地熱のエネルギーガバナンスの歴史

エネルギーガバナンスとはエネルギーのステークホルダーがエネルギーを管理・統治することを意味する。現代社会はエネルギー抜きには成り立たないので、エネルギーガバナンスは必須となっている。

しかし聞き慣れない言葉である。なぜならエネルギーの専門家は技術系であり、ガバナンスは人文系だからであろう。ではだれがエネルギーガバナンスを行っているのか。それは今までは中央政府である。つまりエネルギーガバナンスはトップダウンで行われているのである。別の言葉で言えば上意下達である。

しかし最近、化石燃料の先行きを考え、また原発が停止したこともあり、地熱、太陽光、風力、バイオマス、小水力などの自然エネルギーの利用が促進されている。つまりこの動きは集中型のエネルギーから小規模の分散型エネルギーへの移行と捉えることができる。

中央政府が行っているエネルギーガバナンスは原発や火力発電などの集中型のエネルギーに対してである。集中型エネルギーは地方で作られ、大都会に供給されている。

分散型エネルギーは地域で作られ、その地域で管理されるので、ガバナンスはそれぞれの地域や個人が行わなければならない。温泉地において発電、浴用の多段階利用が行われているが、そのガバナンスは温泉組合のコミュニティーが行うことになる。住宅用太陽光発電の場合のガバナンスは個人である。

ここで地熱についてガバナンスという視点で歴史を振り返ってみる。

地熱の商業発電の最初は1966年、発電設備容量が23,500キロワットの松川地熱発電所である。 1973年、石油ショックが起きた。これを契機に国策として地熱、太陽光、風力などの自然エネルギーの開発が急ピッチに進められた。1980年には新エネルギー総合開発機構(NEDO)が発足し、自然エネルギー開発への巨額の国家予算投資が始まった。

図1は日本の地熱関係予算の推移である。1980年NEDO発足と同時に予算は40億円から140億円に急増した。その内訳は、発電開始間近の地熱発電所の開発費を補助する地熱開発費補助金、発電可能地域の調査を行うための地熱開発促進調査、熱水エネルギーの利用技術開発のための熱水利用、全国の地熱賦存量を調べたり新しい技術開発のための研究開発などである。

石井吉徳もったいない学会会長は、この当時NEDOの中の一つの委員会の委員長を務められていた。

図1 日本の地熱関係予算の推移


(出典:「地熱エネルギーの開発・利用推進に関する提言」(財)新エネルギー財団)

著者は1980年に新設のNEDOの地熱調査部へ出向し、全国の地熱資源賦存量を調べるための全国調査を担当した。重力調査で地質基盤を求め、地磁気調査を行い、そのデータからキュリー点解析によって地下の熱構造を求めた。全国調査の最終成果は地熱賦存量6000万キロワット×30年という数字である。6000万キロワットは単位時間当たりに流れる電力量でエネルギーのフローであり、それに30年という時間をかければエネルギー量となる。つまりその算出の根拠は「再生可能」ではなく、石油と同じで溜っているものを取り出せばそれで終わりというstored heat(貯留熱)の量である。

その後日本の地熱発電の設備容量は徐々に増え、1996年には53万キロワットに達した(図2)。

図2 日本の地熱発電開発状況

(出典:「地熱エネルギーの開発・利用推進に関する提言」(財)新エネルギー財団)

地熱発電は地熱地帯の地下に賦存する大量の熱水を汲み上げ発電し、その電力を都会に運んでいる。地熱地帯にはたいてい温泉産業がある。その産業は一兆円規模の産業であり、地元を潤している。ここに温泉業界と地熱発電業界の競合が起こることになる。その当時、温泉事業者と地熱開発事業者との紛争は絶えなかった。 しかし1995年以降発電設備容量はほとんど伸びていない。温泉との競合に加え、国立公園は開発できないことが理由として言われている。確かにそれはある。

しかし全国調査で算出した6000万キロワットの意味をもう一度考えてみると50万キロワットで留まっている理由は頷ける。6000万キロワットは地質基盤からさらに1キロメートルの深部までに存在する150度以上の高温域が持つ熱量に25%の回収率を掛けたものである。つまり6000万キロワットの発電をするためには、キュリー点解析で高温域として抽出された地域に隙間なく深部ボーリングを掘って初めて回収できるエネルギーである。しかしそれは深部ボーリングを無数に掘ることになりほとんど不可能である。

50万キロワットから伸びないことで地熱開発に多額の国家予算をつぎ込むことに待ったがかかった。それまでに国が投じた予算は3000億円を超えた。これは100万キロワットの原発一基分の予算である。お金を使いすぎたのだと思う。

著者は1997年に再びNEDOに出向を命じられた。その仕事は地熱の幕引きであった。1997年から地熱開発予算は激減し、2003年には熱水利用予算と研究開発予算が無くなり、全体で40億円を切った。著者にとっては地獄を見た思いである。

これを地熱のガバナンスの観点から見ると、1980年から1997年までは中央政府がガバナンスの音頭をとっていたが、結局石油に代わるような大きなエネルギーとはならないこととコストもかかることが分かり、1998年以降中央政府はガバナンスから退いてしまったことになる。

これから分散型エネルギーの時代という。それではこれからの地熱のガバナンスの主体はだれなのか。それはおそらく地域コミュニティーに委ねられることになるのであろう。

しかしこのガバナンスは簡単ではない。小型温泉発電は温泉を利用した小規模の発電であり、地域で管理する電力となる。これを開発するためには自分の周りの自然、地熱水の起源、エネルギー収支比、資源量、管理技術、発電設備に関する知識、開発に伴う環境への影響などさまざまな知識が必要になる。上意下達が身に染みている市民にとってはかなりの難問となる。
いざ集中型エネルギーが途絶えたとしても分散型エネルギーを確保していることの意義は大きい。そのためには自分で考え、自分の責任でエネルギーをガバナンスするという姿勢が大事になる。

フランスは電力の80%近くを原発で賄い、さらに余った分を周辺諸国に売電している。なぜ原発が受け入れられるのか。一つには数々の優秀な核科学者に恵まれたことで、市民が原子力に対しての理解が深いことが挙げられる。また政府が原発に伴うリスクに関し情報を透明化しており、科学者も政治に対して中立で国からの研究予算に縛られることはないという。そのため市民が原発を信頼しているというのである。市民革命を経験した国であるだけに、市民がエネルギーガバナンスに真剣に取り組んでいるということなのであろう。

これからは日本において「市民による市民のためのエネルギーガバナンス」が必要となってくる。しかし3.11の災害の時、情報は不透明になり、また研究予算に群がり部落を作る科学者の姿も垣間見た。上意下達文化が足かせにならないか非常に不安になる。

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