「自動車EV化」は石油文明終焉の表れ

田村八洲夫

「文明のかたち」はエネルギーの質によって決まる

世界の安価な石油生産の、ピークからデクラインへの移行が間近になってきた今日、自動車の石油系からEV化へシフトの動きが急速に進んでいる。エネルギー文明史観の立場から、大局的な限界を整理してみた。

「文明のかたち」はエネルギーの質によって決まる。まず、これがエネルギー文明論の出発点であることを、改めて共有したい。
「文明のかたち」とは、その社会の基本的なスタイルを特徴づけるインフラの質である。
文明社会の基本的なインフラは、経済システムと移動手段であって、文明の支配的なエネルギーがなんであるかによって、その質が異なると考える。

石炭エネルギーが支配的な文明の移動手段は、石炭による鉄道と船舶輸送が支配的であった。石油エネルギーに代わると、石油燃料による自動車と船舶に航空機が加わり、広義のモータリゼーションが石油文明社会を席捲してきた。
石炭・石油文明の社会に最適な経済システムとして、利便と利潤増殖の資本主義が成長し、発展していった。エジソンの電気の発明によって、石炭と石油の強い火力から、より利便性と生産効率の高い二次エネルギーとして電力製造され、電力が石油と並んで石油文明の諸機能を駆動させるエネルギーとなった。そして、1970年ころから始まった「石油制約」の危機感から、ついに生命体に禁断の原子力発電に手を出した。

 

EV化は石油文明終焉の足掻き

ときは、石油がピークからデクラインの期にあり、化石文明終焉のフェーズに至っている。
しかし資本主義がもたらしてきた利便と利潤増殖を守るため、EPR(エネルギー収支比)とエントロピーを無視した石油代替エネルギーが囃されと、それが地球環境と生物破壊を深刻に拡大している。シェールオイルであり、水素ガス、藻類培養石油、そして原子力がそうである。

輸送機関のEV化は移動機関「オール電化」である。しかし、長距離輸送の航空機と船舶の電動化はあり得ない。陸上自動車の燃料も石油代替の電力、「EVカー」である。それは日本において、原発の再稼働と水素社会のキャンペーンになっている。EVカーのエネルギー経済性を検討するでもない。水素社会プロジェクトでは、地方で生産の再生可能エネルギーで水素製造し、EVに供給する迂回利用が滑稽にも真面目に語られている。利欲に染まった日本の支配層の視野はどこまで狭窄なのだろうか。原発も水素も石油インフラ依存の燃料であり、「EVの時代」はそんなに遠くない時期、恐らく21世紀半ばまでに安い石油が大幅に減耗し、石油代替エネルギーの経済性が破綻して、石油文明の存続が立ち行かなくなるともに終焉しよう。

 

ポスト石油社会のインフラは地方主役にガラッと変わる

遠くない時期に到来するポスト石油文明の「文明のかたち」、文明社会の基本的なスタイルは、日本においてガラッと変わる。変わらなければ、国民生活も国土も持たなくなる。なぜなら、世界一に早く、速いスピードで、日本は人口も21世紀の第三四半期には半減し、超高齢化してしまう。すでに日本の私有地の20%が所有者不明で、国も自治体も放棄したままである。土地行政の失敗で、日本は古びた蓮根のようにスカスカになっていこう。

日本国民の生活と五穀豊穣の国土の再生は、「大都市集中から地方再分散」、「都市の地方支配から都市と地方の共栄」にガラッと変えることにある。そのためには、ロボット・AI、IOTの正しい活用、大量に産まれる「技術的失業者」の希望ある地方移住が必要である。
まず、エネルギーが変わる。ポスト石油文明のかたちを決めるエネルギーは、地方の各地に豊かに多様にある「一次エネルギーとしての再生可能エネルギー」である。これは大都市では限られている。もちろん原発、水素などの石油代替の2次エネルギーではない。
そして、生産と消費の関係が変わる。インターネットの進化によってピアツーピア(P2P)の協働型作業スタイルが広がり、共感と信頼の人間関係が広範に普及する。それにリンクして製造方法の3Dプリンティングが普及することによって、資源無駄が大幅に縮小する。大量生産、大量消費、大量廃棄の無駄もなくなっていく。そして物流の長距離輸送のニーズが大幅に縮小し、石油製品と二次電力を燃料に頼るモータリゼーションが不要になる。
こうしてプロシューマ―(自ら生産し消費する人)が大量に生まれ、国民の多数が3Dプ
リンターをクリエイティブに、個性的に活用して、ポスト石油の豊かな文明社会に移行させていくであろう。それは平安時代の文化がそうであったように、外国の文化に左右されず日本の風土と生活に根差した香り高い文化を生み出し、そして安心して子孫を育て、次世代に「美田」を残していく文明社会であると考える。

いや、そうならなければ、このままでは西暦2100年の時点で、5000万人以下の高齢者国になると危惧される日本国民は日本列島の地で、人間らしい生活を営んでいけない。国家管理は弱体化し、ヒトの住めない野生の天国、あるいは日本人以外の「渡来人」によって占有されるかもしれない。あたかも、人口が激減した縄文時代の末期になって、縄文人から弥生人に入れ替わっていったように。

以上  田村八洲夫

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