「21世紀の地球環境を考える~自然と共に生きる~」

愛農全国大会 記念講演 (2001年2月3日 名古屋市)

「21世紀の地球環境を考える~自然と共に生きる~」  

石井吉徳

はじめに
私は今、幼児期育った富山の国際大学におりますが、以前は環境庁国立環境研究所の所長をしておりました、ここが日本の環境研究のメッカです。その前は東京大学の工学部に20数年間おり資源エネルギー、環境などの教育、研究をしておりました。その前は企業で16年間、石油の探査が仕事でしたので、私にとってエネルギーは現実の問題でした。本来の専門は地球物理学で、これは地球を調べる、地球を知る学問です。地球環境と密接な関係があります。今日は自然と共に生きるには、どのように考えがあるかお話をしてみたいと思います。

愛農会との関係
私の妻は愛農会に深い関係のあった久宗壮の長女(宏子、2007年亡)です。今日も長男(裕)、妻の妹(立子)とこの会場に来ています。この縁で今年も堀田会長、小谷先生から無農薬みかんを大量に買いました。100箱のみかんが自宅の車庫に山のように積まれます。このみかんがとてもおいしいのです。街で売られている、“甘く粒が揃ったみかん”でなく個性豊かで、皮が柔らかいもの、皮が固いものいろいろです。そして酸っぱかったり、甘かったりで味も個性的です。私は市民運動の集りなどで、このみかんを配りながら話をすることもあります。「これは子どもの時に食べたみかん」と大変評判が良いのです。

堀田会長のタケノコの瓶詰めなども、機会あるごとに本物の無農薬農産物と宣伝しています。いつからお前は農業に肩入れするようになったのか、と冗談を言われるくらいです。先日、愛農誌で村上さんという若い愛農会のかたの「農の在り方を求めて」という連載を拝見しました。すばらしい内容でした。日本農業の問題について詳しく書かれており、非常に参考になりました。日本の農業は徹底した外国型、とくにアメリカ型で、大量の石油エネルギーを使う石油の海に浮ぶ農業のようです。これではだめで、日本の農業政策は基本的に間違っているようです。

これからは価値の時代
現在でもそうですが、古代から人間は自然と共存しことがありません。21世紀、人類の持続的な発展は本当に難しいのです。今日は、このような原点の話をするつもりです。 今手にしているのは、コカコーラの缶ですが、実際に我々が欲しいのは中身のコーラだけです。缶は要りません。しかしこのアルミ缶を作るのに、どれくらいの日数がかかっているでしょうか。イギリスの研究によりますと、ボーキサイトからアルミ精錬して圧延し、缶にするまでには319日もかかるそうです。この中身は何十秒くらいで飲んでしまいます。缶を捨てるには1秒もかかりません。大変無駄なことです。これが現代社会、工業社会の便利さの意味で、大量生産型の現代社会の典型的な例です。本当はコーラの中身よりアルミ缶のほうが遙かに価値がある、「高い」わけです。一つのアルミ缶をつくるエネルギーで、20ワットの電気スタンドが10時間もつきます。

このような資源エネルギーを浪費する社会に未来があるはずがない、というのが私の主張です。無駄、浪費をやめ、本当の価値をサービスする「モノから価値へ」がこれから大事なのでしょう。 ですが、モノを作らないと経済が大変という意見もありますが、コーラ缶の例のように、「中身」を提供することが出来れば、豊かさは同じと思うのです。生ビールのサーバーのように、コーラの中身だけをサービスすれば良いのです。コカコーラの中身の価値だけ、缶なしで提供するようなビジネスがあってもよい。そのほうが遙かに安いので、必ず競争に勝つはずです。発想の転換とよく言いますが、それには先ず常識を疑うことです。あたりまえと思っていることを疑うのです。

本当の意味で環境にやさしい、価値をサービスするような新しい産業形態があるような気がしています。今大変な不況です。ところが日本は1990年代、何十兆円ものGDPの増加があったそうです。年間のGDPがこの大きさの国は世界に少なくありません。不況と言いつつも、日本はかなり成長したのです。いまの不況を工業の体質、社会のシステムが変わりつつある変革期のためと考える事もできるのです。大変だといっても、うまくいっている業種は黙っているものです。ただ絶対的に規模が減っている業種が農業なのです。これは大きな日本の問題です。

言うまでもなく農業、食料は国民生存の基本です。ところが日本の農業行政は農民に大量画一のアメリカ型を追いかけさせました。お金を儲け、そのお金で自分の食べるものを買うべきである、と言うのです。言い替えると現代の大量生産型の工業最優先の考えですが、この仕組みの上に現代の資源、環境、エネルギー問題などがあるのです。この仕組みのため南米、アフリカなどで、「農業を行っている人」が飢えるのです。これはいま世界中で起こっている、大きな矛盾です。大規模な換金作物、国際商品をつくる農業です。アメリカの安いハンバーグを作るために、アマゾンの森を伐られます。農民が自分が食べるものを作らない、これはおかしなことです。自分で考えさえすれば、現代の矛盾、本質などが素直に見えてきます。

地中海に産まれたギリシャ文明は多くの石の神殿を残しました。それらの多くは現在、枯れた禿山の上に建っていますが、このような土地もかつて鬱蒼とした森がありました。昼なお暗い森が続いていたのです。古代文明、人間が収奪した森は今も戻っていません。失われた自然が戻るのは大変なことなのです。 また巨大なモアイ像で有名なイースター島、かつてはこの島に何千人という人が住んでいたと言われています。現在この島には一木すらない。しかし大地を掘ると、いろいろ木の花粉の化石がでてくるそうです。ここにもかつては豊かな森があったのです。しかし今はない。イースター島は未来の地球の姿であるということです。人は昔から周りの資源を、最後まで使い切ってしまうようです。後には何も残しません。キリスト誕生の遙か前から続く自然の収奪です。果てしない人間の欲の深さです。

ベネチアで16世紀に作られた「森を大事にしましょう」というポスターがあります。山の立派な森が下から伐れれ、火が放たれます。そして最後の土壌流出、山には何もなくなってしまう・・・というものです。今でも十分使うことができます。このように人間は昔から、森を浪費してはいけないと言いながら、何も変えられなかったようです。現在は技術が進歩している、まあ何とかなるだろう、考える人が多いようですが、人間の歴史も見ると、どうもそうではないようです。

人口と資源・エネルギー
問題の根元は人口の増加です。とくに産業革命以来の人口増が激しいのです。2001年の現在は60億人です。いずれ80億人とか100億人になると言いますが、このように年率何%かの増加、年率何%というものが問題なのです。いま経済成長率が何%、と当たり前のように言いますが、これは幾何級数的に伸びるということです。成長神話はもう止めにしたいものです。

ところで人口は古代、中世まで横這いでした。この長い人類の歴史を通じて、最も重要な資源、エネルギー源は森でした。この森の時代から、産業革命から石炭という化石燃料を使うようになったのです。人口は急に増えることが出来るようになったのです。例えば中世、スペインでは薪がほとんどなくなり、食べ物よりも薪のほうが値段が高かった、という記録が残っています。石炭を本格的に使うまで、我々人間は慢性的な燃料不足にありました。時間をぐっと縮めてみると、人類の未来が見えてきます。

化石燃料が今文明を支えている
現在は大量にエネルギーを使う、エネルギー時代です。アメリカのある女性研究者は、過去一万年から、未来一万年と時間スケールをぐっと縮めて考えると、現代は一瞬の突出した時代であると警告しています。石油・石炭・天然ガスなどによる化石燃料時代ですが、この燃料も森のようにいつかはなくなります。その時期が遅いか早いかだけの問題で、石油のピークはたかだか数十年後でしょう。その後は人間が何で生きるのでしょうか。

そこで原子力が、太陽、風力があるではないか、という話になります。原子力は何千年分あると言われますが、ウラン資源量は石炭よりも少なく、今の状態で使っていくとあと数十年分しかありません。また原子力はクリーンという話もありますが、それは正しくありません。専門家の話は原子力発電所だけのようです。放射性廃棄物の問題があります。何万年という気が遠くなるような長い間、やっかいなたちの悪い「放射性ゴミ」をどこかに安全に格納しならないのです。キリスト誕生以来からでも高々2000年ですから、人類はそんな長い間何かを蓄えたためしがありません。原子力を使って、地球温暖化を防ぐべき、という意見には大きな問題があると思います。放射性廃棄物のほうが二酸化炭素よりたちが悪いという人もあります。

いずれは、いつかは太陽、風力、地熱、バイオガスなど、自然エネルギーを使わざるを得ない時代が来ると思いますが、アメリカのエネルギー省などによりますと、石油も天然ガスも石炭もまだまだ増えるであろうと言っています。再生可能なエネルギーはまだまだなのです。21世紀は大変な時代となるかも知れません。エネルギーという社会を支える重要なものが不透明なのです。

最近、リサイクル・循環という言葉がよく使われています。資源、エネルギーの循環、リサイクルという言葉が、間違って使われています。物質は変化しません。銅はいつまでたっても銅ですが、石油を燃やしてしまうと二酸化炭素と水になり、エネルギーは永久になくなってしまうのです。もう一度、エネルギー回収はできません。有効エネルギーの使用は一過性、一方向です。漠然とした循環型社会には大きな誤解があるようです。

もうひとつ、人口問題について忘れることができないことがあります。人口は一様に増えるわけではありません。発展を遂げた工業国はそろそろ横這いか、むしろ減っていくかも知れないですが、ラテンアメリカ、中国、インドを含むアジア、そしてアフリカなどでは今も人口が増加しています。これからの国際的に大きな課題です。

現在、グローバリゼイション、グローバルスタンダードという言葉が流行ですが、これはアメリカのスタンダードのこと、アメリカから見た価値観によるものでしょう。国際的には豊かな国々はますます豊かになり、貧しい国々はますます貧しくなる、これがグローバリゼイションのもう一つの現実です。私は市場原理に委ねればすべてが解決するという考えは、どうも間違っているよう思われてなりません。現代の主流経済には、地球の資源、自然環境、人間の心の豊かさなどが本来組み込まれていないことが気になっています。

最近、「エコロジー経済学」という、第3の経済学が見直されています。エコロジー(生態系)を経済の中に入れるというものです。今、環境、自然などが経済の仕組み外にあります。有限地球観がどこにもありません。
マーケットというとき、そこにあるのはマネー(お金)だけです。マネーだけのグローバルスタンダードでは貧富の格差が大きくなるばかりのようです。国家間だけでなく、ひとつの国の中でも格差が広がっています。勿論アメリカでもそうです。 以前、格差が広がり貧しい人が増えすぎた時、それを救うイデオロギーがありました。マルクス・レーニン主義、共産社会主義などです。資本家にたいして、貧しい人の論理があったわけです。ところがこれは75年間というソ連での実験で破綻しました。このため現在は貧しい人を救う思想がありません。21世紀は紛争・対立が頻発する不安定な時代になるのではないでしょうか。その兆候はすでに出ています。これから、さらに資源エネルギーが逓減していきます。これからは環境、資源問題あるいは食糧問題を考えるとき、このような視点を忘れないようにしたいものです。

テクノロジーは人間を救うか
テクノロジーが進めばなんとかなる、という話が日本にもあります。そこでテクノロジー論から地球環境問題に見てみます。今は色々な人工衛星データを使って、世界の森林の状態を10日に一度の頻度で知ることができます。ですが、このような素晴らしい宇宙技術を使っても我々は環境を守ることができないのです。人類は、残念ながら素晴らしい宇宙技術で、人間が如何に地球を破壊しているかを知るだけです。

インドネシアのスマトラ島では、森に火をつけられ、燃えているところが人工衛星からも見られます。巨大な煙が500kmにわたって広がっています。人間がつけた火です。また破壊が進むアマゾンは、通産省が1992年2月に打ち上げたJ-ERS1という人工衛星マイクロ波レーダーで詳細に観測されました。これも、アマゾン・ロンドニア地域の森の破壊を観測しただけです。

タイ、インドでは、 エビの養殖でマングローブ林を伐られています。養殖池を作るためです。しかし池は酸性化で数年間で駄目になってしまうそうで、次々とマングローブは切り拓かれます。我々はエビも食べるとき熱帯のマングローブを食べているという意識をもつ必要があります。あるいは自立した食料供給はどうすると考えるべきなのかも知れません。いまアジアの熱帯林が毎年10%の早さで消滅しています。先に述べたアマゾンでは、森が開墾され牛が大規模に放牧されています。牛肉はアメリカの安いハンバーグになるそうです。これはアマゾンの森を、アメリカ人が安いハンバーグとして食べているということです。

地球温暖化は現代の最大の環境問題です。国際的な大問題でもあります。これは化石燃料による二酸化炭素による、温暖化現象によるものです。しかし地球の気候は一定ではありません。さかのぼって何十万年というオーダーで見ますと5、6度の温度の上下変動の連続です。現在は気温の高いところにいます。またこのスケールで見ると地球は温度が低い方が安定しているようです。現在はもともと温度の上昇期にあります。だから予測が難しいのです。この不確定性が気候学の大きな問題です。

では温度が2、3度高くなるとどのような問題が起きるかですが、例えば縄文時代は今よりも2、3度気温が高かったことが分かっています。当時は温暖で人はむしろ住みやすかったと言われています。別に特別砂漠化現象が目立ったわけでなかた。当時は気候最適時代という言葉も地理の本にはあります。これから温暖化で100年後に2,3度の気温の上昇すると、現在の予測では数十センチの海面上昇があると考えていますが縄文時代はもっと海面が上がっていました。例えば関東では古河(茨城県)のあたりまで海が入っておりました。貝塚が内陸にあるのがその証拠です。氷河が大幅に溶けていたということです。今の海水面上昇の予測は数十センチです。遙かに少ないですが、これは地盤の上昇、地殻変動のために補償されると説明されています。現在の地球温暖化理論は、主に大気圏だけで計算しており、地盤の上昇、海と大気のカップリング、生命圏の影響などが十分計算に入っていないようです。

今世紀、人間生活に何が起こるのか、何も重大なことが起こらないのか、本当のところは分りません。本当の課題は徹底したエネルギー消費の削減です。これが文明を見直し程の問題なのです。少し前、膨大な人工衛星情報から、植物の成育度について研究したアメリカの人がいます。結果は有名なNature誌に載りました。それによると北半球で平均的にはむしろ植物が増えているらしいのです。気候変動によって気温と湿度が高くなり、二酸化炭素は増えるわけですから、植物にとってむしろ良い条件となったためです。これはマスコミで報道されなかっため、一般にほとんど知られていません。どうもマスコミは危ない話だけを報道する傾向があります。危ない話だけをされても、人はどうしたらいいのか分かりません。

また成層圏オゾン層破壊の問題ですが、これは南極に長い冬が来ると成層圏オゾンが減少し穴が開いたようになる現象です。毎年9、10月大きくなります。いわゆるオゾンホールです。しかし殆ど知られていませんが、この穴は南極に夏がやってくる一月頃には消滅します。この時、今度は冬になる北極圏にオゾン減少域が現れます。最近マスコミでは「オゾンホールが拡大して北極圏にも現れ始めた」と言うことがありますがこれは間違いで、自然現象としてもとからあったのです。

私は科学者は分かっていること、そして分からないことを客観的に国民に伝えること、真実を語ることが大切と思っています。「事実」の一部だけを語っても「真実」が見えるとは限りません。国民に真実を理解をしておらうよう科学者がつとめる必要があると思っています。

何故なら、最も効果的な対策を立てる、何をすべきかを考えるには、自然の本当の姿を正しく知る必要があるからです。何故なら最終的な負担するのは官僚でも政治家でもなく、また大学教授でもないからです。国民だからです。環境問題は完全にゼロにすることは出来ません。それには無限の資源エネルギーを投下する必要があるからです。リスクの問題です。それには国民がどのようなリスクを認めるかが大切です。対策の選択肢を国民が選ぶのです。

水の問題
もう一つの問題が水です。今地球上では水が不足しています。足りない水とは、淡水のことです。地球上の水の97.5%は海水、残りの淡水は極圏の氷床、氷河、地下水など全てあわせても2.24%で、実際に我々が使える水はたった0.26%です。湖、貯水湖、川などの水です。

淡水でももっとも多いのは地下水ですが、現在この水位が各地で急速に下がっています。例えばアメリカの中西部では、たった一つのオガララ帯水層(カリフォルニアと同じぐらいの面積)から水を汲み上げて、画一的農業が行なわれています。現在その地下水位が急速に下がっています。この帯水層は地質的には、氷河時代の水が溜まったもので、ほとんど化石水に近いものです。飛行機で中西部上空を飛ぶと、あちらこちらでスプリンクラーで水を汲み上げている丸い点々が見られます。これは人工衛星からも観測されていますが、水が枯れた色の変わった点も少なくありません。アメリカの地下水を使った大規模農業は、それほど息が長くはないのではないかと私には思われます。

本来人間は欲が深いですから、古代からの止まない森林破壊は止められない。同じように地下水がなくなったって仕方がないと考えているのでしょう。誰の物でもない早く使う方が勝ちです。ですが、この大規模な地下水は、地表から染みこむのに何百年、何千年とかかっていますから、いったん水位が下がると復元に大変な年月がかかります。

ですから地下水を再生可能な水資源と思ってはいけません。人間の時間スケールからは見れば石油と同じに完全な化石水なのです。地下水に頼る農業を持続させるにはその資源量に細心の配慮が必要で、一気に大量に汲み上げてはならないのです。自然の恵みは、その限界の範囲内で上手に使うというべきです。

日本の畜産業では、アメリカのこのような大規模非再生的農場で生産された穀物を輸入し動物に食べさせています。これは大変な無駄なことと思います。理由は二つ、先ず食物連鎖からみれば、人間が穀物をそのまま食べるほうが食物エネルギー利用効率が良いからです。動物にして食べるのは食物カロリーが1/10も減るからです。こんな贅沢はいつまでも続けられるはずがない。もう一つの視点は、穀物輸入は水の輸入に相当するということです。

中国もアメリカから大量のトウモロコシを輸入し始めました。理由は、彼らが牛肉を食べるようになったためと言われています。中国もエネルギーを大量に使う近代化農業に移りつつあります。中国の13億の人口がアメリカ型、日本型の食生活を一斉に始めたら、中国は勿論、世界がももちません。現代農業は、水だけでなくエネルギーを大量に使う、石油に寄生した農業なのです。中国で水問題は益々深刻になっています。北京などでの地下水位がどんどん下がっています。また黄河は一年のうちかなりの期間、海に辿りつけなくなりました。地球温暖化の気温上昇が原因をいう人もいますが、そうではないでしょう。上流で大量に水を使うからです。

エネルギーと水
「エネルギーと水」は次の視点で見ることもできます。アラビア半島に、海水淡水化装置で作った水をまいて育てた本物の芝生ゴルフ場があります。アブダビの郊外、ドバイの近くで私もプレーしたことがあります。鮮やかな緑色の芝生が強い砂漠の日光に輝いていました。これも人間は妙なことを平気でやるな、という感慨を持ったと同時に、エネルギーさえ無限にあれば海水から欲しいだけの淡水が出来るのだな、と実感しました。文明にとって究極的に大事なのはエネルギーであるいうことですが、このエネルギーは無限にはありませんから、これは無駄と言うべきでしょうが、たまたま中東には石油が豊富にあり、原油の生産に伴って出る随伴ガスを使うからこのようなことがができるのです。

中近東ではハウス農業が盛んです。例えばサウジアラビアには世界最大のガワール油田は、一日400万バーレルの石油生産能力があります。しかしサウジアラビアには水がないので、海水の淡水化が行なわれています。石油の生産量と同じぐらいの淡水が作られています。このハウス農業は理解できますが、ゴルフ場は贅沢すぎるのではないでしょうか。いずれにしても水とエネルギーの問題は非常に重要であります。

ダイオキシン問題について
ダイオキシン問題は皆さんよくご存じと思います。しかし急性毒性とダイオキシンにはかなり誤解があるようです。私の知る限りではいままでダイオキシンで人間は死んだことはありません。ダイオキシンの本当に困った問題は、発ガン性より環境ホルモンとしての極めて長期的な健康被害のようです。ガンにはならない閾値のような濃度がなく、極めて微量でも何世代にわたって影響が起こる可能性があるからです。化学物質と健康被害の関係は、以前とまったく変わったのです。

様々な合成化学物質の弊害
人間が合成する化学物質、つまり自然界にない物質が人間、自然にどう影響するか、結局のところ完全に分かる時はないでしょう。何故なら新しい化学物質が永遠に作られるからです。

生物の一種でしかない人類は長い地球の歴史のなかで、環境から産まれ、環境に順応して生きてきました。自然界にない物質を生命にとって本質的に異物です。ですから人間はそれから徹底的に避けるのが賢明です。何が起こるか分からないからです。今すでに、人間が作った合成化学物質は10万種とも20万種とも言われています。しかも毎年何千という新しい化学物質が世に出されるそうです。環境庁が規制の網をかけているのは、たかだか何百種です。ですから環境庁がけしからんという前に、化学物質を極力使わなければよいのでしょうが、いままわりを見渡せば「便利な化学物質」に溢れています。例えば「シュッシュとやればカビが消える」というもの、「下水パイプがつまったら入れる」薬剤とか、次から次へと宣伝されます。良い悪いとかいう前に人々は使ってしまうわけです。その結果、例えばアトピーが起こっているかもしれません。次々とマーケットに出る何万とある化学物質を全てを直ちに調べられるわけでもありません。

個人で出来る対策は便利だからだといって安易に化学物質を使わないことです。お上を頼るまえに、自分できることはいくらでもあります。要らないもの、妙な便利なものそ市民が使わないのです。社会もただ危ない危ないと警告するより、「こうすれば安全、安心」という情報を国民に伝えるようにするのです。これからの環境科学の使命はその様なところにもあるのだと思います。

どのような「リスク」があるかを伝えるのです。今までなぜ「危ない」と警告することが環境保護サイドの仕事であったかですが、それはかっての公害が基本的にポイントソースだったからです。ある工場が汚染物質を垂れ流している、と腰の重い行政を説得するのが、環境保護の原点であったからです。ところが現在日本ではポイントソースの汚染源は少なくなりました。例えば車から出る排気ガスは、皆さんが使う車から出るものです。国民、市民が環境の汚染者なのです。広く分布する現代の汚染源は、市民の皆さんなのです。

安全を売る
今いるこの部屋でも、接着剤に使われるホルムアルデヒドなど、化学物質が大量に使われているはずです。周囲の環境から一切の化学物質をなくすことができたら、それだけでアトピー症がなくなるのでしょうか。私は最近ある有名な成長ブランドのトレナーを買って大失敗をしました。日本が指導して中国で作らせたものです。新聞で大々的に宣伝していました。ポリエステルが50%のもの。寝間着代わりに一晩使って発疹が体中でまいた。二日でそれを処分しましたが、その後ウール、綿100%の物に全て切り替えましたが、未だに時折発疹がでます。私は今までアレルギーに縁のかかった人間です。中国原産のポリエステルに不純物でも入っていたのではと疑っています。販売店、メーカは調べてくれません。

そこで得た教訓、出来るだけ自然のままが良い、です。私は愛農会の、何十年も農薬、化学物質を使わない農産物はこの意味でとても貴重です。今年も我が家では堀田さんからみかんを大量、100箱も買いました。サポートするためです。しかし一人では限界があります。もっと分かってもらうよう運動する必要があるでしょう。いま私は自分のホームページに愛農高校生の作文を載せています。また、愛農会のみかんが個性的とも書いています。これにも限界があります。これからどうするか、組織的に考えましょう。

愛農会のような農産物・食品があることを、もっと広く啓蒙する方法を考えたいものです。それには国民運動として、「安全を売る」というのもよいのではと思います。現在アメリカで急成長しているアイスクリームメーカーがあるそうです。たった数年間で全米2位に急成長したそうです。このメーカーのアイスクリームのパッケージには、「一つメッセージ」が書かれていると言います。「私たちは、私たちが住んでいる州の零細な酪農家の牛乳しか買いません」と。これが、消費者にアピールしたようです。皆が分かっているもの、つまり「安心を売っている」のです。これは愛農会がやっておられることと、同じであると思います。

我々は魚からダイオキシンを摂取してる ダイオキシンの話に戻りますが、おそらく皆さんがまだご存じない、最近の研究結果についてお話します。横浜国立大学の中西教授のグループによりますと、今まで自然界に蓄積されてきたダイオキシン類には、工業廃棄物、焼却炉から、農薬の不純物などがありますが、この内、農薬(PCP、CNP)に含まれていたダイオキシン類が非常に多いそうです。

専門家によると25年前の母乳に含まれていたダイオキシン濃度の方が現在より大きいそうで、現在はむしろ半減しているというのです。そしてかって日本で農薬の不純物として散布されたダイオキシン類は、総量でベトナム戦争時にアメリカがまいた枯れ葉剤のそれに匹敵する量だそうです。 そして、現在我々が摂取するダイオキシン類は魚からが最も多いというのです。これは魚を多く食べる日本人には大変気になる話です。この研究によりますと、焼却炉からはむしろ少なく、焼却炉の側に住んでいる人たちも、魚からの摂取の方が多いというのです。ういう事実を知らないで、正しい環境対策をとれないはずです。このような話をしますと市民の方々は大変に驚かれます。

ゴミの問題
今、一般、産業廃棄物など、固形のゴミがいまいたるところで山を作っています。アジア、中国上海、重慶では大量のゴミはが無造作に捨てられています。ですが日本もそれほど威張れない。学校の校庭の垣根の越しにゴミの山があります。不法投棄も後を絶ちません。

これは大量生産から大量投棄まで、現代社会の「大量の仕組み」が問題です。これをを変えない限りどうにもなりません。完全なリサイクルは科学技術などに期待しないことです。部分の解決が全体でむしろ環境負荷を増大している例も少なくないからです。技術の進歩は補助手段に過ぎません。大量物流の元栓を締めなければなりません。

日本にも国境を越える知られざる「国際的ゴミ問題」があります。私のホームページ(www.ietepa.org)をご覧下さい。日本海の西端、対馬の井口浜という湾にはいまものすごいゴミが流れ着いています。浜全面ゴミ、歩くと足の脛まで埋まってしまいますが、マスコミでは報道されません。日本のはずれのこと、誰も興味が持たれないからなのでしょう。プラスチック容器にはハングル文字がかかれています。海を越えて韓国からゴミが来ているということです。対馬からは肉眼で対岸の釜山が見えます。ゴミを捨てる国に抗議を申しても、簡単に解決しないでしょう。 日本国内ですら不法投棄のゴミで頭が痛いからです。また、仮に焼却炉を作って燃やすとしても、またゴミはやって来ます。いつまでもです。

これも急速に進むアジアの工業化がその原点にありますから、その体質を変えない限りどうにもなりません。これは日本の問題そのものです。小さな孤島の対馬には3万、4万人の住民しか住んでおりません。そこに来る余りにも膨大なゴミ、どうにもならないでしょう。私はこのゴミ問題が解決した時、地球温暖化をはじめ、主な地球規模の問題が解決していると思っています。それはものを大量に作って捨てる、今の社会構造が根本的にが変わった時だからです。当然、二酸化炭素排出量も激減しているはずです。

このような意味から、対馬のゴミ問題はアジアの象徴的な環境問題と思っています。日本だけではどうにもならない国際問題でもあります。その後いろいろな方から、ゴミは対馬だけでなく、壱岐島などにも流れ着いていると聞かされました。またゴミは韓国以外に台湾から来るそうです。そして、日本海の東のゴミには、ロシア語が書かれているそうです。

循環型社会の形成のために
いま話題の循環型社会ですが、それを推進するのが循環型社会形成推進基本法です。これには5つの重点項目があります。その3番目が「リサイクル」です。いわゆる循環基本法で、リサイクルを3番目に重要と言っているのです。1番目は「ゴミをできるだけ減らすこと」、2番目は「不要になったものを繰り返し使うこと」、そして3番目に、どうしようもないものを資源としてリサイクルしようと言っているのです。

ところが最近日本では「リサイクル」だけが前面に出ています。おそらく、今の大量生産型の工業化社会をそのままに続けたいという期待があるのかも知れません。これは大量循環社会を目指すことであって、資源エネルギーを大量の使いながら強引に、力ずくでゴミをリサイクルしようと言うのに等しいのです。その同じ論理の上に環境ビジネス何兆円という話ているのでしょう。これには無理があります。なぜならば地球は有限ですから、資源、エネルギーには限界あるからです。

3Rという言葉があります。これは、「減らす」Reduce、「繰り返し使う」Reuse。そして「リサイクル」Recycleですが、このうち最初のR、物流の減らすのが最も大事です。これはもう説明は要らないでしょう。私は「3ない」と言っています。「ゴミ(無駄)になるものを作らない」「ゴミ(無駄)になるようなものを買わない」、そして「ゴミを捨てない」です。これを何とか国民運動にしたいと思っていますが、賛同者が少ないです。あなたは産業を潰す気か、日本の経済を、経済成長をどうするのか言われます。ですが、いまの現代文明は「大量生産」「大量消費」「大量廃棄」の仕組みを変えない限りどうにもなりません。

「江戸時代に戻れ」という言葉もあります。江戸時代は持続型社会であったからです。この約300年間ですが、エネルギーは自然エネルギーの森、薪を使いましたし、人馬、風力、水力、太陽光などを最大限に使いました。食料生産は自然、無農薬でした。今の言葉で言えば、江戸の文明は徹底した省資源・省エネルギー社会で、経済は低成長、持続的でした。生活は趣味・芸術が重んじられ、庶民の幸せ感が今よりも上であったかも知れません。このような社会をひとことで言えば、環境にやさしい、地球にやさしい時代であったと言えます。そして社会の構造ですが、当時は士農工商で競争原理はありませんでした。政治形態は徳川独裁で封建的、島国で鎖国をしていたので侵略がなく、この江戸のシステムは長い間安定していました。しかし人口は強制的な間引き・姥捨てで3千万人の横這いでした。食料が限界を決めたのでしょう。

これが、今も求められる世界、ある意味では理想の姿かもしれません。当時鎖国政策をとりましたから、期せずして江戸時代、日本人は持続型の社会を実現していました。これから色々な教訓が得られそうです。しかしただ単に江戸時代に戻るべき、というのではなくてこの時代から未来への教訓を読みとるのです。そして現代の生産効率至上の大量生産型文明から脱却する道を模索するのです。

近年、再び科学技術の発展に期待するという意見は多いですが、そう簡単ではありません。それは今までの科学技術は「大量生産」「大量消費」「大量廃棄」社会を作るために発展したものだからです。そのため、いままでの常識を変える必要がありますが、問題は常識をどうやって変えるかです。しかし見方を変えるとこれは簡単なのです。先ほどのコカコーラ缶の例のように、「本当に必要なものは何か」を考えるのです。少しでもよいですから、先ず本質的に、「自分で考える」のです。

ご静聴ありがとうございました。

http://oilpeak.web.fc2.com/myenvironmentalism/measures/ainou_nagoya.htm


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