シェール革命は幻想に終わり、現代文明社会を支えてきた化石燃料はやがて枯渇の時を迎えます (その2 )2010年前後に起こった石油の「確認可採埋蔵量」の異常急増は、金融資本主義におけるマネーゲームがもたらした結果でした

東京工業大学 名誉教授  久保田 宏
日本技術士会中部本部・事務局長 平田 賢太郎

(その2)の要約;

2-① 石油危機による急騰を経て、一時、安定化していた原油価格が2004年末頃に再び異常に高騰して、これが2014年末まで続きました。この原油価格の異常高騰は、化石燃料の枯渇が言われるなかで、それに便乗した投機マネーによりもたらされたマネーゲームの結果でした。

2-② このマネーゲームの結果としての原油価格の高騰によって可採埋蔵量の増加をもたらしたのは生産コストの高い重質油でした。しかし、この重質油の可採埋蔵量の増加は、世界の石油消費の増加にはつながりませんでした。石油の消費量の増加をもたらしたのは、米国のシェールオイルの生産の増加でしたが、世界の石油生産量の増加への寄与は大きくありませんでした。

 

(その2)の解説本文;

2-① 石油危機による急騰を経て、一時、安定化していた原油価格が2004年末頃に再び異常に高騰して、これが2014年末まで続きました。この原油価格の異常高騰は、化石燃料の枯渇が言われるなかで、それに便乗した投機マネーによりもたらされたマネーゲームの結果でした

本稿(その1)の図1- 4に示した「正味の年間可採埋蔵増加量」の年次変化の値で、際立って大きな増加量を示したのが、2011年の石油の「可採埋蔵量の増加量」です。これは、日本エネルギー経済研究所編;EDMCエネルギー経済統計要覧(以下エネ研データ(文献2 – 1 )と略記)に記載の原油の国際市場価格に比例する日本における原油の輸入CIF価格(原油の出荷価格に運賃と保険料を上乗せした価格)の年次変化を示した図2 – 1に見られるように、2004年度末に始まり2014年度(国内データなのでIEAデータでの年でなく年度の値が用いられています)まで続いた原油価格の国際市場の異常高騰によってもたされたものと考えることができます。

注;国内データなので年度での値が用いられています

2-1 日本における原油のドル建て輸入CIF価格の年次変化

(エネ研データ(文献1 )をもとに作成)

 

この 図2 – 1は、かつて、水よりも安いと言われた中東の石油が国際市場を大きく支配していた石油危機以前からのものです。すなわち、この原油の国際市場価格は、先ず、1973年に始まった中東における二度の軍事紛争によりもたらされた石油(供給の)危機により、いっきに、それ以前の価格の10倍以上に急騰しました。その後、生産コストの安価な中東原油の輸出価格がOPECによりコントロールされるようになって(文献2 – 2参照)、原油の国際市場価格は、1980年の後半以降、バレル20ドル前後に落ち着いた後、ゆっくり上昇していたものが、2004年度の後半頃から、この図2 – 1 に見られるように、再び、異常な高騰を示すようになりました。この原油価格の異常高騰は、1990年代後半から始まった中国をはじめとする新興途上国の高度成長に伴う世界のエネルギー需要の増大に誘発されたものでした。すなわち、石油資源の枯渇が言われるようになったなかで、その国際市場価格の将来的な高騰を見込んで、当時の世界のカネ余りの金融資本主義社会のなかで、原油が先物商品取引市場における投機の対象とされた結果だとされています(水野、川島ら、文献 2 – 3参照)。

 

2-② このマネーゲームの結果としての原油価格の高騰によって可採埋蔵量の増加をもたらしたのは生産コストの高い重質油でした。しかし、この重質油の可採埋蔵量の増加は、世界の石油消費の増加にはつながりませんでした。石油の消費量の増加をもたらしたのは、米国のシェールオイルの生産の増加でしたが、世界の石油生産量の増加への寄与は大きくありませんでした

図2 – 1に示す2005年頃に始まった原油の国際市場価格の異常な高騰は、2014年には終わりましたが、この期間はまた、本稿(その1 )に記したように、シェールオイルの開発が騒がれた期間ともほぼ重なります。エネ研データ(文献2 – 1 )に記載のBP社のデータをもとに、世界の主な産油国の国別の原油の可採埋蔵量の年次変化を示した図2 – 2に見られるように、この原油の国際市場価格の高騰によって、原油の可採埋蔵量を増加させたのは、その生産コストが高いために、いままで経済的な採掘が可能とされてこなかった重質油でした。具体的には、カナダのタールサンドオイルとベネズエラのビチュメンオイルで、その可採埋蔵量が、この図2 – 2 に示すように、2009 ~ 2011年にかけて異常とも言えるほど急激に増加しました。ただし、これらの重質油について、その生産を可能とした生産コストの値は示されていません。

図2-2 世界の主な産油国の石油の確認可採埋蔵量の年次変化

(エネ研データ(文献2 – 1 )に記載のBP社のデータをもとに作成)

 

この図2 – 2を、BP社による世界の主な産油国における石油の生産量の年次変化を示す図2 – 3と比較して見ると判るように、カナダとベネズエラ、特に、ベネズエラにおける石油の生産量は、増加どころか、むしろ減少しています。そのために、同国では、経済不況が政情不安さえ招いているようです。本来、確認可採埋蔵量の増加は、その化石燃料資源量が生産可能になったから、あるいは、なるであろうとの予想で行われるはずです。であれば、このベネズエラの確認可採埋蔵量の増加は、一体誰が、何のためにおこなったのでしょうか?

図2-3 主な石油生産国の原油生産量の年次変化

(エネ研データ(文献2 – 1 )に記載のBP社のデータをもとに作成)

 

この図2 – 3において、注目すべきは、米国の石油生産量の異常な伸びです。原油の国際市場価格の異常高騰とほぼ同に進行していたシェール革命でのシェールオイルの生産では、実際に掘ってみたら、その生産コストが予想以上に高いことが判りました。しかし、その状況のなかで、米国において、このシェールオイルの生産を可能にしたのは、たまたま、このシェール革命と同時に進行していた国際市場価格の高騰でした。この米国でのシェールオイルの生産によって、米国は、2014年以降、石油の輸出国に転じたとされていますが、図2 – 2に示した米国の確認可採埋蔵量の値からみて、の世界の石油供給量の増加への寄与は余り大きくないと見るべきでしょう。

カナダ、ベネズエラとともに、この米国における、本稿(その1 )で定義して、その計算の方法を示した原油の「正味の年間可採埋蔵増加量」を私どもが計算した結果を図2 – 4に示しました。カナダ、ベネズエラの重質油の場合とは異なり、この米国でのシェールオイルでは、この「正味の可採埋蔵増加量」の値は、2015年まで継続して与えられていますが、その絶対量は小さく、しかも、2015年以降、原油の国際市場価格が低下した今後、この増加が継続するとの保証は得られないと考えるべきでしょう。

2-4 米国、カナダ、およびベネズエラにおける石油の正味年間可採埋蔵量の増加量の年次変化(エネ研データ‘文献2 – 1 )に記載のBP社のデータをもとに本稿(その1 )の ( 1 – 1 )および ( 1 – 2 ) 式を用いて計算して作成)

 

この図2 – 4 に示す3国に中東の産油国サウジアラビヤを加えた4ヶ国における原油の国際市場各価格高騰前後の確認可採埋蔵量の値の違いを表2 – 1に示しました。

 

 表 2-1 原油の国際市場価格高騰前後の主な産油国の原油の可採埋蔵量(単位;十億石油トン、括弧内数値;対世界比率))の変化 (エネ研データ(文献2 – 1 )に記載のBP社のデータをもとに作成)

ここで、同時に注意しなければならないことは、この主な産油国別について、BP社が示している図2 – 2の「確認可採埋蔵量」の値と図2 – 3 の「生産量」の値から計算される図2 – 5の「可採年数」の値です。この図に見られるように、将来、実際に使うことができるかどうか判らないカナダ、ベネズエラの重質油を除けば、多くの産油国の石油の可採年数の値は、2015年の世界平均の52.7年を下回っています。すなわち、世界の石油資源は、間違いなく枯渇に近づいています。

図2-5主な産油国における石油の「可採年数」

(図2 – 2の「可採埋蔵量」の値と図2 -3の「生産量」の値から計算、作成)

 

<引用文献>

2-1.日本エネルギー経済研究所計量ユニット編;EDMCエネルギー・経済統計要覧、2017、省エネセンター、2017年

2-2 久保田 宏編;選択のエネルギー、日刊工業新聞社、1987年

2-3.水野和夫、川島博之;世界史の中の資本主義、エネルギー、資源、国家はどうなる、東洋経済新報社、2013年値が用いられています)まで続いた原油価格の国際市場の異

 

ABOUT THE AUTHER
久保田 宏;東京工業大学名誉教授、1928 年、北海道生まれ、北海道大学工学部応用化学科卒、東京工業大学資源科学研究所教授、資源循環研究施設長を経て、1988年退職、名誉教授。専門は化学工学、化学環境工学。日本水環境学会会長を経て名誉会員。JICA専門家などとして海外技術協力事業に従事、上海同洒大学、哈爾濱工業大学顧問教授他、日中科学技術交流による中国友誼奨章授与。著書(一般技術書)に、「ルブランの末裔」、「選択のエネルギー」、「幻想のバイオ燃料」、「幻想のバイオマスエネルギー」、「脱化石燃料社会」、「原発に依存しないエネルギー政策を創る」、「林業の創生と震災からの復興」他

平田 賢太郎;日本技術士会 中部本部 副本部長、1949年生まれ、群馬県出身。1973年、東京工業大学大学院理工学研究科化学工学専攻修士課程修了。三菱油化(現在、三菱化学)株式会社入社、化学反応装置・蒸留塔はじめ単位操作の解析、省資源・省エネルギー解析、プロセス災害防止対応に従事し2011年退職。2003年 技術士(化学部門-化学装置及び設備)登録。

 

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