GDPからGDH(国内総幸福度)へ:ひとつのアプローチ提案

失われた20年、バブル崩壊して日本は未だ元の勢いを回復していない。カンフルのように公共投資をつづけてもデフレ不況から脱却できず、日本社会の格差化、きずな関係の分解(無縁化、孤立無援化など)の勢いが深刻である。
もう、GDP成長できないのではないか。GDPが増えても経済効果が続かない、生活も社会も良くならない。さらに、GDPよりもGDH(国内総幸福度)が大事ではないのかという考えが浸透してきている(日経新聞10月18日)。

 日本の多くの国民にとって、失われた20年は「幸せを失った20年」である。
そこで、幸せについて問い正す上で、ひとつのアプローチを提案したいと思う。


幸せの意味と前提条件

 幸せって何だろうか。個々人が、心地良いと覚える、心にストレスのない状態ではなかろうか。ヒトの覚える幸福感とは、個々人が「生きてて幸せ」と表わすように、ある期間にわたって続きうる気持であり、「お金が儲かって幸せ」という拝金、「愛し合って幸せ」という「快楽」とは異なる。
個々人は、先ず家族として、さらに隣り近所、団体、企業、国家へと様々なレベルの社会組織の構成員して生活している。そのような複合的な構造の中で、個々人は幸福を継続して得ようと主体的に努力する。それぞれの社会組織に、構成員が幸福をつかみとることを阻害しない、その心の発動をサポートする環境が整備されていること、すなわち教育・医療・福祉の制度充実、国防と食料の安全保障は前提条件であろう。しかし、幸福を得ようとする主体が置かれている境遇、条件が不安定であれば、前提条件も生かされない。

 人の一日:4つの時間構成と相互関係

人の生活は、睡眠時間・食事時間・労働時間・自由時間の4つの時間が、相互に関連しながら一連の流れで組み合わされた一日周期の繰り返しである。なお、科学者等のように、労働時間と自由時間が重なり合っている場合もある。
人は、睡眠時間は、起きている時に消耗した心身の疲労とストレスを回復させる時間である。安らかな睡眠が重要である。起きている時は、食事時間で心身にエネルギーと栄養を蓄え、労働に精を出す。労働時間は「財の創造」の時間である。財は、食事時間と自由時間の内容に充てる。

自由時間の使い方には、休養・気分転換・娯楽のようなレベルから、ボランティア活動を含め、自己の人間的ニーズ(マズローの5段階欲求)の充足、そのための手段の取得(学習、自己啓発)のような高いレベルのアクティビティまで、さまざまである。人が高いレベルの欲求目標をたて、自由時間を費消して実現できた場合、人は質の高い幸福感に満たされるものである。
睡眠・食事・仕事・自由時間の4つの時間のすべてが、適切に満たされた生活を続けられること、4つの時間が安定的に繋がって回っていることが、人が主体的に幸せを見出すことのできるベースだと思う。逆にいうと、ひとつでも不十分、あるいは不安定だと、人は幸福感を得られず、不幸感のストレス状態に陥るものと思う。

 4つの時間が安定的に回るには、労働時間を安定的に維持できていることが決定的に重要であると考える。安定した労働によって、適切な量の財を得ることが、食事時間の保障と自由時間の充実に繋がる。寝不足のない、安らかな睡眠にも繋がろう。

 幸福追求をあきらめさせる社会の現状

 日本は、これまでの失われた20年間、グロバリゼーションの中で不況脱出を期する方策として、雇用の流動化・差別化、サービス残業等の労働強化、低賃金化、新卒就職率の大幅低下が進んだ。勝ち組・負け組の格差色分けも進んだ。

その結果、完全失業者数350万人(2010年3月:厚労省労働力調査)、企業内失業者数607万人(内閣府21年度経済財政報告)、労働力人口6,412万人に対する全失業者数比率は14.9%(6.7人に1人)となった。また、相対的貧困率は15.7%(OECD格差報告書)で、17,1%の米国に次ぐ。年収300万円以下が3200万人に及んでおり、下級層となっている。


 このような下級層のその殆どが非正規労働者で、労働時間の実態から財の欠乏・不足が継続し、社会的差別が固定してきている。食事時間、食事の質も満足なものでない、サラリーマンの昼食も300円程度に桁落ちしている。住居も満足に結婚できない集団である。自由時間も必要な財が無ければ、「無為な時間」に過ぎず、人間的欲求を充足できない。労働人口の半分の下級層の4つの時間の質が負のスパイラル低下するなら、デフレ不況も負のスパイラルから抜け出せない。

 負け組に色分けされた下級層は、不幸と絶望の境地に入ってしまう。ウツ、孤独、無縁、自殺、犯罪の世界である。そして勝ち組は、「自己責任論」で片付けて、富の偏在を合理化する。元を正せば、経済界と政界の労働政策に原因があるのに。

日本型GDHを目指して

 GDP(国内総生産)の成長が、自動的に国民の生活と幸福を導くものと、誰も思わない時代になってきた。そして、ブータン等の国で研究され、実行されているGDH(国内総幸福度)とはどんなものか、関心が広がってきている。日本とブータンは制度的、経済的、歴史的に、非常に異なる国である。ブータンがGDPと縁を切り、GDHへ移行したときの契機、社会条件を、そのまま日本に適用できるものでない。
日本の場合、GDPからGDHへ、どのように切り替えるか、何がテコになるのか、模索し、明確にすべきことである。
GDPからGDHへのフォワードモデリングが効かなくなった。ならば、実現可能なGDHから、新たなGDPをバックワードモデリングするしかない。しかも、石油ピーク到来という文明転換に整合するように、である。

 「不安定な労働・雇用の現状を安定した労働・雇用へ転換」が、GDHの実体を作るためのアプローチのひとつとして、ピボットとして重要ではと思い、提案する。
GDPの限界を覚え、日本でのGDHの模索、研究に関心ある方々と一緒に、検討していきたいと思う。(もったいない学会「GDH研究会」幹事)

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