「間もなく石油減耗時代に突入する」——日本の文明崩壊をどう避けるか

A. 石油依存の現代文明の終焉期にあるとの認識が根本的に重要

①  国際エネルギー機関IEAは、安い良質な石油生産のピークが、2005年より始まったと表明しました。それから7年経ち、1-2年後には、生産のプラトー状態から減耗の時代が到来するかもしれません。最近、ワシントンポスト紙が、「国際通貨基金IMFが、ピークオイルが進むと世界経済に重大な損害を与えるとの危機意識にある」と伝えています。IMF自身が、「石油減耗に至ると石油依存の現代文明の危機」との認識に至ろうとしていると理解できます。

②  石油は、高温燃焼、液体燃料、化学原料の点で最優秀な資源で、現代文明の生き血です。石油由来商品が50万品目もあるといわれています。現代の日本経済は、まさに石油漬けで、このままでは石油減耗にきわめて脆弱な社会であると想像できます。    
最近、シェールオイルがあるから大丈夫との文明延命の楽観論があります。しかし、シェールオイルは超重質油で、その採掘には石油燃料が必要であり、輸送用液体燃料にほとんどなりえず、文明を支える安い良質の石油の代替にはなりえない別物と認識できます。

③  石油生産量の増減に対してGDP成長の増減が、約2倍増幅の強い相関関係があるとの統計が知られています(Robert L. Hirsch)。石油ピークが過ぎると、年6%の割合で石油生産が減耗すると予想されています(IEA推定)。すると、GDPが年12%の割合で減少する計算になります。とんでもない経済の恐慌、社会機能の停止が危惧されます。

④  石油減耗の時代に、発展国が石油需要量を増やせば、その分だけ先進国の文明的な危機が増幅されます。安い良質な石油の国際的な争奪戦がいっそう激しくなります。日本は石油依存の強い社会のままでは、石油文明終焉に伴う国家間の資源争奪や抗争、通商において、非常に弱い立場であろうと恐れます。

B.石油ピークの進行で経済の地域化が急がれる

⑤  石油の最大の特質は液体燃料利用であります。石油生産の減耗によって、この低コスト利便性が失われると、流通が生命である経済のグロバリゼーションが成り立たなくなり、経済の地域化(リローカリゼーション)に移行せざるを得ません。加工貿易体制も、石油依存の食料輸入も行き詰まります。

⑥ このような時代にあらわれたTPPは、ヒト、モノ、サービス、カネの移動をほぼ完全に自由にしようとするもので、風土、民族歴史性、価値観の質の違いよりも市場取引を優先させるものであり、持てる国によるグロバリゼーションの延命戦略の一形態とみることができます。日本は、一部製品の輸出に有利になるだけで、一次産業の壊滅、国土の荒廃、価値観の欧米従属、医療、文化とモラル等の劣化を加速させます。

⑦  石油減耗時代を生き抜くために、経済の地域化を急ぐべきです。経済の地域化の核心は、エネルギーと食料の地産地消産業化です。もちろん余剰のエネルギー、食糧は周辺地域との交易に供します。付随して地域の学府と住民の知恵と工夫で多様な地域産業が開発され、大いに雇用を生み出すことにより、住民が主体になって、地域の豊かさと賑わいを再興する状況になっていきましょう。

⑧  経済の地域化では、地域エネルギーは、自然エネルギーで賄えます。自然電力(風力、太陽光、小水力等)だけなく、自然熱(温泉熱、地下水熱、地中熱、バイオ熱、太陽熱)も大いに産業と生活に利用できます。大電力にしかならないトイレのない原発は不要です。日本は地質が脆弱で、福島第一原発につづく大事故が最も起こりうる国であり、さらに10万年の管理が必要な最終処分場を見出すのが困難な国です。原発の継続は、国民を末代まで苦しめます。
大企業・大都市向けには、融通性のある天然ガス火力でかなり間に合います。LNGだけでなく東シベリアからパイプライン輸送が実現すると輸入先の多角化等のメリットがあると考えられます。その投資と建設が間に合うかどうかが危惧されます。     
シェールガスは米国にとって幸運な資源ですが、環境汚染と引き換えです。しかし、日本がそれをLNGで長期的に輸入できるものと甘く依存しない方が良いと思います。

⑨  石油減耗と脱原発の時代に、中央集権、大企業重視の経済・財政のシステムではGDP成長すらできません。GDPは生産付加価値の国内総計ですから、生産の寡占化よりも中小企業を含む多数の企業が縦横に生産に参画する方がGDP成長、雇用拡大、社会の安定につながります。しかし、現実には格差の拡大による社会の分解と荒廃が進んでいます。企業の競争力、国民の意欲・民力は低下の一途にあり、GDP成長の要件が劣化しています。これでは国債によるテコ入れ、需要刺激しても、経済のデフレから本格的な脱出はできません。 地域住民と共生する中小企業の活力によって地域産業の多様な創出を展開できるし、国際競争力の下支えも強化できます。そして実体経済のGDPは健全な内容(GPI=Genuine Progress Indicator=真の成長指標)で成長し、税収増加・赤字国債減少の道筋が見えてくると考えます。連動して地域の教育、文化、地域防災力、生活モラルも良くなると考えます。

C. 石油減耗期にふさわしい経済学が必要です 
  
⑩  経済学で、土地・資本・労働を「生産の三要素」といいます。「土地」には天然資源が含まれます。これまでの経済は、資源の有限性を無視し、経済成長は無限にできうるとの前提でした。しかし石油ピーク、各種の金属資源ピークで明瞭なように、良質の天然資源のどれもが減耗の時代になります。これら枯渇型の天然資源が不足してくれば、それに依存する生産コストが高騰します。その分、資本と労働にしわ寄せされ、さらに資本が力づくで労働から収奪し、収益確保を強めているのが、現在の経済システムです。

⑪  資本は、枯渇型天然資源の不足と高騰に対して、技術によって石油代替の製造と労働の機械化(労働力削減)を追求しています。しかし、技術で最優秀の石油や有用金属のほとんどの代替モノを製造できません。石油代替を生産する試みはすべて失敗しています。メタンハイドレートや海水中のウランは天然に存在しますが、濃集されていないので天然資源ではありません(シフトムのコラム参照)。資本の利益よりも、自然の探求や労働の価値想像のための科学・技術の進歩が必要になってきます。

⑫  枯渇型天然資源の減耗は宿命的ですが、天然資源の中には、再生可能な自然エネルギー資源、生態循環資源があります。石油ピーク後は、このような再生型天然資源を、地域エネルギーと食料の確保に活用することが、地域経済振興の基盤をなすものです。石油ピークによって経済の成長が頓挫していますが、日本の地勢、風土に適した地域振興が、新たな経済の成長が生み出されると考えます。

⑬  間もなく宿命的に襲ってくる石油文明の終焉、その文明崩壊の危機を食い止めるためには、その指針として、新たな経済学が必要です。 いままでの経済学のコンセプトは、無限地球観に基づく持続不可能なマネー社会です。しかし、これから求められる新しい経済学のコンセプトは、有限地球観に基づく持続可能な共生社会です。地球資源が有限で劣化していくことを正視し、再生可能な自然資源と生態に依拠するしかないことを自覚することが基本です。 技術至上主義は、技術で自然も経済も支配できるとする主義で、人間疎外もお構いなしですが、大地震災害、原発事故にみるように破綻している主義です。やはり人間が自然を畏敬し、科学・技術と住民の共働の力で天然資源を引出し、自然の暴威を制御し、融通しあって人の暮らしを豊かにすることです。

⑭ 江戸時代の社会と人々は、糞尿に至るまでモノを大切にしてエントロピーの安定した循  環型社会を編み出しました。アダムスミスは1776年に「国富論」を出版し、市場の主体を売り手、買い手、「神の見えざる手」と表現しました。しかし、その頃すでに、日本の江戸時代の商人は「三方良し」という商取引のルールを生み出していました。これは経済秩序上の世界史的に画期的な発明だと思います。「三方良し」ルールは、石油減耗時代において持続可能な経済学のベースになる、日本の誇るべきコンセプトだと思います。

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