新しい文明の選択基準——現代文明の岐路に立って

1. いよいよ石油文明が終わりに

「世界の石油生産量のピーク、すなわち石油ピークが2005年に達していた」と、国際エネルギー機関(IEA)が2011年に公式に報じました。これは世界に向かって、余剰エネルギー量が多くて使用に便利な石油の供給がこれ以上増えない、すなわち文明成長の限界が報じられたことになります。

余剰エネルギーとは、(採取したエネルギー)-(採取のために使用したエネルギー)のことで、文明社会が使える正味のエネルギーになります。余剰エネルギーが多ければ、文明はそのエネルギーを使って発展できます。余剰エネルギーの大きさの指標として (エネルギー収支比)=(採取したエネルギー)÷(採取のために使用したエネルギー)が使われます。これは、文明のエネルギーを評価するために非常に重要な指標です。

油ピークの年から10年です。この間に莫大な石油の開発投資がなされましたが、エネルギー収支比の高い在来型石油の供給の増加は非常に限られています。ただ、在来型石油の供給の頭打ちによって油価が高騰化し、それに支えられてエネルギー収支比の低いシェールオイルの開発・供給が米国で急激に起こりました。
しかし、資源高が主因で2012年頃より世界経済が低迷、世界の石油需要も減少し、110ドル/バーレル水準まで高騰した石油価格が2014年9月から低落しはじめ、年末に50ドル台/バーレルまで崩落し、現在も回復の兆しがありません。

「シェール革命」が文明の生き血である石油供給の乱増と価格のバブルを作り出し、エネルギー収支比の低いシェールオイルが、エネルギー収支比の高い在来型石油のシェアを奪うという「市場の異常」が起こりました。そして、そのバブルは需給バランスを失ってはじけたのだと解しています。

この事象は、良質な在来型石油が供給量限界に至って価格弾力性が喪失したこと、「実物経済」が、高価格の石油を受容できなくなった故と考えます。当面、供給・需要の変動に対して価格が相応に乱高下し、経済の不安定変動は増幅されていくと思われますが、すでに「経済から石油の乖離」の現れであり、石油文明終焉が始まり、再生可能エネルギー利用の社会構造へと動き出したと予見されます。そして、石油依存の実物経済の低迷に対して、エネルギーをほとんど必要のない金融経済が情報技術を活用して増長してきています。 おそらく2020年代に、早ければそれ以前に、石油生産が世界的に減耗のステージに至ると思われます。石炭、天然ガス、さらにウランの生産ピークも20年代との報告もあります。

ピークを過ぎた巨大油田の生産減耗率は平均6%であり、小規模な油田ほど減耗率が大きくなります。これまでの統計によると、GDPの増減率は、石油需要の増減率の約2倍に増幅されています。すると石油生産が減耗の一途に至ると、GDPは急速に縮減し続け、次いで文明の三大機能(輸送・生産・素材)を石油に依存する経済構造が維持できなくなります。さらに、他の化石燃料やウランへの依存も縮小せざるを得なくなります。

2. 新しい文明選択の対立軸

「石油文明の次はどのような文明か?」を巡って、様々なエネルギー文明の社会像が語られています。太陽エネルギー社会、低炭素社会、水素社会、循環型社会、持続可能社会などが挙げられます。しかし、エネルギー文明論から大局的にみて、次の2つの文明構造の対立が浮き彫りになってきていると思います。

ひとつは、石油文明の工業的な利便と快楽の継続を、石油なき後も、石油代替エネルギーの開発利用で求める、いわば「石油代替エネルギー文明」の志向です。これは再生可能エネルギーへ転換の軽視でもあります。

もうひとつは、自然の有限性に立ち戻って、自然と共生の低エネルギー社会への転換しかないとする「低エネルギー自然共生文明」の志向です。これは地域再生可能エネルギー利用へ積極的転換です。  

石油代替エネルギーには、風力発電、太陽光発電、地熱発電等の地域性の高い再生可能エネルギーと区別して、シェールオイル、メタンハイドレート、藻類培養石油、宇宙太陽光発電、水素エネルギーなどがあります。これらには、非在来型の石油・天然ガスだけでなく、工業的に製造されたり、迂回利用されるエネルギーが含まれています。これらのどれひとつとっても、エネルギー収支比が非常に低い、あるいは1以下であります。従って、生産されるエネルギーのうち、社会に要求されるトータルの余剰エネルギーは非常に少なくなります。

石油代替エネルギーで形づくられる文明社会とは、どのような社会でしょうか。
第一に、余剰エネルギー量が高価でも買える一部の富裕層によって専有され、多数を占める大衆には行き渡らないような格差の大きな社会になりうると考えます。

第二に、上述の石油代替エネルギーはどれも、石油より品質が悪いので、その分エントロピーを大量発生することによって得られるエネルギーです。そのため、有限な地球が人類社会を存続させている「環境収容力」を制約していきます。エントロピーが大量に発生すると「廃物・廃熱」として地球環境に蓄積されていきます。

第三に、シェールオイルを除いて、メタンハイドレートを含む上述の石油代替エネルギーは、「エネルギーの自己完結が不可能なエネルギー」であることです。すなわち、生産、利用する場合に、石油をはじめとする化石燃料の手助けが絶対に必要ということです。よく例に出されるのが原子力発電であって、ウランの採取から輸送・燃料加工・建設・発電・廃炉・廃棄物処理の一連の工程を原子力発電の電力で自己完結が不可能です。原子力発電も石油インフラがある社会で成り立つということです。なお、多くの再生可能エネルギーも、化石燃料のインフラがないと存続が難しいと思われます。

以上の3点からして、石油代替エネルギー依存の文明は原理的に、永続性が担保できない文明社会といえます。

一方、低エネルギー自然共生文明とは、どのような社会でしょうか。地球資源として賦存する3つのタイプのエネルギー資源を可能な限り減耗させないようにベストミックスして使っていく社会です。ふつう、エネルギーは枯渇型エネルギーと再生可能エネルギーに区分しますが、本稿では3つのタイプ、①再生可能ストックエネルギー、②継続的なフローエネルギー、③枯渇型ストックエネルギーに区分します。

再生可能ストックエネルギーには森林、地熱、温泉水、地下水等があります。減耗と再生の関係を科学的にとらえれば、永続的に使えるエネルギーですが、略奪的に使えば枯渇するエネルギーです。
フローエネルギーには太陽光、風力、降雨、河川等が挙げられます。地球の営力が再現性を担保しているエネルギーです。継続的という表現には、連続的、断続的、周期的な意味合いを込めました。
枯渇型エネルギーとは石油・石炭・天然ガスのことで、他の2つのタイプのエネルギーと比べて、格段にエネルギー密度が高くて良質なエネルギーです。そして、重要なことは、他の2つのタイプのエネルギーを社会で使用する場合、少量でも必要不可欠なエネルギーです。しかし、いくら節約して使っても、最終的には減耗して使えなくなります。

低エネルギー自然共生文明は、「自然資源の消費と再生」の均衡を基礎にして形づくられる文明です。多様なタイプの再生可能エネルギーを組み合わせて地域自給に資するスマートグリッドが基本になります。そして、残存する化石燃料は、必要なところで大切に使っていくことになります。よって、社会のエネルギー浪費とエントロピー発生が低く抑えられ、環境収容力の水準が、基本的に永く維持されます。エリートと大衆の格差がなく、人々の英知と協働で経営することが、最も効率的であるような社会と思います。

3. 文明観選択の現状

枯渇資源である石油依存の文明がやがて終焉するであろうことは、多くの人々が実感しており、少なくない国々でポスト石油の社会像が検討され,
実施されています。

しかし、その多くの内容が、「エネルギーの質が文明のかたちを決める」、すなわち「社会が手に入るエネルギーの質が、文明のかたちを決める」という基本的な考え方を忘れています。
そして「石油文明の継続という願望があって、それをどのような石油代替エネルギーで実現するか」という転倒した発想になっています。

日本では「石油代替エネルギーで石油文明の継続」というコンセプトで、低炭素社会、水素社会という社会像が描かれているのが現状です。 しかし、石油代替エネルギー文明が、どういう特質の文明であるかは、前述したとおりです。

要約すると、石油代替エネルギーのエネルギー収支比が非常に低く、生産過程で化石燃料の手助けが必要であるため、文明の恩恵を享受できるのが富裕層に限られた「格差社会」、エントロピーを大量発生させて人類社会の「環境収容力」を縮減していく、「永続性のない文明」ということになります。

石油ピークが進んでから世界的にみて、実物経済によるGDP成長が低迷しています。いきおい、マネー経済への依存が進み、マネー取引の膨張に相応して貧富の格差拡大と重なっています。
世界のマネー経済の規模は、2013年には実物経済の倍、140兆ドルに膨れ上がっています。今後もマネー膨張経済が続けば、マネーの運用で富者をいっそう利することになり、社会の格差化が強まります。ピケティ等の経済学者に限らず、経済協力開発機構(OECD)ですら「格差拡大が経済の成長を阻害するもの」と警告しています。

そのような世界の経済環境の中で日本は、国土強靭化策によって自然のコンクリート張り、未曽有のトンネル施工を含むリニア建設、原子力発電等のインフラと武器の輸出など、これまで以上に大量のエネルギーを必要とする建設と産業が進められています。

そのために原子力発電とともに、上述のどの石油代替エネルギーも、産状あるいは製造工程等から見て、エネルギー収支比が非常に低いことが見通せるにもかかわらず、「技術で何とかなる」という神話の下で研究開発され、動員されようとしていると考えます。

そして、日本社会のかたちの再構成として、高所得者の増加の一方で、国民の貧困化率が米国に肉薄して高く、低賃金・無権利のブラック労働が広がり、中産階級が激減しています。文字どおり「高エネルギー・二極格差社会」の道を突き進んでいると思います。

「1%の富者と99%の貧者」の二極格差が世界的に深刻になっており、貧富の対立が人種対立、宗教対立へと「憎悪と暴力」を拡大する矛盾がグローバルに広がっています。日本もそのような世界に仲間入りするのかどうか、立ち止まって考えなければなりません。

低エネルギー自然共生文明への動きは、各国での自然エネルギーへの転換、都市交通の脱自動車、都市農業の拡大、さらにトランジションタウンやエコビレッジ運動の地道な浸透に見られます。

日本では、それらの取り組みに加えて「もったいない」運動が、滋賀県政、いくつかの市民運動として進められていますが、時代の要請に応えている水準ではありません。低エネルギー自然共生文明への平和的な転換には、食糧とエネルギーの地域自給、中央集中地域分散への社会転換が、石油代替文明の浸透に先じることが欠かせないと考えます。 (以上)

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