グリーン経済か、パーマカルチャーか?

「再生可能エネルギー推進論者」たちの溝

3.11以降、日本においてもエネルギー論に関する議論が盛んに行われている。原発事故を受けて、にわかに勢いを強めているのが「再生可能エネルギー推進論者」たちである。

しかしながら、何かがかみ合わない。それは、「再生可能エネルギー」について論じている人々の間に、認識上の大きな溝が横たわっているためだと考える。立脚点、地球そのものに対する理解、捉え方が異なっているのである。

4つのシナリオ

この点を説明するにあたっては、以下の「4つのシナリオ」を示すことが有用であろう。

 
(出典)デビット・ホルムグレン(リック・タナカ訳)『未来のシナリオ:ピークオイル・温暖化の時代とパーマカルチャー』農山漁村文化協会、2010年、31頁。

この図では、4つのシナリオが示されている。①は「テクノロジー無限成長時代」であり、このシナリオを信奉するのは、現行のシステムで「幸せピーク」にあるエスタブリッシュメントたちである。

②は「テクノロジー安定時代」であり、このシナリオの信奉者は、再生可能エネルギー万能派(技術の可能性に恋した者たち)であると言えるだろう。

③は「エネルギー下降時代」であり、このシナリオの信奉者は、自然との共生派(自然の完璧さに恋した者たち)だろう。

④は「崩壊」であり、このシナリオを信奉するのは、終末論者(その一部は救世主を待ちわびている)だと言えまいか。

①は、「有限地球における無限成長」を志向するものであり、石油減耗期においては実現不可能なシナリオである。ただし、現行システムで「幸せピーク」にあるエスタブリッシュメントたちは、この事態をおそらく最後の最後まで認めようとしないだろう。

彼らに改革のためのインセンティブはないし、そもそも「解決不可能な問題」に対しては「あたかもそんな問題など存在しないかのように振る舞う」傾向があるためである。もしも、こうした「偉い人たち」が、自らのシナリオの実現困難性を語り始めた時には「時すでに遅し」(too late)だと思った方がよい。

④は、十分に有り得るシナリオである。ここでの問題は、論者によって「崩壊」の定義が異なることにある。何をもって「崩壊」とするのかという問題である。現行の経済システムが機能不全を露わにしたとしても、全人類が絶滅するわけではない。苦しみながらも多くの人が生きながらえるだろう。

「小崩壊」は繰り返すかもしれないが、「大崩壊」がただちに訪れるかどうかはわからない。いずれにせよ、このシナリオが現実のものとなった時には、我々には(救世主を待ちわびるくらいしか)対応策はないので、創造的な政策に思いを巡らす余裕などなくなるだろう。

グリーン経済派 vs. パーマカルチャー派

問題は、②のシナリオと③のシナリオとの間である。ここに、「再生可能エネルギー」について語る人々の断絶がある。

②のシナリオを、「グリーン経済」と言い換えてもよい。このシナリオを支持する人々は、「再生可能エネルギー」をうまく利用することで、現行のシステムを維持することが十分に可能だと主張する。「ハイテク」志向が強いのも、このシナリオの信奉者である。

③のシナリオは、「パーマカルチャー」的な世界である。このシナリオを支持する人々は、エネルギーが下降していくこと(社会の低エネルギー化)は不可避であると考えている。現行システムを今のまま維持することは不可能であり、低エネルギー化に即した社会変革が不可欠だと考えている。技術については、「ローテク」志向が強い。

両者共に、①のシナリオを否定するという意味では「反主流派」(反体制派?)であり、「有限地球における無限成長はない」という事実を見据えるだけの度胸がある。そして、④のシナリオを否定する程度には、未来に対して「楽観論者」だといえる。

しかしながら、両者の溝は大きい。この溝の大きさは、①を信奉する人々を結果として利している。「反主流派」、「反体制派」は、分断しておいた方が、カウンターパワーになりにくく、自分たちの基盤を維持するには都合がよい。

社会の変革を阻んでいるのは、①の人々のパワーによるものだけではなく、②と③の人々の「不幸な断絶」も大いに影響を与えているのではあるまいか。

実現困難なシナリオ②

なぜ、この「不幸な断絶」が生じるのか。その理由は、おそらく、熱力学の第二法則である「エントロピーの法則」およびエネルギーを論じる際のEPR(Energy Profit Ratio)への理解度によって引き起こされている。

これらの要素をじっくりと考え、自らの思考を展開していけば、実は②のシナリオを実現していくことが極めて困難であることに気がつくであろう。②のシナリオの難しさについては、下の図を用いることで視覚的にイメージすることもできる。


この図は、人類史を1万年単位のスケールで捉え、過去人類が使用してきたエネルギー消費量を表したものである。この図が示すように、「化石燃料時代」だけが突出している。「石油ピーク」が示唆することは、この「化石燃料時代」の終わりの始まりである。

②のシナリオとは、この突出した頂点をそのまま横に平行移動しようとする試みだと言い換えることができる。人類は、石油以上にエネルギー効率のよいエネルギー源を知らない。つまり、石油以上に高いEPRを誇るエネルギー源は、まだ手にしていないのである(そして、永遠に手にしない可能性が高い)。

今後、全世界の平均的なEPRは、下がっていく一方であると予想されている。「再生可能エネルギー」を生み出す装置は、みな石油の上に成り立っている。ほとんどの場合、真の意味で石油の「代替」にはなっていないのである。特に、②のシナリオを信奉する人々が言及する「装置」は、「ハイテク型」であり、それらを使用して「現状維持」をすることは原理的に考えて不可能である。

「不幸な断絶」を乗り越えられるか?


そうはいっても、「グリーン経済派」の人びとは、簡単には納得しないであろう。ベースとすべき概念は、「エントロピーの法則」と「EPR」である。しかし、これが理解されない。ともすると、①のシナリオを信奉する人びと以上に頑強だとも見受けられる。

本来なら、②の人びとと③の人びとは共同歩調をとることが可能な人びとだと思われる。しかしながら、両者の溝は深い。「不幸な断絶」が横たわっているのである。

この「不幸な断絶」を乗り越え、両者が建設的な議論を交わせる日が一日でも早く訪れることを願っている。これは、次の時代を作り上げていくために乗り越えなくてはならない障壁である。この断絶を克服した先にこそ、新しい社会が待ち受けているのだと言えるだろう。

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