石油ピーク後の東北関東大震災から復興の基本的考え方

  
自然に対峙する復旧か、自然と共存の復興か
2011年3月11日、M9の東北地方太平洋巨大地震が発生した。甚大な地震・津波災害が起こり、原発のレベル6級の大事故を招き、放射能汚染の恐怖が広がっている。東北関東の広域わたって、3万に至ろう人命の喪失、水産業・港湾の壊滅、広範な農地の水浸・地割れ、交通路・水路の寸断、自動車・電気・半導体など生産拠点損傷、さらに放射線物質による野菜・水の汚染、一部国土の不毛にいたり、まさに国難の激甚災害である。余りにも痛ましい。

9.11同時多発テロ、8.15太平洋戦争終戦に比肩する意識の変化が世界と日本を揺るがしている。

地震・津波、原発のどちらの災害も、自然の力を軽く見たり、過去の災害経験を蔑ろにした社会構造に起因する「人災」である。

「自然の力と共存した地域つくりであったかどうか。放射性物質が生命体に最も危険という事実が蔑ろになっていなかったかどうか。その原発が自然の力から安全な場所あったかどうか。」の視点でみると分かりやすい。

自然に対峙する工学的復旧ではなく、自然と共存の生態学的なコンセプトで復興すべきである。

大津波に対峙する工学的津波堤防の無力
 過去の大地震津波をレビューする。今回2011年の東北地方太平洋地震(M9.0)による津波は大船渡市の最大23.6㍍。1933年昭和三陸地震(M8.1)よる津波は大船渡市の最大28.7 ㍍、国内観測史上最大は1896年明治三陸地震(M8.2)津波の38.2㍍。


津波被害の歴史を繰り返してきた宮古市田老地区では“万里の長城”の異名を持つ高さ10m、総延長約2,800mの防潮堤が整備され、住民は絶大な信頼で安心していた。今回の津波は、この工学的対峙のスーパー堤防を地域社会もろとも粉々に破壊し、田老は80年前の平らになって姿に戻った。他のすべての大津波の被災地も、おおむね同様である。

福島第一原発は、前々から大津波による被害が専門家によって予想されていたが、東電は、安全よりコストを優先してその対策を怠ったとのことである。論外の経済利益優先の人災であり、「M9による津波だから想定外」という言い訳は通らない。

高さ10mクラスの堤防を再建しても無駄ことを改めて学習した。しかし高さ30m級のスーパー堤防を、莫大なエネルギーとコストをかけて造っても、将来、人智を超えた自然の力に腐食、打破され、さらなる大量の人命・財産の集中喪失の怖れは、容易に想像つく。原発も、プレート型地震によって大きな津波と地盤変動が襲う海岸近くに建造すること自体、間違っている。
石油ピークの時代に三陸海岸地域の自然との共存復興を
認識すべきポイントは2つである。ひとつは、自然の力に対抗するのではなく、自然と共存の方法をとること、もうひとつは、石油文明は既にピークを越えており、急速に終焉に向かう時代にエネルギー利用を低減することである。そして、この2ポイントを合体させた設計思想で、災害地の復興を図ることである。
石油ピークの時代に三陸海岸地域の生態学的方法を基本にした復興の要領(提案)を列記する。
① 沈降リアス式三陸海岸で地域では、コミュニティを大津波の怖れのない高台に再建する。
② 海岸低地は自然の生態保護区、自然景観公園とし、居住、漁港、産業の場としない。
 ・ 津波力阻止のスーパー堤防を作らない。
 ・ 海岸線の長い日本列島、いたるところで漁業が可能である。
三陸沖合の大漁場へは、津波の規模が比較的小さい地域の漁港を拠点とする。
 ③ コミュニティの生業は、久宗氏実証済の地産地消の「立体農業」を基本とする
自家・コミュニティの自給営農を基本とし、換金主義農業は止める。
余剰産物を市場に出す。
農家は、農・林・漁を組み合わせた立体農業となる。
大都市の胃袋(食料事情)に一方的にサービスすることはない。
大都市は、農山漁村にマネーだけでなく、物資と人材の投入でもって、都市食料を確保する。

④ 住民による住民のための立体農業により、地域の絆と教育文化の多様な発展を期する
コミュニティの山から海浜にいたって、存在する多様な自然エネルギーを地域資産として、複合利用する。

  ・電化依存の生活、産業をやめ、非電化製品の普及、非電化生活の徹底を図る。
地域にある自然の熱エネルギーを、農業に、生活に有効利用する。

⑥ プレート型大地震に隣接の地域にある原発は、すぐに廃炉する。


尚、日本全体として、近い将来に、石油と食料輸入ができなくなること(国家の危機管理)を前提にして、日本社会全体の低エネルギー化、食料自給化を促進なければならない。


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