美女と原発

 半世紀近く生きていると、いろいろ不思議な経験もするものである。これもその一つである。

 
2004年の5月頃の話である。 ある会合でビデオ撮影を担当していた私は、光栄にもある長身の美人と話をする機会を得た。 彼女は明らかに違っていて、引きつけられる魅力を持っていた。
 
当時、私は電力会社を退職し、趣味のビデオを生かして仕事が出来ないか模索していたのである。ビデオ技術は、その後関係する事になるNPO法人「科学カフェ京都」に生かされた。
 
彼女は東北大を出て、大阪のある食品会社で広報の仕事をしているという話であった。私の居た電力会社は、1991年に原子力発電所の細管破断事故を起こし、彼女の会社は、BSE問題に絡んで牛肉偽装事件を起こし、お互い大変ですね、というような話をした記憶がある。
 
出身を伺ったところ、「福島」という事であった。残念ながら、当時私は福島というと、会津しか思い浮かばなかった。弟さんが、原子力発電所で働いているという話もされたと記憶する。 後日判ったのであるが、なんと彼女は1999年度のミス・インターナショナル日本代表で、世界大会でもセミファイナルに残ったという人であったのだ。
 

ミスというと、女優さんやモデルさんになるものと思っていた私は、なぜ食品会社で地味に広報部員をしているのか不思議であったが、後日、あるビジネス雑誌に「三つ子の魂百まで」という題で寄稿されているのを発見した。以下、その抜粋である。


我々は、福島の大地を放射能で汚染した事を恥じねばならない。
 
(以下抜粋して引用)
 
私は、福島県原町市(現在は南相馬市)という南東北の太平洋沿いの小さな町に生まれ育ちました。勇壮な神旗争奪戦で知られる「相馬野馬追祭り」の他は豊かな自然だけが自慢という土地柄だけに、地産の食べ物は本当に美味しいものばかりでした。 
 
海の幸は、鯖、いなだ(鰤の幼魚)、北寄貝。山の幸は松茸をはじめ、山菜、筍などなど。
 
でも、特に美味しかったのは、父が家庭菜園で育てる、みずみずしくて力強い味わいの季節の野菜でした。そういえば父は、自分で育てた野菜や釣ってきた魚を子供達に食べさせては、お決まりの台詞を自慢げに言っていたものです。
「とれたてのものは味が違う!」
 
故郷を離れた今、あの時の父の気持ちが良く解り、微笑ましくもありがたい思い出です。振り返れば、食品メーカーに入社を希望したのは、料理をすること、美味しいものを食べることが好きだから。三つ子の魂百まで、というところでしょうか。
 
 
 

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