信州便りー5 日本文化の落剝と再生

「未曾有の災害」という言葉が3月11日以降飛び交っている。関東大震災を超える災害という意味であろうか?関東大震災を徹底的に研究された寺田寅彦先生の「日本人の自然観」にも述べられているように,明治以降の富国強兵を旗頭とした日本の近代化によって落剝した日本の伝統的文化について、真剣に考え直す機会ではないだろうか?

政府(自民党政府を含め)や東電の体質について追求する必要があるのは勿論であるが,広い視野から考えれば、政府や東電を含めて今の日本人は近代化による日本文化の落剝の犠牲者と捉えることが出来よう。こうした根っこの視野から考えないと今回の大災害は枝葉の議論に終わり単なる犯人探しに堕して、一件落着で,日本の新しいパラダイムシフトとして結実することはないであろう。

 
人間は元々自己保存と自己犠牲の両面性を持っている。災害時には、今回もそうであったように(50年前の伊勢湾台風の時もそうであったが)、日本人の自己犠牲の心が遺憾なく発揮される。一方,「原発村」は自己保存以外何者でもない。社会学的・人間学的な視点から「原発村」の誕生と形成を分析し,新たな人間的な体制を作って行く必要がある。言うまでもなく,これは始まりに過ぎない。
 
石油文明が終焉し,原発の代替がこれ以上期待出来ない近将来の日本人は、その地震・津波,台風、豪雪といった厳しい自然との戦いの中で育んできた順応あるいは無常(寺田寅彦)という自然観を根っことして、猛烈な近代化にも風化することがなかった豊かな自己犠牲の心を発揮して、少ないエネルギーの環境の中で,お互いに我慢し,助け合い、慎ましく生きて行く道(新しいパラダイム)を必ずや見いだして行くであろうと思う。
 
例年になく寒い冬であった信州にもやっと春の兆しが見え始めました。庭のコナラの蕾が少しピンク色になってきています。渡り鳥達もちらほらやって来ました。しかし,心は寒いままの今年の春です。
 

 

(参考)寺田寅彦「日本人の自然観」抜き書き
 
「....昔の日本人が集落を作り架構を施すにはまず地を相することを知っていた。西欧科学を輸入した現代日本人は西洋と日本とで自然の環境に著しい相違のあることを無視し、従って伝来の相地の学を蔑視して建てるべからざる所に人工を建設した。そうして克服し得たつもりの自然の厳父のふるった鞭のひと打ちで、その建設物が実にいくじもなく壊滅する、それを眼前に見ながら自己の錯誤を悟らないでいる、といったような場合が近ごろ頻繁に起こるように思われる。....」
 

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