2重経済体制のすすめ

本来なら、専門家でもない私がつまらない意見を言う必要などないと思いますが、世の中があまりに静かなので、異様な感じに打たれています。
これほど景気が悪くても、デモも暴動もストライキも起こらず、投票率は下がる一方です。
政治家・役人・学者も含めて、本当のこところ皆どうしてよいかわからないのではないでしょうか?
自分の目先の生活で手一杯で、大所高所から考える余裕もないのかもしれません。
その上、石油ピークという、とんでもない事実を突きつけられて、識者といわれる方々も思考停止に陥っているのか、何の反応も聞こえてきません。
ここに投稿します記事について、私のちっぽけな考えに固執するつもりは毛頭ありませんので、ご批判があればどうぞお願いします。
談論風発というような状況を期待しているだけですので。
細かい数字についても間違ってるかもしれないので、鵜呑みにしないでください。

世の中不況であるという。
不況がもう20年も続いているという。
その一方で、うちの近所では新しい住宅が次々と建っている。
日本は世界一の債権国で、個人の金融資産が1400兆円もあるという。
こんなに世界有数のお金持ちが多い国なのに、どうして不況になるのか不思議である。
私は経済の専門家ではないが、どうしてなのか、どうすれば解決するのか考えてみた。

現在、世界最大の農業国のひとつで農産物の輸出国でもあるアメリカでは、1人の農民が100人分の農産物を生産するという。
”生産性”の高い、機械化大規模農業である。
それに対して、世界の主流である小規模な零細農家は、コスト競争で太刀打ちできない。
アメリカは戦略として、安い農産物にさらに補助金を付け、ダンピングして売っているのだが、今はその問題はおいておく。
日本の農水省は、アメリカを見習って日本の農家も規模を拡大し、生産性を上げ、価格競争力を上げるべきだと考え、それを奨励する政策をとっている。

では考えてみよう。
世界中のすべての農家が、1人で100人分の食料を作れるようになれば、すべての農民が豊かになれるだろうか?
日本のもっとも優良な企業として、トヨタ自動車が世間の高い評価を受けている。
それなら、日本の各市町村にトヨタ自動車の工場を建てれば、失業もなくなり、みんなが豊かになれるだろうか?
そうはならない。
なぜか?
農産物市場も、自動車市場も有限だからだ。
彼らが儲かっているのは、有限な市場の有限な需要を、少人数で独占しているからだ。
1人で100人分の食料を作る農民は、100人の自営農の仕事を奪ったのだ。
儲かっていない企業や個人は、市場競争で負けている人たちだ。
彼らも努力して勝とうとはしている。
しかしすべての人が勝つことはできないのである。

市場が出来て間もないころは、小規模零細企業が並び立ち、盛んな競争状態にある。
ところが戦国時代の小大名が次第に淘汰されて少数の覇者に集約されていくように、市場の競争者もしだいに淘汰されて、寡占・独占へと進んでゆく。
これが資本主義的市場の持つ趨勢なのだ。
では、市場競争で負けて、市場から敗退した人たちはどうすればよいのだろうか。
彼らは別の市場で勝つか、まったく新しい市場を開拓しなければならない。
しかし常に市場の覇者が少数である以上、次々と新しい市場が生まれてこなければ、誰もが豊かになることは出来ないはずである。
これは、まったく新しい製品やサービスが次々に生まれてくることを意味する。
こうして経済は無限に右肩上がりの成長をしていくというのが、資本主義経済が持続する前提条件である。

さて、新しい市場が生まれてくるためには、当然、新しい製品やサービスに対する需要が、次々に生まれてこなければならない。
日本には、1400兆円もの個人資産があるという。
供給に応えるための余裕資金はふんだんにあるはずである。
その資金に余裕のある人たちが、どんどん新しい商品やサービスに飛びついて大喜びで買ってくれていたなら、不況などになっているはずがないのではないだろうか?
ところが現実には不況なのだ。
日本の経済成長は止まっている。
日本のGDPはここ数年、実質的にまったく成長していないのである。
資金に余裕のある人たちは、新しい商品やサービスを買わず、銀行にお金を預けたり、国債を買ったり、株や金隗を買って投機をしている。
これはどういうことなのか?
人間はお金に余裕さえあれば、どんどん色んなものが欲しくなって、次々に新しい商品やサービスを買い続けるという、資本主義経済の前提条件が間違っていたのではないだろうか?
確かにお金に対する需要は無限大かもしれない。
しかしお金を生活必需品以外に使う人間の志向については、やはり限度というものがあるのではないだろうか?

先日株で何億か儲けたというBNFという人の話を聞いたが、普段100円ショップで買い物をし、カップめんを食べているという。
お金に余裕のある人は、もっと儲けるために新しい事業に投資はするが、出来た商品を自分が買う気はないようだ。
もちろんそういう人ばかりではないだろう。
しかし資金に余裕のある人がそれでは、無限の経済成長など起こりえない。
個人がいくら努力しても不可能だ。

だから既存の市場から締め出された人々は、必要不可欠なものすら買うお金が手に入らない一方で、既存の市場を独占している少数の企業(に投資している人びと)は、一生使いきれないほどのお金を無駄に溜め込んでいる。
資本主義が成熟段階に達し、すべての労働者が100人分の商品を生産するようになれば、供給過剰になるのは当たり前ではないか?
そして、人間の持つ新しい商品やサービスに対するニーズが有限だとしたら、それが長引くデフレ不況の根本原因なのではないだろうか?

さてこれまでは、人間の「ニーズの有限性」という観点から、資本主義の持続不可能性を考えた。
これは現在の先進工業国に共通して現れている現象であると思われる。
しかし資本主義の持続不可能性を裏付けるもう一つの決定的要因がある。
「資源・エネルギーの有限性」である。

経済成長が止まると不況になる。
ではもしマイナス成長になると、どうなるだろうか?
企業の売り上げが減り、利益が減る。
株価は下がり続け、投資家は株を買わなくなる。
企業は銀行から借りたお金に利子をつけて返すことが出来なくなる。
投資家も銀行業も成り立たなくなる。
資本主義経済が終わるのである。

国際エネルギー機関(IEA)は、石油の生産は、2006年がピークであったらしいと公式に発表した。
現在1カロリーの食料を作るのに、10カロリーの石油が使われているという。
現在の食糧生産、地球人口を支えているのは石油なのだ。
そして石油に代替しうるような、安価で潤沢なエネルギーは存在しない。
現在のエコエネルギーなどは、量的に代替しうるようなレベルにまったくない。
石油ピークは食糧生産のピークであり、産業革命以来続いてきた地球の人口爆発の終焉を意味する。

石油は単にエネルギー源だけではない。
農薬・肥料・繊維・薬品・合成樹脂など、あらゆる工業製品の原料なのである。
だから石油ピークは、工業生産のピークでもあり、産業革命以来続いた資本主義的経済成長のピークともならざるを得ないだろう。
しかもこの経済収縮は、今後100年以上続くことになるだろう。
これに対する対応を誤ると、飢餓や戦争など、人類の存続を危うくするような大惨事を引き起こす。
現在のところ、世間ではまったくこの事態の重大性が認識されておらず、悲劇が起こる可能性が非常に高い。

以上に述べた認識に立つならば、これまで良しとされてきた、利潤追求を最優先する自由な経済活動が、もはや許されない状況になっているのに気づくのではなかろうか。
われわれが生き延びるためには、ある種の計画経済体制の導入が、好むと好まざるとに関わらず必要とされているように思われる。

何はさておき食料の生産を最優先させる必要がある。
お金がいくらあっても、お金は食べられないのである。
日本の人口は、森林をエネルギー源とする完全自給経済だった江戸時代の4倍に膨らんでいる。
これも石油が支えてきた人口だと認識しなければならない。
だから私はまず、米・麦・大豆・野菜・果実や食肉の一部などの基本食料の生産を国営化する必要があると考える。
そうした命に関わる物資の生産を、外国からの輸入に依存したり、一部の営利企業に独占させるようなことは、今後は安全保障上きわめて危険である。

江戸時代に、耕して天まで届いた山間の段々畑や棚田は、今ではほとんどが竹やぶや木に覆われて使い物にならなくなっている。
お金を出しても食料が買えなくなる時代に備えて、利益を度外視した公益事業として、それらを再開発しておかなければならない。
失業して仕事にあぶれた人たちに、利益を度外視しした公益事業に従事していただけば、雇用問題も解決するだろう。
市民の飲み水となる上水は、日本では現在でも公営事業として生産・配給されている。
その思想を拡大すれば、基本食料の生産の公営事業化は、それほど大きな飛躍ではないだろう。

もちろん計画経済に適さない生産分野が存在する。
趣味の品や嗜好品・ぜいたく品・芸術・サービスなど、個人の創意工夫を必要とする分野ほど、最後まで自由な経済活動を許されることになるだろう。

今、人類が生き延びるためにみんなが知恵を絞り、これまでの常識を変えるべきときが来ているのではなかろうか。
人類の理性と叡智がこれほど試されている時代はないと思う。

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