「老僕」が「幼僕」に学ぶ:サステナブル・ハピネス

3年前に荒地を手に入れた。石だらけ、そしてススキ、クマザサ、ワラビなどの根だらけの荒地。年に2度ほど大がかり草刈が必要という意味で、草木が良く育つ土地だが、土壌といえる代物ではない。

荒地開墾で畑地に


1年目、スーパーで売っている柑橘類、ビワ、柿、イチヂクの幼木を10本ほど植えた。細い幹に根がついているだけの木の棒である。テキストどおりに、鶴嘴で50センチ深の穴を掘り、下半分は牛糞混じりの土、上半分は堆肥土を作り、木の棒を植えた。1年目にイチヂクが実をつけた。今年、加えて柿と伊予柑、キンカンが初めて実をつけた。感動的だ。

畑地つくりは、鎌と鶴嘴しか役立たない。鍬はすぐにアタマが抜けて駄目。1年目10坪、2年目で30坪、今年3年目で50坪の畑が出来上がり。1年目は甘藷すら不作、2年目はウコン、赤シソ・青シソが豊作、大輪ヒマワリに満足、2畝のアロエは大きく育ったが、防雪遅れのため呆気なく全滅。今年は枝豆が豊作、甘藷の根・葉が元気なので期待できそう。9月下旬からカブ・大根、ネギに挑戦中。

私の「8割放置栽培法」


荒地は自宅から1時間はかかる。休日でもいつもは行けないので、果樹も畑も、基本的に自然栽培というよりは「8割放置栽培」がふさわしい。

施肥は植え付けの最初だけで、その後は畑の中の雑草の自然堆肥のみで、「定生雑草堆肥」と命名。畑を鳥・虫から、そして日射乾燥から適度に防護してくれる効用あり。2~4週の間隔で、草取り、桶に溜めた雨水の水遣りに行く。

荒っぽい「農業」だが、手抜きする分、自然の働きに頼らねばならない。そのためには自然のひとつひとつにすごく関心を持つようになる。ミミズを見つけると、その働きに期待する気持ちになる。蝶やバッタ、いろんな昆虫を見つけると、この荒地の生物多様性が豊かになってきているのだなと思う。愛いやつたちである。最終的に、人間の食料を富ませてくれるのだろうから。果樹、作物を増やしていくと、小さい虫や動物たちも多様になっていくように思う。

老僕は幼僕に学ぶ:サステナブル・ハピネス


そういえば、大阪市内にいた学齢前の頃、糞尿桶を担ぐ親父の手伝いをした。草むらの肥えたんこ(糞尿溜)に落ちてアタマまで沈んだことを今でも思い出す。神社やお寺、草むらで、虫採り、押し花つくりなど、都会の中でも自然と遊び、また怖い目にもあった、そんな「幼僕」であった。


今、「老僕」になって、荒地を耕し、果樹・畑とススキやワラビが広がる光景を眺めると、60年のギャップを超えて、贅沢なものは何も無かったが、「『幼僕』の頃は豊かだったな、同じ景色だ」と想い出される。

人間も自然の一部。多様な自然との共生のバランスを大切にしながら、日々営んでいることが、持続可能な幸せ(サステナブル・ハピネス)の大原則のように思う。

Add a Comment

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です