原発はなぜ危険なのか

老荘に共感を持つ身としては、高みから人を断罪するような馬鹿げたまねはしたくない。
けれども果たしてこの文明は黙っていてもうまくいくほど牧歌的なのだろうか。
いや何を言ってもどうなるものでもないから、やはり黙っている方がよいのだろうか。

現時点でも福島原発の事故は収束しつつあるとはいいがたい。
冷却のために注入され、高濃度に放射能汚染された水が漏出しているようである。
原子炉内の燃料棒の冷却に失敗すれば、原子炉が溶融と水蒸気爆発によって大破し、チェルノブイリの数十倍規模の放射能災害になる可能性もまだあるらしい。
そうなれば国土の大半が、居住にも農業にも適さない土地になるだろうが、もちろんほとんどの人には逃げる場所はない。

このように言うと、「いたずらに危機感をあおるな」という向きがある。
しかし、危険は常に存在し続けていたのであり、今もまさに存在している。
現に存在してきた危険を無いことにし続けてきた自己欺瞞のつけを、われわれは今払わされているに過ぎない。

またこの事故を「想定外」という人もある。
それは不誠実な言い方だ。
福島第一原発が建設されようとする当時から今も、危険を予期し、建設・運転に反対してきた人々がいる。
そうした方々に対し、失礼というものだ。
彼らからしてみれば、危惧していたことがついに現実になってしまったと言うに過ぎない。

ではなぜ多くの人びとが、危険を予知できなかったのだろうか。
ここにこそ原発というものの真の危険性があるのではなかろうか。

動物は長い進化の過程で、わが身の危険を察知するために五感を発達させてきた。
逆に言えば、五感で捕らえられないものに対しては、危険を感じない。
チェルノブイリの居住禁止区域でも、野生の動物たちは、平然と暮らしている。
動物とは本来そういうものだ。

放射能というものは、五感ではまったく捕らえられない。
被爆しても痛くも痒くもない。
その危険性は、知識と理屈によって把握するほかは無い。

1ミリシーベルトというのが、人体のすべての細胞核を放射線が一回貫通する放射線濃度であるとか、放射線がDNAを破断し、修復を間違えるため、癌や遺伝障害を引き起こすとか、1ミリシーベルトの被爆で10年後に1万人に一人の割合で癌になるとか、放射能汚染は半永久的に続くとか、こうした知識を理解して初めて放射能の危険性を認識できる。

悲しいかなわれわれの文明の経験知は、知識や理屈をまず疑ってかかるように教えている。
そして一度不信のレッテルを貼ったら、もはや「聞けども聞こえず」である。
その反面、”エライ人”たちの言うことは、いとも簡単に信頼する。
その信頼の根拠というのも、実のところは単に自分にとって都合がいい言説だからというに過ぎない。
あとは「赤信号、みんなで渡れば怖くない」と言う群集心理で突っ走る。

地震や津波がめったに起きないということもわざわいする。
めったに起きなくても数十年に一度、大地震や大津波が過去に起こってきたし、確実に起こることが知られている。
宝くじもめったに当たらないが、人間は起こって欲しいことは「起こるかもしれない」と思うし、起きて欲しくないことは「ほとんど起こらない」と思う。
電力会社からしてみたら、安全対策の水準も費用対効果の論理で決めるしかない。
なにがあっても必要十分な対策など営利企業に望めるわけがない。

たとえ事故を起こさなくても、原発は放射能を出し続けている。
現場の作業員や地元住民には放射能の危険性は十分知らされていない。
彼らが癌になっても、原発が原因であると証明するのはまず不可能である。
今も死の危険を冒して現場で作業している方々がいる。
原発の電気は、そうした声なき人々の犠牲の上に存在する。
そして半永久的に放射能を出し続ける放射性廃棄物は溜まり続けている。

おそらく人知とは、目先の損得勘定を計算するために発達したものであって、真理を認識するためではない。
人間の知恵などは、サル知恵に毛がはえた程度のものでしかないのだろう。
そのため目先の利益に目がくらみ、「不都合な真実」たちは無かったことになり、あるいは早々に忘却のかなたに消えてしまう。
しかし原発は、そのようにズサンなサル知恵でもてあそぶには、あまりに危険なおもちゃなのではないだろうか。
などと謙虚に反省できることは美徳ではないらしい。

東京新聞の世論調査では、この期に及んでも6割の都民が原発容認派だそうである。
そもそもスリーマイルやチェルノブイリの教訓から何も学ばなかったことからして、人類は歴史からも経験からも学ばないと知るのみである。
日本で運用中の原発は54基、世界では442基、建設中は65基ある。

口に出しては言わないが、われわれは数十年先の子供たち、ましてや赤の他人や数世代先の子孫たちがどうなろうと気にしてはいないのだ。
それならそれでよいのだが、口先だけの奇麗事ばかり聞くのはむなしい。
今は西風がまさっているが、これから東風が吹く季節がやって来る。

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