動車の名称)で混んだ騒がしい道路、ネオンでライトアップされた高い建物の屋根に掲げられた共産主義者のスローガン、店には長蛇の列、その地の多くが私の記憶通りのままだった。


 唯一の真新しいことは、新たに組織された協同組合運動を取り巻く動きの混乱だった。新興の企業家階級は、彼らの協同組合だけが政府公示価格で政府に販売することを割り当てられていると不平を言うことに躍起になっていたが、同時に彼らは取引の協定を介して総収入から所得隠しをする新手の方法を考案していた。もちろん、ほとんどが破産した。所得隠しが彼らにとって、あるいは政府にとって、大当たりのビジネスモデルではなないことが判明したわけだが、政府が死にかかっていることもまた判明したのだ。


 私はその一年後に再びレニングラードに戻ってみたのだが、まったく知らない場所のように感じた。先ず何より、匂いが変わっていた。スモッグがなくなっていたのだ。工場の多くが閉鎖され、交通量もとても少なくなり、空気がとても美味くなっていた。店舗の多くは、商品がまったく陳列されていない空っぽの状態で、およそ休業していた。営業中のガソリンスタンドはごくわずかで、営業しているガソリンスタンドでは数ブロック先まで車列ができていた。そして、購入できるガソリンは一〇リットルまでと制限が課されていた。


 友人と私は取り立ててすることが何もなかったので、プスコフやノヴゴロドといったロシアの中世都市を訪ね、道沿いの田舎を見て回る自動車旅行をすることにした。そのために私たちは燃料を調達しなければならなくなったわけだが、手に入れるのには難儀した。燃料は闇市で手に入ったが、誰もあえて価値のある何かを手放してマネーのような利用価値のないものと交換しようとする雰囲気ではなかった。ソビエトの通貨はすっかり価値を失っていたのだ。というのも、ソビエトのお金で買えるものはほとんどなかったからだ。それでも人々は外国の通貨には反応を示した。


 幸運にも私たちには通貨の代わりになる限られた蓄えがあった。ゴルバチョフの不運なアルコール中毒撲滅キャンペーンは終わりに近づいていたが、その間、ウォッカが配給されていた。私の身内に不幸があって、ウォッカの配給券を香典として受取っていたのだが、もろんすぐにモノに換えておいたのだ。そのウオッカの残りが頼もしい旧式ラーダ(註:自動車の名称)のトランクの中にあり、それが売れたのだ。なんとウォッカ五〇〇ミリリットルがガソリン一〇リットルと交換できたわけで、ウォッカにはロケット燃料よりもはるかに効率的なエネルギー密度が与えられていたようなものだった。


***


 二年後、再び私は戻った。今度は真冬だった。仕事でミンスク、サンクトペテルベルク、モスクワを回った。私の任務は旧ソビエトの軍需産業の何かが民生用に転用され得るかどうか調べることだった。察しの通り、仕事は大失敗で、完全に時間の無駄となった。けれども、別様の勉強にはなったのだ。


 ミンスクは、冬眠から叩き起こされた都市のように思えた。日が昇っている短い間だけ、通りは人でごった返すのだが、人々は次に何をしたらいいのか考えあぐねているかのように、ただ突っ立っていた。同様の雰囲気は重役室にも広がっていた。そこには私が「邪悪な帝国」の典型的な人物だと思うようになった人々が、民衆の悲運を哀れんでいるかのような顔をしたレーニンの埃まみれの肖像画の下に座り込んでいた。誰も事態を打開する妙案を持ち合わせていなかったのだ。


 唯一の輝きは、お調子者のニューヨークの弁護士から届いた。彼は宝くじを催そうとして、その地をぶらついていたのだ。そんな彼が計画を持ったほとんど唯一の人物だった。(ソビエト崩壊前には核融合反応炉用の爆発圧接部品のようなものを扱っていた研究機関の責任者だった人も計画を持っていたが、それは夏に過ごす別荘を建てたいというものだった。)私は早々と仕事を切り上げて、サンクトペテルブルク行きの夜行列車に乗った。快適な古い寝台車で、最近軍医を辞めたばかりの若者と客室を共にすることになった。彼は私に巻物状にした100ドル札の束を見せてくれて、地方のダイヤモンド取引について話してくれた。私たちはコニャックのボトルを分け合って、うたた寝した。愉快な旅だった。

(註:この論考の書籍版である”Reinventing Collapse”には、崩壊前には最先端の工学研究に携わっていた者が公園で鴨猟に勤しんでいたことや、ドイツ人ビジネスマンがミンスクの女の子をナンパしまくっていた話が紹介されている)

 サンクトペテルブルクは衝撃だった。冬空の下、のしかかってくるような絶望感が漂っていた。老女たちが自然発生した青空市場のあちらこちらに立っていて、何か食べるものを買うために、おそらくは孫のオモチャを売ろうとしていた。中流階級の人々があちらこちらでゴミ箱漁りしている姿が見られた。誰もの蓄えがハイパーインフレーションによって帳消しにされてしまったのだ。私は一ドル札の大きな束を持って到着した。あらゆるものが一ドルもしくは一〇〇〇ルーブルで、それは平均月収のほぼ五倍だった。私は数えるのが馬鹿馬鹿しくなって一〇〇〇ルーブル分ほどの紙幣を「ちゃんとあるか確かめて」と言って手渡した。人々は「多いよ」とか「足りないよ、ちゃんと払って」と言いながらも、厭気がさしていたことだろう。しかしながら、照明はすべて灯っていたし、多くの家には暖房もあり、電車も時間通りに運行していた。


 私の仕事の日程は、田舎の方に行って科学実験施設でミーティングをするという行程を含んでいた。ところが、その地域への電話回線が繋がらなくなっていたので、電車に乗って、いきなり目的地に向かうことになった。七時発の電車が一本だけあった。私は朝食が摂れると考えて、六時頃に駅に行った。けれども、駅は暗くて施錠されていた。通りの向こうに、コーヒーを売っている店があったが、一区画も列がついていた。ここでも老女が店の前でトレーに載せた葡萄パンを売っていた。私が彼女に1000ルーブル紙幣を渡すと、彼女は「お金を捨てたりしちゃダメよ」と言った。それで、私はトレーごと買うと申し出たのだが、彼女は「そんなことしたら、他の人は何を食べるの?」と尋ね返してきた。それで、私は会計の列に並んで、1000ルーブル紙幣を出して、使い勝手の悪いかさばる釣り銭とレシートを受け取った。カウンターでレシートを見せて、私は一杯の暖かい茶色い液体の入ったグラスをもらい、それを飲み干してグラスを返した。そして、私は先ほどの老女にお金を払って、甘い葡萄パンを手に入れた。私は彼女にとても感謝した。それは礼儀についての教訓だった。


***


 三年後、またしても私は戻った。明らかに経済は回復していた。少なくともお金を持っている人には商品が手に入る程度に復興していた。けれども、会社はまだ休業状態が続き、ほとんどの人々はまだ明らかに苦しんでいた。セキュリティが万全で、外国の通貨で輸入雑貨を売る新しい個人商店が目に入った。ごくごくわずかな人々だけがこの類の店で買い物をすることができた。また、多くの都市の一角には青空市場があり、ほとんどの買い物はそこでできた。何種類もの商品が鍵の付いた金属製の売店ブースから手渡された。その売店のいくつかはチェチェン人マフィアのもので、穴に札束を押し込むと商品が出てきた。


 お金を供給する上での支障も散発していた。私がはトラベラーズチェックを現金に換えるために銀行が営業し始めるのを待っていたことを思い出す。銀行は閉められたままだった。どの銀行もマ現金を切らしていたからだ。銀行は現金が運ばれるのを待っていた。時折、銀行の支店長が出てきて、マネーは運ばれている、心配ない、とアナウンスしていた。


 失業者、不完全な雇用状態の人あるいは古い経済の中で就業している人、それと新興の商人階級の間には大きな隔たりがあった。古い国有企業で働く人々、つまり学校、病院、鉄道、電話交換をはじめとしてソビエト経済時代から引き継いでいるところで働く人々には、苦しい時代だった。給料の支払いが不定期で、まったく支払われないこともあったからだ。人々はお金を手に入れても、生きていくのはやっとのことだった。


 ともあれ、最悪の時期が明らかに過ぎ去った。新しい経済の現実が定着した。大部分の人々が生活水準の低下を味わった。生活水準が永続的に低下した者もいる。十年がかりで経済は崩壊前の水準に戻ったが、その回復は公平なものではなかった。にわか成金の富裕層がいるかたわら、二度と収入が回復しない大勢の人々がいた。新しい経済の役割を担えない人々、とりわけ年金生活者、そして消滅した社会主義の国から利益を引き出していた多くの人々は、ぎりぎりの生活を余儀なくされた。


 ここまでの私のロシアでの経験のささやかな描写は、目撃したことの普遍的な意味を伝えることが意図されている。けれども、経済の崩壊が迫っていると考えて、それから生き残るために計画を立てたい人々にとっては、私が観察してきたことの細かな部分こそが有意義であると期待される。

 

超大国の類似点


 ある人々はアメリカ合衆国とソビエト連邦の直接比較は、ひどい侮辱でもなければ、相手にならないと考えるだろう。つまるところ、失敗した共産主義者の帝国を世界最大の経済と並べることに、どんな意味があるというのか?またある人々は、イデオロギーの対立という点で敗者が勝者にアドバイスするとは非常識だ、と思うかもしれない。なるほど両国の違いはほとんどの人々にとって明白なことなのだから、私はいくつかの類似点だけを挙げることにするが、同じくらい明らかなことだとあなたが気づくことを願っている。


 ソビエト連邦とアメリカ合衆国は、次に挙げるカテゴリーで勝者か次点のどちらかだ。宇宙開発競争、軍拡競争、牢獄競争、憎悪された邪悪な帝国競争、資源の浪費競争、倒産競争。これらのカテゴリーのいくつかにおいて、アメリカ合衆国は、言うならば、遅咲きで、ライバルが降りた後に新記録を樹立している。両国は、チェルノブイリ原発の大災害が起こるまで、めまいがするほど熱心に、科学、技術、進歩を信じた。その後、オンリー・ワンとなった真の信者が残った。


 米ソ両国は第二次世界大戦後の工業帝国であり、その他の世界に彼らのイデオロギーを押し付けようとした。民主主義と資本主義、対するは社会主義と中央集権的計画経済だ。そして、双方とも首尾は上々だったのだ。アメリカ合衆国が成長と繁栄を大いに楽しんだ一方で、ソビエト連邦は万人の識字率、万人の健康管理、極めて小さな社会的不平等および全市民に対する(低かったものの)生活水準の保証を達成したのだ。国家管理に置かれたメディアは、生活水準がいかに低いかをほとんどの人々が認識しないように配慮して痛みを取り除いていた。女優のシモーヌ・シニョレがソビエト滞在から戻って、「幸せなロシア人たちは自分たちがいかにひどい生活をしているのか知らないのよ」と言ったくらいだ。


 どちらの帝国も、片方のイデオロギーを押し付けて、もう片方のイデオロギーに反対するために、世界のあちこちで、資金供給して、武器を注ぎ込み、血まみれの紛争に直接介入して、いくつかの国々を台無しにした。どちらの超大国も、刑務所に投獄された人口比率の世界記録を樹立して、自国をも台無しにしてしまった。(この点については南アフリカもライバルだ。)ともあれ、このカテゴリーでは、新興の一部民営化された刑務所と産業部門の複合体(奴隷的な賃労働の源)を支援しながら、今やアメリカ合衆国が断トツの成功をおさめている。

 

 アメリカ合衆国はソビエト連邦よりもこれまでは世界中で友好的だと思われてきたが、ソビエト連邦が舞台を去って以来、「邪悪な帝国」としてのギャップは狭まっている。今や、スウェーデンのような西側諸国をも含む世界中の多くの国で、イランや北朝鮮よりもアメリカ合衆国こそが平和に対する大きな脅威だと評されている。憎悪される邪悪な帝国競争では、アメリカ合衆国はチャンピョンの風格を漂わせ始めている。そして、誰も敗者を好まない。敗者が地に堕ちた超大国ならば、尚のことだろう。誰も無惨に消滅したソビエト連邦に同情したりしなかったのだ。しかるに、誰も無様に消滅するアメリカにも同情しないだろう。


 破産レースはとくに興味深いことだ。崩壊に先立って、ソビエト連邦は持続不可能な勢いで対外債務を背負い込んでいった。世界市場での石油価格が安かったこととソビエトの石油生産量がピークに達したことが合わさって、対外債務の運命は覆い隠されていた。後になってソビエト時代の対外債務を引き継いだロシア政府は債務不履行を宣言して、金融危機を招いた。その後、ロシアの金融は改善したが、これは主として石油輸出が伸びた上に石油価格が上昇したことによる。現時点で、ロシアはできるだけ急いでソビエト時代の債務を返済しようと奮闘していて、このところの過去数年にわたっては、ロシアのルーブルは合衆国のドルよりもいくらかよくなっている。


 アメリカ合衆国はと言えば、現在、持続不可能な会計上の赤字、通貨の減価、そしてエネルギー危機に同時に直面している。世界一の債務国となったが、ほとんどの国民がどうすれば債務不履行を避けることができるのかを考えようともしない。多くのアナリストが言うには、これはテクニカルな破産であって、ドル建て資産を保有していて当面その価値を守りたい海外の中央銀行によっててこ入れされている、とのことだ。けれども、この策略は問題を単に先送りすることにしかならない。こういうわけで、ソビエト連邦は先んじて破産した栄誉に値するが、このカテゴリーの金(意図的な語呂合わせ)は、史上最高の債務不履行を帰結して、疑いもなくアメリカ合衆国に渡されることになるだろう。


 他にも多くの類似点がある。合衆国よりも早くロシアでは、教育と労働の権利を女性が手にした。ロシアとアメリカの家庭は共に高い離婚率と多数の庶子に示される悲しい形態にあるが、ロシアでは慢性的な住宅不足が多くの家庭に我慢を強いるので、異なる結果となっている。また、どちらの国も農業地域の慢性的な人口減少を経験している。ロシアでは、家族経営の農地が集産主義化の中で壊滅し、農業生産も減じた。アメリカ合衆国では、他の様々な要因によって田舎の人口について同様の結果を導いたが、農業生産の減少とはならなかった。どちらの国も化石燃料中毒に罹り、持続不可能で生態学的には大失敗と言える工業化された農業ビジネスが家族経営の農業に取って代った。アメリカの農業ビジネスはうまくいっているが、それはエネルギーが安い限りの話であって、今後おそらく、とことんうまくいかなくなるだろう。


 類似点は多すぎて言い尽くすことはできないが、上述したことは重要な真相を知らせるには十分かと思う。そして、これらの類似点が同じ工業技術文明ながらも正反対だとされる、あるいは正反対だとされてきた事柄なのだ。

 

超大国の相違点:民族的背景


 二つの超大国のラフスケッチは、いくつかの相違点の比較を踏まえないならば、完璧とはならないだろう。相違点は類似点同様看過できないことなのだ。


 合衆国は伝統的に人種差別主義者の国であり、誰の身に降り掛かろうとも、ある種の人にはある種の人の娘や妹と結婚したがらない人々の多くのカテゴリーがある。それはアフリカ人奴隷の利用と原住民の根絶に起因する。そういったことが形成された時期に、ヨーロッパ人とアフリカ人、あるいはヨーロッパ人とインディアンとの正式な結婚はなかった。このことはブラジルのようなもう一つのアメリカ大陸の国々と比べて際立ったコントラストを示している。合衆国では今日でも、アングロ・サクソン以外の種族に対する軽蔑的な態度が残っている。政治的な矯正で覆い隠されているが、少なくとも上流社会においてアングロ・サクソンの人々が結婚したりデートしたりするのに実際に選ぶ人が誰かを観察するならば、いくらでも発覚することである。


 ロシアは民族の構成が西のヨーロッパ系から東のアジア系へと徐々に変わる国である。ロシアの巨大な領土問題の解決はロシア人が東方への道のりで出会ったすべての種族との婚姻によって達成された。ロシアの歴史にいて、形成過程のエピソードの一つはモンゴルの侵略であり、それによってロシア人の系譜にアジア人との混血が進んだ。他方、ロシアは西ヨーロッパからも移民をいくらか受け入れた。現在では、ロシアの民族問題は戦闘的な民族マフィアと小規模ながらも数多くの反ユダヤ主義の不面目なエピソードに限られる。何世紀もの間、ロシア社会と私の家族も含むユダヤ人たちはうまくやってきたのが特徴だった。だが、ユダヤ人は一流大学や研究所から締め出されて、他のところでも処遇を受けなくなった。


 合衆国は人種間の緊張という火薬を溜め込んでおり、都市の黒人は郊外の白人から虐げられていると感じ、逆に白人は都市の多くの地域で危険にさらされている恐怖を覚えている。永続的な危機の時代には、都市の黒人たちは暴徒と化して、都市を荒らすかもしれない。なぜならば、黒人たちは都市の所有権を持たないからだ。一方、郊外の白人たちは、ジェームス・クンスラーが言う「森のかわいらしい小屋」から締め出されて、近場のトレーラーハウスの駐車場へと立ち去りそうだ。このような懸念に、すでに拳銃が広く出回っている事実やアメリカ社会とりわけ南部、西部、デトロイトのような終わった工業都市に暴力行為が浸透している事実という爆発性のガスが加われば、どうなるか、だ。


 要するに、崩壊後のアメリカの社会的雰囲気は、崩壊後のロシアほど穏やかで平和である見込みはない。少なくとも方方で民族的に混在しているために、旧ソビエト連邦の中でも貧しい人々が住む地域、たとえばFergana谷のような地域の雰囲気にむしろ似たものになるだろう。もちろん、グルジア共和国のコーカサス地方の「自由の標識」(あるいは合衆国大統領がそう呼ぶところ)に似てくるだろう。
(註:2005年3月のブッシュ大統領の発言)

 生き残りに関心のある者にとって、合衆国の中のどこもに明白な選択肢はないが、ある地域は明らかに際立って危険である。人種あるいは民族間の緊張という歴史を引き摺った地域はおそらく安全ではない。このため、南部と南西部、そして他の地区の多くの大都市は除外される。ある人々は自身と同種の民族的に均質な飛び地に位置する安全な港湾を探すかもしれない。また他の人々は差別のない生活様式や異民族間の婚姻によって民族同志の関係が密になった小さなコミュニティを探すことを勧められるだろう。そういったところでは、多民族社会という不愉快で脆弱な集まりが一致団結する可能性があるかもしれない。

 

超大国の相違点:所有


 もう一つの重要な相違点:ソビエト連邦では誰も住み処を所有していなかった。このことが意味することは、ホームレスを生み出すことなく経済が崩壊することができたということなのだ。およそすべての人々が崩壊前と同じ場所で生活し続けたのである。立ち退きや抵当物受け戻し権喪失手続はなかったのだ。誰もが住み処を追われなかった。そして、このことが社会の瓦解を妨げたのだ。


 さらなる相違点:人々が住み続けた場所は一般に、最悪の時期にも操業し続けた公共交通手段によってアクセス可能だった。ソビエト時代の開発のほとんどは中央で計画されたが、中央の計画立案者はスプロール化を好まなかった。というのは、サービスを提供するのがあまりに困難で費用が嵩むからだ。ほとんどの人々は自動車を所有してなかった。あちこち出掛けるのに車を使う人はとても希だった。最悪のガソリン不足さえもほとんどの人々にはわずかばかりの不都合をもたらしただけだった。春先に都市部からダーチャに植え付け用の苗木を運び、秋に収穫を都市に持ち帰る際には、たしかに困った。

 

超大国の相違点:労働についての概略


 労働力について言えば、ソビエト連邦は完全に自給できていた。崩壊の前にも後にも、熟練労働は、石油のほか、武器、産業機械など主要な輸出品を供した。だが、合衆国はそうではない。合衆国では製造業のほとんどが海外で行われるだけでなく、国内の多くのサービスもまた移民によって提供されている。このことは、農業、造園、オフィスの清掃から、エンジニアリングや医療分野のような専門職まですべてにわたっており、移民の労働なしには社会も社会インフラも破綻してしまうだろう。このような移民のほとんどはより生活水準を満喫するために合衆国にやってきた。つまり、アメリカが素晴らしいところである限り、という話なのだ。つまり、移民の多くはやがて帰国し、社会構造に穴が空くことになるだろう。


 私は合衆国のいくつかの企業を内側から観察する機会に恵まれ、スタッフの構成にある規則性を見いだしている。上層部には、高給取りで年長の大食漢のグループがある。彼らはすべての時間を大なり小なり様々なやり方で楽しく過ごしている。彼らは往々にして技術的四方山話や相対論的豆の計数のような学問分野の高い学位を取得している。彼らはお金の問題に取り憑かれており、たとえ彼らが炭坑労働者の子どもだったとしても、上品な郊外育ちの雰囲気を醸し出している。彼らに技術的な問題を依頼するならば、好機とばかりに自嘲的なジョークを一つ二つ交えて機知をひけらかしながら、彼らは丁重に断ることだろう。


 いくらか下の階層が実際に働く人々なのだ。彼らは社会上のたしなみやコミュニケーション能力が乏しい傾向がある。だが、彼らこそ仕事のやり方を知っている。彼らの中に技術的な革新者がおり、彼らこそが企業の存在価値を供しているわけだ。


 たいてい上層部の年長の大食漢は生粋のアメリカ人で、たいてい下層の人々は一時滞在の外国人か移民である。こういう人々には様々な事情があり、仕事するか帰国するかを選ぶことを強いられている就労ビザの入国者から、永住権の取得を待っていて物事に最善を尽くさねばならない人々、永住権を持つ者、市民まで様々だ。


 上層部の生粋のアメリカ人はいつも仕事の説明の標準化に努めている。彼らは、最下層の移民を競わせて、支払いを安く抑えようとしている。と同時に、自分自身の能力を労働市場で容易に手に入るスキルだとは言わせない、一匹狼の優れた起業家として自らを描き出すことに余念がないのだ。これとは反対の話もある。生粋のアメリカ人が労働市場の商品になって、彼らの仕事がバイオテクノロジーか塩漬けの魚だろうと類似の職務を遂行するわけだ。そういったところで働く人々は無比のスペシャリストで、これまでなされたことのないことに取り組んでいる。


 このような状況が生じていることは不思議でもなんでもない。過去数世代、生粋のアメリカ人は法曹界、報道機関、企業経営のような分野を好んできたが、移民や外国人は自然科学や工学を選ぶ傾向があった。彼らは生涯にわたって、アメリカ人は終わりなき繁栄を期待するように言われてきたので、豊かな社会という織物の単なる刺繍とでもいうべき職業に就くことに安堵したわけだ。


 このプロセスは「頭脳流出」として知られるようになった。アメリカは外国から才能ある人々を引っこ抜き、有利になり、そして不利になりつつある。知能の高い人々の流れが逆流しそうなのだ。彼らは経済的苦境に対処する方策を見出せない合衆国を見捨てそうなのだ。このことが意味することはこういうことだ。鉄道事業の復活や再生可能エネルギーのような技術革新や開発事業として多分に見込みのある領域であっても、アメリカでは、その事業の実現に必要な人材が不在だと気づくことになるかもしれない。

 

超大国の相違点:宗教


 ソビエト連邦と合衆国がひどく食い違っていることとして言及する価値のある最後の重要な点は、宗教に関する違いだ。


 革命前のロシアの頭の二つある鷲は王室と教会を象徴しており、一つの頭には王冠、もう一つには法冠が描かれていた。図像学や修道院の伝統といったいくらか神聖な表現に加えて、ロシアの教会は、富と誇示にうぬぼれて、圧政的なものとして、つまり教会が権力の正当化を助ける君主制において存在した。だが、20世紀のロシアは、きっぱりと世俗的な方法で発展を管理して、強制的な無神論で敬虔な人々を迫害した。


 合衆国は、西側の国としては珍しく、相当に信仰心の厚い地域であり続けて、ほとんどの人々が教会、シナゴーグまたはモスクで神を探し求めている。英国国教会を去って、早熟にも東部13州の英国植民地へと転居したことが文化発展において合衆国を時代遅れにしたように思われる。この時代遅れは、非宗教的倫理に対しては気乗りしない容認という大きな問題に加えて、メートル法を理解できないこと(これはイングランドではほぼ解決した問題)、また、国旗への病的執着を示す18世紀的傾向といった些事において明らかである。


 この相違点が経済崩壊の文脈で意味することは、驚くなかれ、何もないに等しい。おそらくアメリカ人は聖書を引用し始め、黙示録、終末論、そしてハルマゲドンの直前に救済された人の昇天、と続けることだろう。こういった思想は、言うまでもなく、サバイバルには助けにならない。だが、おそらく無神論者のロシア人はソビエト崩壊時、世界の終わりに近づいたと思い、確信と慰みを求めて新たに開かれた教会に集まった。


 おそらくより大きな相違点は、宗教の流行と欠如の間にはなく、主要な宗教の中身の違いにこそある。ロシアのギリシア正教会の建築における誇示、およびものものしい行列と儀式にもかかわらず、そのメッセージはいつも魂の救済への道といった禁欲主義のものである。魂の救済は貧民のためのものである。というのも、その恩寵は現世または来世にあり、その両方ではないからだ。


 このことは、アメリカで最大信者を誇るプロテスタンティズムとは異なる。プロテスタンティズムは、富裕な人々は救われないという趣旨でキリストによって強調された不都合な点を無視して、神の恩寵として富を考える劇的な変遷を遂げた宗教である。
(註:マックス・ヴェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』参照のこと)逆に、貧困は怠惰や悪行に関連づけられ、貧しい人々の威厳を奪っているのだ。


 そういうわけだから、ロシア人は、神の恩寵を失って突然貧困に陥るとか、神が人々への懲罰として経済崩壊をもたらすとは考えたりしないが

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