老齢者にやさしい情報システムを!——-ATMの前で途惑う老婆

 ATM端末機での出来事
先日、ある銀行のATM端末機の前で、かなりの歳の老婆が、銀行支店の担当窓口と備え付けの電話を通じて操作の仕方の説明を受けていた。しかし、何度も訊き、操作しなおしていたが、うまくいかないらしい。すると、銀行窓口は、支店まで来るようにと勧告したようで、老婆は、小さい声でわかりましたと応えて、端末機から離れた。
老婆はまともに歩けないほどの人だった。支店の場所は、隣りの駅から商店街を普通の足で10分くらいのところにある。順番待ちの列の男の人が、「こりゃ、一日かかるよ。」と、老婆を気遣った。老婆をサポートしたくても躊躇して何もできない自分を恥じた人が、私をはじめ列の中に少なからずいたようだ。振り込めサギ、個人情報といったことが、脳裏をかすめたのだと思う。私のような男がサポートしようとすれば、老婆と周りの人に身分を明らかにしてからでないと疑われるのではと思う。昔はそうではなかった。最近は、そのような人助けすらなかなかできない、素直に受け入れられない世の中になっているのが怖い。
 老齢者に やさしい情報システムを
身近な銀行支店を減らしてATMに置き換える情報システムは、銀行にとって重要な合理化ツールだし、多くの利用者にとって、一般的に便利である。しかし、上述の老婆のような高齢者から見れば、昔のように身近に支店がある方がよほど便利である。では、情報社会において、どこに問題があり、どのように解決したらよいのだろうか。
問題は、ATMへの置換、情報システムが、フェースツーフェースの関係、その優れた面を代替できていない、あるいは蔑ろになっていることにあると考える。情報システムは、マシンコミュニケーションではなく、フェースツーフェースの機能を組み込んだ、ヒューマンコミュニケーションシステムとして、双方向性が確立できて初めて、情報社会の基盤技術になる。
ヒューマンなATMは・・・
 先の老婆の場合、銀行支店の窓口は、相談の相手がかなりの老婆だと察してアドバイスしただろうか。例えば、「ATMの周りにお手伝いしていただける人はいませんか。支店まで来ていただいて、大丈夫ですか。」といった類いの電話会話があっただろうか。否、状況からしてなかったと思う。若者に対してと同様に、応対マニュアルに沿って機械的にアドバイスのプロセスに老婆を従わせただけであろう。
足の悪い老婆だけではない。目、耳の悪い人も、高齢化に伴って増えてくる。しかも、ひとり住まいの無縁・無援社会も深刻になっていく。「サギに気をつけろ、通帳情報を知らせるな。」を訴えるのは良いが、そのようなことを出来るだけ未然に防げるような、「老齢者」にとって、易しい、優しい情報システムであって欲しい。
有名な元大学教授が、「情報とは、情けに報いることである。」と述べたことが印象深い。字のとおりである。老齢者やハンディキャップのある人に、その情けに報いるシステム、痒いところまで行き届いたシステムであって欲しい。
では、ATMの場合、どうしたらよいか。テレビ電話化、周りの人に手伝ってもらう。また、ATMを独立設置でなく、コンビニ、スーパーなど、有人の店舗に併設し、店の人がアドバイスできるシステムが考えられる。
どれも、難しいことではない。

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