縄文人と立体農業に見る「ポスト石油・永続的社会」の思想的な原点

プロローグ

昨年12月、福島県川内町の「獏原人村」を訪れた。大塚尚幹・愛さんの自然生活に、石油文明後の低エネルギー生活の原点を見た思いであった。「原点の生活に戻れ」というのではない。「思想としての原点」としてである。一方、石井吉徳会長の義父、久宗壮氏が賀川豊彦の指導で1939年より拓いた「立体農業」の知識にも触れた。つい半世紀前まで、日本農家の一般的な農業スタイルだと思った。そして石油ピーク後の食料自給の道は、これだと思った。私の「原点」の追跡は、ついに縄文人の生活にまで遡った。そして「立体農業」の原点は縄文文化にあり、その伝承が、半世紀前まで脈々と続き、いまでも細々と生きていると思うようになった。
以下は、門外浅学の私が学んだ縄文人に関する理解である。ご意見いただきたい。
世界の古代文明の生成と崩壊

 今から1万年前頃、人類にとって画期的な事件が世界各地で起った。氷河時代が終わって気候が温暖化し、グローバルな海進の時期である。農耕と牧畜、定住生活が始まり、土器が発明され、世界観の探求も始まった。人の移動、交易も活発になり、これらは発祥地から世界の大方の地域に伝播していった。世界の4大文明はすべて、7000年前頃より、大陸の大河の中流あるいは下流の平坦地で、農耕・牧畜地区を従えた都市文明として栄えた。同じ時期に、日本では縄文文化が栄えていた。食糧生産以外は、世界の各地の文化の水準との質的な差異は、さほどなかったと思われる。
古代都市文明は、農耕と牧畜の過剰生産を促し、その結果、土壌の劣化と森林乱伐を招いて文明は崩壊に至った。都市と食料生産の分離、前者による後者の支配・階級分化、自然支配による自然崩壊によって、文明自ら墓穴を掘って崩壊した。旧大陸の諺「人間の後に沙漠あり(After man,the desert)」そのものである(石井会長より)。

 縄文人の思想的な基盤

島国日本は「縄文の海進」によって平野が縮小していった。縄文人は林地に隣接の丘陵地に定住した。しかし丘陵地・傾斜地で耕作せず、食料は森と海に求めた。穀類は山に穀樹(クリ、カシ、クルミなど)植林栽培した。たんぱく質は森の動物、海の魚類に恵まれ、牧畜は不要であった。農耕・牧畜よりも計画的な採集・狩猟の方が、楽で豊かだったのだろうし、その方が日本の地勢に適していた。
 縄文人口も高々10万人程度であろうか。島国人は大陸人とは異なった生活様式を生み出した。森林は食料、木材、衣料の恵みの地として共生の対象だった。自然の恵みを受け、自然に畏敬の念で感謝する生活スタイルが縄文人の原点であった。

縄文人の飢饉を知らない人間的生活


立体農縄文人は、山の幸、野の幸、海の幸を、少しずつ何でも食べる雑食だった。縄文時代の貝塚から、縄文人は約50の動物種、約60の魚種を食した。フグもよく食されたようで、調理法もわかっていた。果実酒を造った痕跡もある。食料貯蔵の方法に工夫が見られる。

縄文人は、その多様な食生活から見て、現代人よりもはるかに高い内容の生態学的知識を有していた。細分化された現在の科学では追いつかないほどに豊かな経験知識、海と陸の事象を関連付けたり、組み合わせて考える知恵があったと思われる。
縄文人には、大きな気候変動や地殻変動から飢餓を防ぐという本能的な生活観が備わっていた。だから、生活の糧を乱獲・乱伐せず、経験による計画性で生物多様性を維持した。縄文人は飢饉の恐れに、ふだんから上手く備えていたから、日本の自然と適応した縄文文化が育まれ、縄文時代には、「人間の後に沙漠あり」の悲劇が生じなかった。縄文時代の終焉は、大量の農耕民が大陸から日本に渡来してきてからである。
 日本社会が飢饉を経験したのも、農耕社会になってからである。

脆弱な商品農業の行き着く先


 農耕社会は作目限定農業のため、気候の変動に対して、多様性が失われているために、脆弱である。現代でもそうであるが、さらに自給を犠牲にして商品農業を優先したから、
無駄が増えて、なおさら脆弱になった。
 江戸時代に、コメだけでは飢饉に弱かったので、甘藷、救荒作物の栽培が推奨された。
 商品農業が進んで、自然が対立物になってきた。さらに、どう自然を力づくで支配するかにアタマが回り、石油農業に至った。石油が使える間の運命なのに。

立体農業とは

立体農業は、農村が“拝金主義”農業から脱却し、自給経済に立脚した農業経営を確立ために提唱され、実践された。5反自作農が、食料を自給し、現金収入が得られる農業経営のコンセプトである。
 立体農業の骨子は、文献学習から、以下のようにまとめられよう。
田・畑、山を一体として利用。山は食料、木材(住)、繊維(衣)の宝庫。
傾斜地では「土壌鋤耕」を禁止。土壌流出劣化を防ぐため。   
山で、穀樹栽培、肥料木栽培。樹木の下に一年生作物。樹木の間に畜育
・ 有畜農業:山羊、豚、鶏、兎、アヒル、蜜蜂、鯉、庭園農業:果樹。
換金作物栽培:小規模でも、生糸、茶、干し柿、兎の毛皮、椎茸、栗など。
・ 農産加工(自家製造):コメ麹、味噌麹、醤油、味噌、ソース、ケチャップ、
              水飴、甘酒、豆腐、納豆、蒟蒻、パン、ジャム、漬物・・・・。


縄文人の思想と立体農業がポスト石油の日本の道


 立体農業は自然と一体となり、その生態を農民自身の知恵で活かす農業だといえる。その眼で見ると、縄文文化の生活観、自然観と、多くの共通性がわかる。立体農業の思想的原点は、時代を数千年も超えて、縄文社会にあると確信する。
 立体農業実践の時代は人口9000万人の時代で、美食・偏食を慎み、モノを大切にし、身体を動かし、知恵を働かすことによって、人の絆と文化の香りが豊かな生活ができた。
久宗壮氏の実践の道が、今に続いて深化していれば、1億2千万人の国民は、石油なき時代になっても、飢餓を知らないで子孫に繋いでいくことができていよう。

 今なら、日本人のルーツ思想と先哲の農業論に立ち返り、その道へ復帰して、遅くあるまい。

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