2011年東日本大震災の被災地にて(2)-南三陸町-

 2012年11月14日、2011年東日本大震災の被災地である宮城県南三陸町を訪れた。そこで被災した材木工場の復活の話を聞いた。
 
地場産業としての林業の崩壊
日本の木材の自給率は、1955年では94.5%だった。その当時は林野庁の主導により、国有林によって豊富に供給されていた。全国の営林署と共に小規模な製材所がどこの都市にも見られており、製材を含めた林業は地元の産業であった。
 ところが1955年以降、木材自給率は急激に低下し、2000年になると20%台まで落ち込んだ。その主原因は価格であった。インドネシアやニュージーランドから安い輸入材が出回るようになると、ブナやナラ、スギといった日本の国産木材は価格競争に負け生産量が急激にダウンした。日本の森林面積は、約2500万ヘクタールで、過去40年間ほとんど変わっていない。その森林は放置され、間伐材などの手入れ不足となり、効率の良い木材生産が困難となり、ますます国産木材の価格は上昇した。
輸入材は、1980年代は丸太の輸入が半分以上であった。しかしプレハブ工法の拡大などもあって、丸太の輸入が激減し、代わって製材品の割合が多くなった。丸太の場合、港に陸揚げされた後、製材所において加工される。しかし製材品の場合、加工量は少なく、集成材工場に運ばれるか、直接大手住宅メーカーや工務店に運ばれる。このような変化によって、林業は地元の産業から、大都市周辺の産業に変わっていった。
この流れで分かることは、戦後、日本に合った住まいづくりという視点が無視され、大量生産による効率の良い町づくりに重点が置かれた、ということである。この結果、地場産業としての林業は崩壊した。
 
輸入材の輸送エネルギーは膨大
一方、輸入材の輸送には多くのエネルギーが必要になる(下図)。国産木材の輸送に必要なエネルギーは輸入材に比べ圧倒的に小さいことが分かる。
 
 
木材の輸送にかかるエネルギー。出典:藤原敬(2000)、木材工業、vol.55, no6
 
これより木材輸送にかかわる全エネルギー量を計算すると、日本の最終エネルギー消費の約2%にあたる。将来石油価格が高騰することを考えると、木材の輸入は非効率になり、価格は高騰するはずである。国産木材による木材生産は必須である。
 
南三陸町の津波被害と丸平木材のチャレンジ
 南三陸町で丸平木材を経営する小野寺邦夫氏にお会いして話を聞いた。
丸平木材は,気仙沼市、南三陸町で最大の製材工場を有していたが、津波により近くの高台にあったいくつかの機械を残し、全ての施設が流失した。このため103年間続いていた工場は閉鎖の危機が訪れた。しかし、地域の復興や雇用の確保のためにも工場再開が必要との強い意志で、2012年4月11日再開した。
小野寺氏は、自分が持つ施設とともに家々が津波で流されるのを見た。その時、「無常」を感じたと言う。103年続いた工場も不変ではなかった、ということである。
再起の心は「木精(こだま)に感謝する」である。「山は命の宝庫。木々や動物など目に見える生き物の命ももちろん、菌類や土中のバクテリアなど「ちいさいもの」たちの命の営みにも思いを致すとき、豊饒(ほうじょう)な山のイメージが新たに浮かんでくる。山は、無数の命が循環している。」(丸平木材㈱のパンフレットより)
この心からくる経営理念は、感謝の気持ちを大切にし、緑の環を育み、くらしを包むやすらぎと感動を提供することである。
日本のスギなどの針葉樹はなかなか乾かないので、高温で乾燥させている。この手法だと、内部の大切な有効成分も失われることになり、いわば「抜け殻」の様になってしまい、木精は消えうせる。
再起した工場で採用したのが、国産のスギを使った低温乾燥技術であった。
従来の乾燥機に比べ、一見とてもシンプルで、まるで、木でできたサウナ室。その中へ入った。室温は45度という酵素の生存が可能な温度である。そこにスギの木を並べるというシンプルなもの。スギからは水分が出るため、室内の湿度は高い。スギは生きて汗をかいているかのようである。室内は木の香りが充満している。まさに木精があふれ、やすらぎを与えてくれる。森林浴とはこの木精を浴びることだったと理解した。
スギから水分の抜けていく過程で、木に含まれる精油成分が失われず、まんべんなく全体に行きわたり、つやつやの輝きと香りを放つ乾燥材になる。
出来上がった木材は、家具のような高級感がある。耐用年数も高温乾燥材より長いはずである。しかし価格は高く、従来の高温乾燥木材に勝てるかどうかは分からない。
大都市を中心とした大量生産、大量輸送、大量消費の文化は、石油生産ピークとともに終わろうとしている。生き残るのは、少ないエネルギーで高付加価値を生む技術である。輸送エネルギー消費の少ない国産木材を使った低温乾燥技術はまさにこれである。丸平木材は、津波災害を契機に、周辺の森林資源を生かした、高付加価値を生む低温乾燥木材に取り組んだ。これが成功することが地場産業の復興、さらには被災地が復興の鍵となる。この試みは低エネルギー社会への道しるべとなるはずである。
 
 
低温乾燥によってできたスギ製材。2012年11月14日撮影。

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