働いてパッタリ倒れる、これが幸福

我々は、人間の幸福とは、モノの豊かさだけではなく、住みよい環境や健康で働けることだということを気がつきはじめている。

日本の平均寿命は年々延びており、2008年では0歳児の平均余命は82.6歳だそうである。しかし一方で、老人性認知症、寝たきりなどのお年寄りも増えている。寿命が幸福度の指標と思っていたが、本当にそうなのか考えさせられる。

「質調整生存年数」というのがあり(岸本(2008)、これが寿命に代わり幸福度の一つの指標となるかもしれない。これは下図で示したもので、その人の健康な状態を1、死亡を0とする「生活の質」を生存年数で積分した量(斜線部分の面積)である。

この指標は、有害化学物質が人間の健康に対するリスクを定量的に評価する手法として考案された。化学物質に曝露された量と、「質調整生存年数」の低下である損失QALYとの関係を調べ、化学物質と健康のどちらを選択するかの指標を与えるものである。この場合、損失QALYで表される部分の面積を小さくすることが幸福につながることになる。


さて、現在は医学が進歩し、寿命は延びつつあるが、一方で老人性認知症が増えている現状を、「質調整生存年数」で表すと下図になるのではないか。


昔、寿命が短かった時代は、健康から死亡に至る時間は短かった。働くだけ働いて、急にパッタリという具合である。現代は医学が進歩し、体は徐々に衰えて働けなくなっても生存でき、健康から死亡へゆっくりと下り坂になって行く。

昔と現代を比べた時、何が違うかと言えば、「質調整生存年数」は現代の方が多いことと、図に示した青の部分(昔)は緑の部分(現代)より面積が小さいことである。この青、あるいは緑の部分とは、薬の世話になったり、病院通いをしたり、手術をしたり、認知症になったり、寝たきりになったり、延命治療を受けたり、といった状態であり、100%幸福ではない。

つまり、面積の大きさは不幸の度合いとも言える。また医療の負担がかかり、労働力としてカウントできないので、社会にとってもプラスにはならない。この面積を仮に「健康衰退度」と定義する。そこで、多くの人は「質調整生存年数」が多いほど幸福と思うであろうが、一方で「健康衰退度」が小さいほうが幸福だと感じるのではないか。

現代は若い失業者が増え、中堅も早期退職や倒産による失業が増えており、働きたくても働けない。働かないと体も鈍るし、ボケもくる。人間の幸福の一つの指標が「健康衰退度」が小さいことであるとすれば、働いて、働いて、急にパッタリ死ぬことが幸福なのではないか。私は、「質調整生存年数」が多少少なくなっても、死ぬ間際まで働いていたいと思う。そのような社会を築けないものだろうか。

 

【参考文献】

岸本充生(2008)異なる種類のリスク比較を可能にする評価戦略-質調整生存年数を用いたトルエンの詳細リスク評価-、Synthesiology, v1, 31-37.

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