アベノミクスが日本経済を破綻の淵に陥れる(その8) 正しいエネルギー政策を創るために科学技術者の責任が厳しく問われている

東京工業大学 名誉教授  久保田 宏
日本技術士会中部本部・副本部長 平田 賢太郎

経済成長支えてきた化石燃料の枯渇が近づくなかで、世界経済は低迷している。そのなかで、さらなる成長を訴えるアベノミクスは、日本経済にマイナスの影響しかもたらさない三つの誤ったエネルギー政策を推進している。いま、世界経済にマイナスの成長を強いているのは、化石燃料の、そのなかで最も貴重な石油の枯渇が近づいて、その分配の不均衡が生じているためである。この資源の枯渇による石油の国際市場価格の高騰がもたらす貧富の格差が、世界の石油の主要な産地である中東で、石油の利権を巡ってのテロ戦争にまで発展している。この軍事的な紛争を鎮めて、世界に平和を取り戻すためには、世界の全ての国が、残された化石燃料を分け合って大事に使うことを政治に訴えて行かなければならない。これが、人類の破滅を招きかねない化石燃料の配分の不均衡による貧富の格差を解消する唯一の方法である。いま、日本で、誤ったエネルギー政策を用いてアベノミクスを推進する根拠は、化石燃料が何時までも使えるとの盲信にある。この盲信を覆して、日本のエネルギー政策を正しい姿に戻すことは、私ども科学技術者の責務でなければならない。政府のエネルギー政策の諮問に預かっているエネルギーの専門家とされる有識者の責任が厳しく問われなければならない。

 

アベノミクスの政治はこの国を何処に連れて行く
いま、世界的な経済不況が言われるなかで、この不況を脱する方法として、日本のアベノミクスに代表される経済成長を目的とした、低金利の金融政策による産業の投資促進政策が世界中で進められている。その行き着く先が、いままで、世界経済が経験したことのないマイナス金利政策ではなかろうか?
先進諸国が主導してきた資本主義社会の成長を支えてきたフロンテイアとしての植民地の消失後の世界の経済成長を支えてきたエネルギー資源としての化石燃料が枯渇を迎えようとしているいま、人類は、もはや、経済成長に夢をつなぐことを断念しなければならないはずである。いま、この不可能を可能にしようとしているのが、科学技術が何たるかを知らないメデイアと政治がつくりだした科学技術万能の妄想に支えられた経済成長への縋り付きである。
マイナス金利の時代にはマイナスの経済成長を受け入れるしかない。経済成長のための安価なエネルギーが供給されないマイナス経済成長の社会では、国民に利益をもたらさないエネルギーの消費のために、政治が国民の大事なお金を使うことは許されない。
このような、マイナス経済成長が必然とされる現状で、成長の継続を訴えることで国民の歓心を買って、政治権力を維持しようとする安倍政権は、成長のために必要なエネルギーを確保しようとして、多額の国民のお金を使うエネルギー政策を推進して、日本経済を破綻に陥れようとしている。

 

日本経済にマイナスの効果しかもたらさない無用な三つのエネルギー政策
(その1;低炭素化)このような誤ったエネルギー政策として、先ず、いま、国際公約とされているエネルギー政策のなかに入り込んだ地球温暖化対策としての“低炭素化”がある。すなわち、IPCC(気候変動に関する政府間パネル、国連の下部機構)が主張する地球温暖化の原因となる二酸化炭素(CO2)の排出量の削減、さらには、そのための化石燃料の代替としての今すぐの自然エネルギー(再生可能エネルギー(再エネ)、新エネルギー(新エネ)とも呼ばれる)の利用がある。しかし、CO2排出削減として、IPCCが推奨するCCS技術(化石燃料燃焼排ガス中からのCO2の分離、回収、埋立ての技術)の適用と、今すぐの再エネの利用を目的とした再エネ固定価格買取制度(FIT制度)の適用で、国民に経済的負担をかけてCO2 の排出を削減しても、IPCCが主張する地球の温暖化を防止できるとの科学的な保証は存在しない。
また、もし、IPCCの主張通り、地球温暖化がCO2の排出量増加に起因するとしても、世界中が協力して化石燃料消費量を現在(2012年)の値以下に抑えることができれば、IPCCの訴えるような温暖化の脅威は起こらない。これは、世界中で誰も指摘していないことだが、科学技術者としての私どもが簡単な計算の結果導いた、科学的な事実である。
これを言い換えれば、経済成長を目的として、そのためのエネルギー源としての化石燃料消費を増大させることは、温暖化防止に効果が無いだけでなく、化石燃料の枯渇を早めるだけで。世界経済におおきな悪影響を及ぼすだけでなく、化石燃料のほぼ全量を輸入に依存する日本経済の破綻の淵に追い込めるだけである。
(その2;原子力エネルギー) 次いで、やがて枯渇する化石燃料の代替として、無限のエネルギーを与えてくれるとした“原子力エネルギー”利用の夢は、人類を滅亡の淵に陥れる放射能汚染のリスクの存在の脅威を改めて私どもに教えてくれた3.11福島原発の過酷事故によって完全に消失したはずである。しかるに、安倍政権は、科学技術の妄想に過ぎない「安全神話」にしがみついて、この夢の再現を図ろうとしている。科学技術の視点から、絶対の安全は無いと言われるが、原発に限って言えば、原発を持たないことで絶対の安全が保証できるのである。これも誰にでも判る易しい科学の原理である。
では、原発電力無しでは、私どもの生活と産業に必要な電力の供給が保証できないのであろうか? 3.11の時点で、化石燃料資源量換算としての一次エネルギー量で、国内供給量の1 / 8程度しか占めていなかった原発電力量は、省エネを徹底すれば、すなわち、アベノミクスが要求する経済成長を必要としなければ、不要であった。本来、使用済み核燃料廃棄物の処理・処分の方法のない原発電力は、安価な石炭火力が使える間は、使うべきでなかったし、これからも使う必要がない。日本経済にとっての利益を考えれば、成長を抑制する省エネの徹底の上で、現状で最も発電コストの低い石炭火力を当面利用すればよい。
(その3;水素エネルギー社会) もう一つ、科学技術の知識に乏しいメデイアの妄想に政治が便乗してつくりあげたのが、化石燃料枯渇後のエネルギー政策としての水素燃料電池車の実用化販売を契機とした“水素エネルギー社会”である。化石燃料枯渇後の社会で、水素をつくるには再エネ電力を用いるしかない。であれば、この再エネ電力を直接使って、水素燃料電池車に較べて、車体価格が1/3 程度、走行エネルギーコストが6割以下の電気自動車を走らせるべきである。これも、誰にでも判る科学の原理であり、これが、化石燃料の枯渇後に、現代の自動車文明が生き残る唯一の道であろう。
以上、いま、政治主導で進められている三つのエネルギー政策は、いずれも、特定の企業集団の利益のために、多額の国民のお金を使って進められている。すなわち、地球温暖化対策としての再エネ電力の利用のためのFIT制度の適用は、この再エネの主体となっている太陽光発電事業の推進で、不況に喘ぐ電子・電機産業界を救済するためと言ってよい。また、原発の再稼働を含む原発電力の利用は、国内で失われている市場を、政府の支援の下での海外への輸出で賄おうとしている原子力産業界の支援のため、さらに水素エネルギー社会は、輸出産業のチャンピオンの自動車産業のさらなる発展を目的とした、いずれもアベノミクスの経済成長路線のもとで進められている。
上記したように、日本経済にマイナスの効果しか与えない三つの誤ったエネルギー政策は、速やかに廃棄されるべきである。このようなエネルギー政策の実施に伴う財政支出は、財政赤字に苦しむ日本経済を破綻の淵に追いやることになる。

 

経済成長の否定を前提とした新しい豊かさを求める社会の創設を目指すべきである
いま、世界経済のマイナス成長が強いられている主な原因が化石燃料の枯渇であるということが一般には認識されていない。ここで、枯渇とは、その地球上の資源量が少なくなり、その国際市場価格が高騰して、それを使えない国や人々がでてくることである。これが、いま、大きな社会問題になっている貧富の格差を拡大させている。
この化石燃料の枯渇後に備えて、国際社会の一員としての技術立国日本のなすべきこと、それは、世界の全ての国が、特に、米国と中国を含む経済大国が、経済成長の抑制に協力して、各国の一人当たりの化石燃料消費量を等しくすることで、地球に残された化石燃料を分け合って大事に使い長持ちさせることを世界に訴えることでなければならない。これが、いま、人類社会の貧富の格差を生み出して、世界の平和を脅かす原因になっている化石燃料消費の配分の不均衡を正す唯一の方策でもある。
化石燃料資源のほぼ全てを輸入に頼らなければならない日本は、率先して、このマイナス成長のエネルギー消費節減モデルを創り、その実行の姿を世界に示さなければならない。
では、どうやって、それを実行するのか?具体的には、どうやって化石燃料消費を減らして行けばよいのか?
それには、先ず、化石燃料資源量の形で表される一次エネルギーが、何処に、どのような形(電力と電力以外の形)で使われているかを可能な限り定量的に調べることから始めなければならない。次いで、貿易立国日本の経済を支えている産業部門にできるだけマイナスの影響を与えないように、主として、民生部門(家庭用と業務用)と、運輸部門での化石燃料消費の節減を目的として、徹底した省エネ対策の実施を厳しく追及しなければならない。
その上で、いま、特定の企業の事業利益に貢献するだけで、電力料金の値上げで国民に経済的な負担を強いる不条理なFIT制度の適用無しで実施できる化石燃料代替の再エネ電力の種類を選んで、その導入が図られるべきである。
この化石燃料枯渇後に備えての再エネ電力利用への移行は、いまアベノミクスが訴える経済成長の完全な否定とともに、現状の世界景気後退を是認した上での、新しい豊かさの価値観の創造のもとで成り立つ低エネルギー社会の創設でなければならない。
当然、経済成長の継続を前提として、人類の存亡に関わるような放射能汚染のリスクをもたらす原子力エネルギーに依存する社会の追及は避けるべきである。この経済成長の抑制による世界の低エネルギー社会の創設こそが、いま、富の配分の不均衡による国際テロを含む軍事的紛争による世界平和の侵害の脅威を防ぐ道でもある。

 

エネルギー政策の諮問に預かる有識者の責任が厳しく問われるべきである
では、どうして、このような誤ったエネルギー政策が政治主導のアベノミクスを支えるために行われているのであろうか? その原因の一つが、成長のためのエネルギー源としての化石燃料が何時までも使えるとの、多くの国民が抱かされている妄想にあるのではなかろうか?
確かに、化石燃料さえあれば、経済成長は続けられるであろう。しかし、現代文明社会の成長を支えてきた化石燃料は、現状の消費を続けると、現在の世界の経済的な条件下で採掘できる量、すなわち「可採埋蔵量」が確実に減少して行き、その国際市場価格が上昇し、使えない国や人々が出てくる。これが、はじめに記した、成長の終焉をもたらしている世界経済の停滞の主な原因である。
この化石燃料の枯渇の現状を無視して、名目GDP 600兆円を目標とする1億総活躍を訴えるアベノミクスのさらなる成長が招くのが、日本経済の破綻である。
この化石燃料の枯渇の現状を、科学技術の視点から正しく認識して、正しいエネルギー政策を政治に求めなければならないのは、いま、国のエネルギー政策の諮問にあずかっている有識者とよばれるエネルギーの専門家の先生方でなければならない。
しかし、残念ながら、いま、これらの先生方は、科学技術に無知な政治家の科学技術万能の妄想を利用して、上記の無用なエネギー政策(その1、その2、その3)を支持した上で、さらに、その地位を利用して、この誤ったエネルギー政策に関連した国策事業に携わることで、自分たちの科学技術研究費を稼ぐことに専念しておられる。
かつては、大学の研究費は、文部省から支給される研究費に限られていた。それが、大学が法人化されて以降、文部省以外の他の省庁からの受託研究も受けられるようになって、そこに入り込んできたのがエネルギー政策や地球温暖化関連などの国策研究である。その金額は、一研究テーマ当たり、在来の文部省からの研究費と一桁以上違う。したがって、研究者は、こぞって、この国策研究に群がることになる。近年、科学技術の研究費の大幅の増額が言われるが、経済不況のなかで、民間からの研究費が少なくなるとともに、在来の文部省からの研究費は従前と変わらないから、背に腹は代えられないと、軍事研究には関わらないとしていた日本学術会議の申し合わせも見直されて、防衛省の研究費の支給を受ける先生方も出てきている。結果として、先生方の研究費受給額には、とんでもない格差が生じている。しかも、この研究費の恩恵に預かれる少数の先生方は、特任教授などとして、定年後もその地位が保証される。さらに、本来、広い視野に立って、科学技術のあるべき姿を探求するとの崇高な理念を持たない、ただ、お金を沢山稼ぐことのできる人が、管理職に選ばれ、研究報告の数だけで評価されている大学の見かけの経済成長を支えている。これが、法人化された、大学の悲しい実態である。
現在、科学技術の研究が細分化されていて、広い視野に立って、対象の研究課題の成果が、科学の原理の探求に、さらに、科学技術の研究であれば、それが社会的にどれだけの意味を持つかを自分の頭で考えることが少なくなっているのではなかろうか? 一般の科学研究であれば、その研究の目的と、その社会的貢献が、研究課題の設定に大きな関わりを持つ。しかし、このエネルギーに関する国策研究では、そこのところは、科学技術の知識に乏しい政治家と官僚に任され、彼らが決めた研究テーマに関連した分野で多少名の知れた少数の先生方が有識者として選ばれ、その国策研究開発の実証試験とよばれる学問的には、ほとんど意味の無い研究に預かることで、多額の研究費の支給を受けることになる。もちろん、その国策研究の成果が社会的貢献につながらなくとも、誰も、何の責任も問われることはなく、例えば、バイを燃料の国策研究に5年間で6.5 兆円もの国費が使われた。まあ、いま、地球温暖化関連の研究では、これを上回る研究費が使われているようである。
第2次大戦の敗戦のなかから、高度経済成長を経て、中国に追い抜かれるるまで、この国を世界第2の経済大国に押し上げるのに、科学技術が大きな力を果たしてきたことは否定できない。しかし、それより大きかったのは、この科学技術の力を発揮できるためのエネルギー資源としての安価な中東の石油の存在であったことが見逃がされている。
しかし、この安価だった中東の石油が、この中東の地で、2度の国際間の軍事紛争によりもたらされた1970年代の石油危機を契機として、その市場価格が一桁以上も跳ね上がった。その後、確実に、化石燃料全体の枯渇による国際市場価格の高騰が継続して、貧富の格差を拡大している。それが、いま、中東の地を中心にした国際テロ戦争や大量難民の発生に伴う国際平和の侵害につながっている。
最近の英国のEU離脱や米国のトランプ現象に見られる一国主義の台頭が、国際的なエネルギー供給に影響すれば、真っ先に、経済大国の地位を降りなければならなくなるのが、化石燃料のほぼ全量を輸入に依存しなければならない日本経済である。
良識を備えた真の科学技術者であれば、このエネルギー問題を巡る日本経済の厳しい現実を、正しく認識するとともに、いま、さらなる成長を求めて、経済破綻の淵に自らを陥れようとしているアベノミクスの経済政策に繋がる誤ったエネルギー政策の廃棄を政治に訴えるとともに、それに代る、マイナス成長の時代に適応できる正しいエネルギー政策を立案し、その実行を強く政治に迫るべき責任がある。
地球上の化石燃料の枯渇が迫るなかで、その奪い合いのために再び軍事力を使うことで人類の滅亡をも招きかねない現状で、それを防いで、この世界平和を再興築するカギを握っているのは、政治家でなく、「経済成長にはエネルギーが必要で、そのエネルギー源の化石燃料の枯渇が近づいている」ことを正しく認識し、それを政治に訴えるべき科学者・科学技術者、世界に誇る平和憲法を守ることを義務付けられた日本の科学者・科学技術者でなければならない。
日本経済を破滅の淵から救うためにも、いや、人類社会の平和共存を達成するためにも日本の科学者・科学技術者の責任は極めて大きいことを強く訴えたい。

 

<本稿の内容に関連して詳細を記した参考文献>
久保田 宏、平田賢太郎、松田 智;化石燃料の枯渇がもたらす経済成長の終焉――科学技術の視点から、日本経済の生き残りのための正しいエネルギー政策を提言する――私費出版、2016年、
この改訂版が近く電子出版 Kindle版として刊行される予定である。

 ABOUT THE AUTHER
久保田 宏;東京工業大学名誉教授、1928 年、北海道生まれ、北海道大学工学部応用化学科卒、東京工業大学資源科学研究所教授、資源循環研究施設長を経て、1988年退職、名誉教授。専門は化学工学、化学環境工学。日本水環境学会会長を経て名誉会員。JICA専門家などとして海外技術協力事業に従事、上海同洒大学、哈爾濱工業大学顧問教授他、日中科学技術交流による中国友誼奨章授与。著書(一般技術書)に、「ルブランの末裔」、「選択のエネルギー」、「幻想のバイオ燃料」、「幻想のバイオマスエネルギー」、「脱化石燃料社会」、「原発に依存しないエネルギー政策を創る」、「林業の創生と震災からの復興」他

平田 賢太郎;日本技術士会 中部本部 副本部長、1949年生まれ、群馬県出身。1973年、東京工業大学大学院理工学研究科化学工学専攻修士課程修了。三菱油化(現在、三菱化学)株式会社入社、化学反応装置・蒸留塔はじめ単位操作の解析、省資源・省エネルギー解析、プロセス災害防止対応に従事し2011年退職。2003年 技術士(化学部門-化学装置及び設備)登録。

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