「水素元年」などとはしゃいでいるのは、化学工業の歴史を知らない人の妄想である

科学技術の視点から、どう考えてもおかしい「水素社会」:その1

最近、にわかに、「水素エネルギー」がメデイアを賑わし、「水素元年」というフレーズ まで飛び出している。この水素元年は、トヨタが燃料電池車(FCV)の MIRAI の市販を開 始したことを記念した FCV 元年をいうのであろう。いや、水素をエネルギーとした燃料電 池の実用化であれば、家庭用の発電設備、「エネファーム」が売り出されたのが、2009 年 であるから、今年は、水素 7 年になると言ってもよい。では、本当に「水素エネルギー、 社会を支える新たな力に(朝日新聞 2015/2/18 社説)」なるのであろうか? 

何のために水素のエネルギーの利用が必要なのであろうか? 

それは、現代文明社会を担っているエネルギー源の化石燃料が、いずれは枯渇するから であるとされている。しかし、いま、この化石燃料の代替としては、自然エネルギー(国 産の再生可能エネルギー(再エネ)の利用が言われている。自然エネルギーとは、文字通 り自然の条件下で存在するが、エネルギー源として利用可能な水素(H2)は、自然条件下 では存在しない。したがって、化石燃料が枯渇した後の水素エネルギーは、自然エネルギ ーとして得られる電力(再エネ電力)を使って、いくらでも使える水(H2O)を原料として つくられる水素のエネルギー利用でなければならない。 
 
この水素エネルギーを使う「水素社会」では、再エネ電力を使って水素をつくり、その 水素を使って電力を生産する世にも不思議なことが起こることになる。こんなことをする なら、はじめから、再エネ電力を、そのまま使った方がよいはずである。エネルギー利用 では、その効率が問題になる。例えば、水の電気分解で水素をつくる時、その水素で燃料 電池を使って発電する時、それぞれのエネルギー利用効率を 80 % とすると、総合のエネル ギー利用効率は 64 % にまで低下する。具体的に言うと、同じ再エネ電力を用いるのであ れば、FCV でなく、電気自動車(EV)のほうが、はるかに効率が良いはずである。その上、 車の価格面でも、最近発売されたトヨタの FCV、MIRAI では、市販価格 700 万円に補助 金が 200 万円もついて(何故、こんな多額の補助金(国民のお金)がつくのか不明だが)、 500 万円程度で購入可能とされているが、すでに(3.5 年前)市販されている EV であれば、 日産のリーフでは、補助金付きでは 230 万円程度で購入できる。また、エネファームの場 合は、現在、天然ガスをエネルギー源としているので、需要先(家庭)での水素製造工程 での廃熱を利用することで、家庭のエネルギー利用の総合効率が高められるとしている。 しかし、私の試算では、補助金付きでも高い設備購入費を、この設備の使用期間(寿命、 10 年)内には償却できない。少なくとも、現時点では、お金持ちの消費者の経済的負担で、 これらを用いる「水素社会」が成り立つことになる。 

 

エネルギー政策のなかに迷い込んだ地球温暖化対策が支える「水素社会」 
上記したように、「水素社会」は、化石燃料が枯渇した時(ここで、化石燃料の枯渇とは、 その国際貿易価格が高くなって使えない国が出てくる時を指す)の化石燃料代替としての 水素エネルギーの利用であるから、化石燃料が使える現状では、その存立の必然性が無い はずである。にもかかわらず、はじめに記したように、いま、「水素社会」の利器、FCV や エネファームが国の補助金支給の下で実用化されている。これは、いま起こっている、地 球温暖化の防止のために、何が何でも、少しでも二酸化炭素(CO2 )の排出を削減をしな ければならないとの非科学的な盲信が、この国のエネルギー政策を支配してしまっている からである。 
 
地球の温暖化は、化石燃料の大量消費に伴う CO2 の排出により起こるとされているが、 実は、これは、科学的な根拠が実証されていない IPCC(気候変動に関する政府間パネル, 国連の下部機構)による仮説である。もし、この仮説が正しかったとしても、これを防ぐ には、世界が協力して化石燃料消費量を節減する以外に方法がない。幸か不幸か、現在の 科学技術の力で経済的に採掘可能な地球上の化石燃料資源(確認可採埋蔵量と呼ばれてい る)の消費により、取り返しのつかない地球の温暖化を起こすほど大量の CO2 が排出され ることはない。経済力のある大国が、現状の確認可採埋蔵量を無視して、化石燃料資源を 大量消費しない限り、温暖化は起こらないはずである。逆に、経済力のある大国が、経済 成長のためとして、化石燃料資源を独占して大量使用すれば、その国際貿易価格が上昇し て、それを使いたくとも使えない国々との間の貧富の格差が現在より一層拡大し、世界の 平和が脅かされかねない。いま、地球にとって大事なことは、全世界が協力して経済成長 を抑制し、残された化石燃料を大事に分け合って使うことであり、その結果として、地球 温暖化対策としての CO2 の排出削減を目的とした「水素社会」を不要にすることでなけれ ばならない。 

 

化学原料としての「水素」の重要な社会的役割を考えて欲しい 
はじめにも述べたように、いま、「水素社会」を言うとき、それは「水素エネルギー社会」 におけるエネルギー源、というよりエネルギーのキャリアとしての水素の社会的な役割を 言っている。しかし、エネルギー利用でなく、化学物質としての水素の利用は、現代文明 社会において、無くてはならない重要な役割を果たしていることを認識して欲しい。 
 
産業革命以降、指数関数的に増加するようになった地球上の人口を支えてきた食料の増 産に欠かせない窒素肥料 アンモニア(NH3)の合成化学原料として、大量の水素が使われ ている。1913 年、ハーバー・ボッシュ法による NH3 合成(空中窒素固定)工業の成功は、 近代化学工業の夜明け(元年)であると同時に、19 世紀の末に大きな社会問題とされた世界の食料危機を解決した画期的な出来事であった(文献 1 – 1 参照。)

この工業生産でのコス トの約 8 割を占める水素の製造方法として、当時のアンモニア合成反応の実験段階では、 水電解でつくられた水素が用いられたが、工業化では、はじめ石炭と水から、次いで石炭 の代わりに石油が、そして、いま、天然ガスが用いられている。それが、もっとも、安価 な水素の製造法だからである。いずれ、天然ガスの価格が高騰すれば、この NH3 合成反応 原料用の水素は、再エネ電力を用いた水電解でつくられるようになるであろう。 
 

ほかにも、化学原料としての水素が、化石燃料枯渇後の化学原料として用いられる可能 性がある。例えば、石炭の代わりの水素製鉄のほかに、化学工業原料としての石油の代替 品を CO2 と水素からつくろうとの話まで真面目に取り上げられている。 
 
このように、化学原料としての水素利用の必要性を考えると、再エネ電力を使ってつく った水素を発電用に用いるなんて馬鹿げたことはあり得ないと考えるべきである。水素を 「究極のクリーンエネルギー」とか「夢の水素エネルギー」とか言いふらす人が居るが、 それは、化学の知識のない人、あるいは、化学工業発展の歴史を学んでいない人と言って よい。私は、敢えて、この「水素エネルギー社会の夢」を見果てぬ夢と断じている。いま、 成長のためのエネルギー資源の輸入金額の増加で貿易収支の赤字に苦しんでいる日本経済 にとって、「水素社会の夢」にうつつを抜かしている余裕はないはずである。 
 
引用文献;
1-1.久保田 宏、伊香輪 恒男;ルブランの末裔、東海大学出版会、1978 年 

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