人心をして倦まさらしめん事を要す

第百七十八回国会における野田内閣総理大臣所信表明演説(平成23年9月13日)において、次のような施政方針が語られた。

「原子力発電について、「脱原発」と「推進」という二項対立で捉えるのは不毛です。中長期的には、原発への依存度を可能な限り引き下げていく、という方向性を目指すべきです。同時に、安全性を徹底的に検証・確認された原発については、地元自治体との信頼関係を構築することを大前提として、定期検査後の再稼働を進めます。」(
http://www.kantei.go.jp/jp/noda/statement/201109/13syosin.html

  この施政方針内容は1 1 月1 5 日に開催された(社)日本経済団体連合会の理事会で承認された『エネルギー政策に関する第2次提言』に都合よく盛り込まれることになった。(
http://www.keidanren.or.jp/japanese/policy/2011/107/honbun.html

 経団連が望む当面のエネルギー政策として、「内閣の施政方針にもある通り、地元自治体との信頼関係の構築を前提に、定期点検終了後、安全性の確認された原子力発電所の再稼働が非常に重要である。政府には、一貫した方針のもと全力で地元自治体の信頼回復に取り組む責務がある。」と、野田総理の所信表明演説を追認する提言がなされたのだ。

 だが、経団連が望む中長期のエネルギー政策のあり方では、「特に、原子力は、わが国の電源構成の中で、これまでベース電源として基幹的な役割を担ってきた。政府は、原子力が今後とも一定の役割を果たせるよう、国民の信頼回復に全力を尽くさなければならない。」と提言され、「中長期的には、原発への依存度を可能な限り引き下げていく」との施政方針に対して難色を示しているように見受けられた。

 ところで、野田総理大臣の所信表明演説が行われて、経団連の『エネルギー政策に関する第2次提言』が発表されるまでの間に、内閣府は「原子力委員会 原子力政策に対する国民の皆様からの意見募集結果について」と題する資料(平成23年9月27日 )を公表している。
(http://www.aec.go.jp/jicst/NC/tyoki/sakutei/siryo/sakutei6/siryo3.pdf)
 
 これは、3月11日から8月31日までの間に表題通りの意見募集が行われ、提出された10189件にのぼる意見の傾向を分析した資料である。この資料によれば、原子力発電については、67%の意見が「直ちに廃止し、再生可能エネルギー等に転換すべき」、31%が「段階的に廃止し、再生可能エネルギー等に転換すべき」に分類され、「推進、或いは現状維持すべき」はわずか1.5%であった。
 
悲しいかな、国民の大多数の想いを反映するであろう意見は、経団連の御歴歴にはいかほどにも斟酌してもらえなかったというわけである。そして私は無力感に苛まれつつ、アレクシス・ド・トクヴィルが1840年に早々と産業から新たな貴族制が生まれることを予言していたことを思い出さずにはいられないのだ。
 
「雇い主と労働者の間には、いかなる類似性もなく、相違は日ごとに広がりつつある。・・・一方は他方に永続的に、固く、必然的に従属し、人に従うために生まれたように見え、もう一方は命令するために生まれたかのごとくである。これが貴族制でなくてなんであろう。・・・過去の世紀の土地貴族制は従者を援助しその貧困を和らげる義務を法に負わされており、でなくとも習俗がこれを義務づけていると感じていた。だが今日の工場貴族制は、使用人を貧乏にして、意欲を奪い、その後、恐慌になると、この人々の扶養を公共の慈悲に委ねる。・・・」(『アメリカのデモクラシー』松本礼二訳・岩波文庫版第二巻(上)p.271)
 
 はてな、人々を意気沮喪させる現代の貴族制はいつまで続くのだろうか?彼らが望む原子力政策は石油減耗と共に早晩行き詰まるにちがいない。しかしながら、楽観はできない。実は私も原子力委員会の原子力政策に対する意見募集に意見を提出したのだが、目下のところ私は、すべてが水泡に帰するような気がしてならないのだ。


付記:私が原子力委員会に提出した意見
http://www.aec.go.jp/jicst/NC/iinkai/teirei/siryo2011/siryo17/siryo5.pdf

(694ページ7462番)


・意見概要

 石油減耗時代に突入していることを認識し、今後、原子力発電の維持・管理や使用済み核燃料処理が困難になることを明察した上で、希望に満ちた原子力政策への転換すなわち原発の段階的全廃へと舵を取るべきである。


・意見及びその理由

 顧みれば昭和天皇昭和二十一年元日国是として五箇条の御誓文を確認された「新日本建設に関する詔書」を給へり。御誓文には「人心をして倦まさらしめん事を要す」とあるが、福島第一原発の大惨事は、国民をすっかり萎えさせてしまう事態の招来を予見させた。 

福島第一原発の事故を受けて、電力各社は電源喪失に備えた電源車の配置、冷却機能の多重化、 防波堤の新増設などを盛り込んだ安全対策プランを提示したが、そのプランは十分な石油の調達を前提としたものである。困ったことに、石油資源の調達可能性の雲行きは怪しくなっている。 

世界の石油生産は2006年がピークだったとIEAが公認、利用可能な石油資源は減り続けている。今ではIMFも石油不足に警鐘を鳴らすようになっている。EPRの低下やExport land modelなど、石油輸入国が入手できる石油の急減を示唆する理論もある。加えて、対中東貿易は膨大な赤字続きであり、ドル危機を招来するや決済上の問題が急浮上して、石油資源の調達に支障が生じることが懸念される。

 十分な石油が手に入らなくなるや、はたして原子力発電所の維持・管理は可能だろうか。 

 停止中だった福島第一原発4号機からの放射性物質の飛散事故は、たとえ原子炉の稼働を正常に停止した後でも、冷却のためのコストを払い続けることができなくなれば、放射能まみれとなる大惨事を招き得ることを示唆している。石油減耗の深刻化とともに、日本全国津々浦々にある原子力発電所が爆発して、ヒトが住めない国土になっていくことを想像するのに希代の洞察力など必要としない。そして、生命の継承が叶わなくなると多数者が確信するに至れば、秩序は崩壊して、政策もくそもないだろう。それゆえ、原子力発電所を段階的に全廃する方向に舵を取ることだけが、国体を護持する希望を与える原子力政策になる。

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