人類史のエネルギー革命における科学技術と資本の役割(3)

田村八洲夫(もったいない学会理事)

7. 石油ピーク後のエネルギー選択:「石油代替エネルギー」
8. 石油ピーク後のエネルギー選択:「自然エネルギー」

7. 石油ピーク後のエネルギー選択:「石油代替エネルギー」
石油が減耗していく。替わって、資本の幾何学的成長に必要な石油代替エネルギーを科学技術の力で開発できないだろうか。加えて工業的に作れないだろうか。
日本では産学官が三位一体で進めているポスト石油文明のエネルギー戦略は、①原発再稼働、②非在来型石油/ガス、③水素社会化があり、さらに④日本近海に賦存のメタンハイドレートから海底下で工業的に生産されるメタンガス、⑤特定の藻類の人工培養から生産する人工石油、⑥宇宙に打ち上げた人工衛星で太陽光発電した電力を電磁波に変換して地上に送り、地上で電力に再変換して利用する電力です。
これらすべてのエネルギーに共通することは、(a)エネルギー収支比が低いこと、(b)工業的なエネルギー生産によって生じるエントロピー(廃棄物)が膨大であることです。この2点は、地球の環境収容力を縮減し、実体経済を弱体化することになります。国際金融資本も各国の資本も、現代の文明構造を維持発展させて、資本の幾何級数的成長を維持する上で、根本的な阻害要因だと考えていると思います。
水素ガスは2度エネルギー変換して得られる迂回生産の二次エネルギーであって、エネルギー収支比は1以下です。宇宙太陽光発電も2度エネルギー変換し、その変換効率が悪い。その上人工衛星を製造し打ち上げるエネルギーコストが非常に大きいので、これもエネルギー収支比は1以下です。メタンハイドレートから製造するメタンガスのエネルギー収支比も現場技術者の間で1以下だと周知されています。藻類人工石油のエネルギー収支比も同じです。
エネルギー収支比の悪い石油代替エネルギーを文明のエネルギーとして使おうとすると、そして資本の幾何級数的成長を維持しようとするならば、高価でも使える富裕層と使えない貧民層とに、社会を「二階級分解」せざるを得ない。貴族・市民と奴隷層からなる古代社会を連想します。
日本の強欲資本主義の本心は、原発再稼働に依存していると思います。そうでなければリニアカーは稼働できない。そして「オール電化」の再興でしょう。しかし、最近の原子力規制委員会の考えによると、「原発の最終廃棄物の無害化には10万年の年数が必要だが、電力会社は400年しか管理責任持たない。あとは国家が管理する」ことになっています。しかし2020年代には原料のウランも減耗し始めます。原発稼働年数が50年としても、21世紀後半はポスト原発です。そして石炭の質も劣化しており、石油文明の機能の一部しか、事実上代替できません。発電と製鉄でしょう。石炭化学への回帰はあるでしょうか。よって、文明を支えるエネルギー収支比が10程度のエネルギーは、否が応でも性能向上途上にある再生可能エネルギーの組み合わせ利用に限られてきましょう。よって広域電力会社は、今の規模で400年も存続できまい。日本国の10万年存続もあり得ない。このまま人口減少が続くと、数世紀後には日本国の人口はゼロになる計算です。10万年近くの間には1000年に一度の巨大地震、爆裂的大噴火が何度もあり、さらに新たな氷河期の到来もあるでしょう。しかし、直近のこととして、文明末の現在の国際政治情勢がさらに悪化して、北朝鮮から日本の原発にミサイルがもし命中したら、放射能に汚染された日本は、それでお終いです。
生産三要素のうち、「資源」を科学技術で、資本の要求どおりに石油代替で、かつ高いエネルギー収支比(EPR)で永続的に得ることは不可能です。「資本」の金融工学による自己増殖も1%の強欲者だけのモノです。「労働」において人智の創造的な発揮を蔑ろにしてロボットやIoTへの依存が進み、待遇格差がいっそうひどくなると、日本民族の能力と人間性がさらに劣化します。尤も、ロボットやIoTを生活や生業の補助手段と使うことはやぶさかでない。
生産三要素のすべてが劣化し、日本は人口推計通りに、強欲資本の意にも反して彼ら自身の子孫を含めて、数世紀後に消滅に至るでしょう。

 

8. 石油ピーク後のエネルギー選択:「自然エネルギー」
ポスト石油のエネルギーとして、自然エネルギーへの移行と転換を選択した場合はどうでしょうか。
自然エネルギーの分布は地域分散的で、国土のいたるところにあります。自然エネルギーの利用は、生態を含む自然の循環を有効利用する「自然との共生」への回帰が前提です。エントロピーを自然の循環の中で処理できます。エントロピーが循環の外に蓄積すれば、より強力な「洗剤」(エネルギー)が必要になります。自然エネルギーを有効利用するには、石油文明の下で大都市集中、地方過疎になった国土利用の構造を、「地方分散」と「地域主権」によって根本的に改造することが前提です。
では、大都市はどうか。地方への人口移動と並行して、大都市の過密緩和を、都市農業のある田園都市化と、脱自動車化で進めていくことだと考えます。
では、生産の三要素は、自然エネルギー化によってどのように変化するかの私見です。
第一に、【資源の特徴】自然エネルギー資源の種類は多彩です。電力利用には太陽光・風力・小水力・地熱・バイオマスなどがあり、熱の直接利用として太陽熱・地中熱・地下水熱・温泉熱・バイオマス熱などがあります。これらは地域各地に特徴ある形で分散しており、どこでも複数の自然エネルギーを組み合わせて利用できます。自然エネルギーは時間的に、季節的に変化しますが、長期的には持続的なエネルギーです。短期的にも、組み合わせ利用、蓄電・蓄熱技術によって安定性を得ることができましょう。自然エネルギーは基本的に地産地消型のエネルギーであり、利用する対象施設と直接的にリンクして開発することになります。

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第二に、【労働の特徴】自然エネルギーは地産地消型なので、地域の消費者(地場企業、農家、市民など)が生産の主体となります。電力メーカーの協力を得て、エネルギーの開発と利用を一体的に設計し、利用ニーズの変化にも対応してエネルギー管理することになります。地域の生活者、生業者が労働者であり、主人公です。
第三に、【資本の特徴】資本は、集中投資でなく、地域分散の小規模投資になります。メガソーラー、メガウインドといった大規模な設備投資は、大水力発電と同様に、自然環境を破壊するので、自然と共生の自然エネルギー利用ではありません。
第四に、【科学技術】科学技術の役割は、自然エネルギーに対して、EPR革命がスピーディに起こせるかどうかがカギだと思います。太陽光発電は、パネルの厚さが新聞紙より薄いモノが作れるようになりました。発電効率、コストも改善されるでしょう。技術革新によって、少なくても近未来に、太陽光発電のエネルギー収支比EPRが10以上(現在のモノの倍以上)の太陽光発電ができることを期待します。小水力発電、風力発電は一般的に、EPRが10以上ですが、他の自然エネルギーの利用時EPRも10以上になるように科学技術の進歩に期待したいものです(図3参照)。
ポスト石油文明社会における文明の基本構造は、生態を含む自然の循環の中にあるエネルギーと資源の循環利用と、人々の協同を基礎にした構造だと考えます。そのコンセプトとして、藻谷浩介氏の提案した「里山資本主義」が良いと考えます。
里山資本主義は、地方の中山間のいたるところに様々なタイプで賦存する自然のエネルギーと素材を資源としての価値を見出し、資本を投入して、地域住民やU&Iターンの人々の労働でもって、収益事業として経済価値のある製品を生産し販売することです。石油文明時代にはほとんど軽視されていた取り組みですが、最近になっていわれている「六次産業」の振興に近いものと思います。
都会から田舎へ移住して何をするのか。その回答のひとつが、塩見直紀氏が提唱の「半農半X」だと思います。「田舎に移住して農業を習い食料の一部を自給しながら、自分の得意な仕事で社会に貢献する」という生き方であって、塩見氏は京都府綾部市で、自ら実践しています。
里山資本主義の主な特徴を、以下に列記します。
① 利用できるエネルギーと資源は、生態を含む自然の循環の中にあるモノです。前述のような小水力、バイオマス、太陽光、風力、太陽熱、地下水熱、地中熱など自然エネルギーを組み合せ利用する技術革新によって、石油代替エネルギーより十分に高いエネルギー収支比のエネルギーを、里山の生活と産業に供することができると思います。
② 里山資本主義の普及によって、国土利用が「山から海への流域単位」への復元が逐次進むと思います。地元の人々と「半農半X」で移住した人々の共同によって、流域の地域風土に合った農林業、加工業が、新たなアイディアと技術で復活すると期待されます。「山から海への流域」は、陸水の流れの方向であり、風の流れの方向であり、鳥の移動方向であり、栄養循環の方向です。生態を含む自然循環のユニットであります。
③ 内閣府調査によると、大都市から地方に移住を希望する人々が、20代、50代に半数近くいるようです。過密な大都会で身も心もすり減らした人々でしょうが、時代の変化の仕方と政策によって、都会から田舎への移住が加速されるでしょう。よって、ヒトとモノの長距離輸送が次第に減少し、石油文明を象徴するモータリゼーションとフードマイレージが縮減され、エネルギー消費が大幅に減少すると思います。地方の各地には、地方自治と地域文化が再興されましょう。

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