「支那」という言葉

 「支那」という言葉、(Wikipediaより)

榎一雄(東洋史学者、東京大学名誉教)は、その晩年に至るまで、一貫して自身の用語としては「支那」の用語を用い続けた。1992年(平成4年)に朝日新聞社から刊行された『地域からの世界史』シリーズの第6巻『内陸アジア』では、モンゴル史の専門家中見立夫が、上述の漢人国家と中国概念のズレについて考察したのち、



「近代世界におけるモンゴル民族やチベット民族の歩みを跡づけると、「中国」という概念の問題が浮かび上がる。これらの民族には、少なくとも清朝崩壊の段階では、漢人が居住する地域といった意味での「中国」という言葉はあった。誤解を恐れずに書くならば、「シナ」(この場合、おおむねモンゴルやチベットは含まれない)という地域概念はあった。しかし、漢人たちが抱くような、多民族の共同体、歴史的な存在としての「中国」という概念は欠如していた」



とWikipediaは述べている。
そして思う、今尖閣領土問題で暴走する隣国を「中国」という、中央、中心、中枢という
響きを持つ 用語に、以前から疑問をもって来ました。
そして今年5月には、蘇
州、杭州、そして上海を訪れました。上海万博後のこの国を知るためです。そしてわかったこと、それは民衆の血走った目つき、落ち着きの無い言動、目的のためには手段を選ばない、スリはもうスリでない、複数で囲む強奪であると案内人がいう程に、異常な人々の住む所でした。

昨今の民衆の暴走だが、それは支那の民衆です。支配されたチベット、モンゴルではない。我々は、隣国をもっと良く知る必要がある、それがリアリズム、問題解決の入口なのでは。

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